たかじんさんが癌で亡くなったと、今日(8日)朝の新聞で知った。昨日のテレビ報道に一切出ていなかったのでビックリした。
同世代なので、改めてそんな時期に来たのかと身につまされる思いがしている。
Yomiuri Onlineでは、
「人気司会者で歌手、タレントのやしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日に死去していたことが分かった。
64歳だった。告別式は近親者で済ませた。 大阪府生まれ。大学時代から歌手活動を始め、1984年に「あんた」、
86年に「やっぱ好きやねん」など次々にヒット曲を放つ一方、歯に衣(きぬ)着せぬ発言が人気を呼び、
関西の民放テレビで司会者として活躍、「関西の視聴率男」との異名を取った。 また、大阪を明るくする目的で
設立されたボランティア団体「OSAKAあかるクラブ」の呼びかけ人代表になるなど、古里である大阪への思いは強く、
この団体の活動を通じて橋下徹・大阪市長、平松邦夫・前市長双方と交流があった。
「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)、「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)、「たかじんNOマネー」
など、自身の名前を冠した数多くのレギュラー番組に出演していたが、2012年に食道がんを公表し、治療のため休業。
13年3月に一度復帰したが、約2か月後に再び体調を崩し、休養していた」 と報道されている。

よみうりのHPによると、「たかじんのそこまで言って委員会」の放送は継続されるそうだ。
たかじんさんが休養に入り、その後、頑固一徹の三宅久之さんが亡くなり、”たかじんのそこまで言って委員会”らしさが無くなりつつあった。
辛抱治郎の司会もだんだん窮屈になって鼻持ちならない雰囲気が出てきた時期に合わせ、面白さが一挙になくなっていた。
それ以降、この番組にチャンネルを合わせる事も減ってきたが、そんな時でも、たまに、たかじんが出演すると番組の空気は一変しキュットと締まっていた。
それほどまでに、たかじんさんには、個性の強さ、 アクの強さというか破天荒さは視聴者を惹きつけるものがあった。
一方、たかじんさんがそこまで言うならそうだろうなと言う説得力の強さもあった。
三宅久之さんが亡くなり、たかじんさんも亡くなり、「たかじんのそこまで言って委員会」は何処の方向に進むのだろうか。
かっての激しい議論に、テレビを通して当方まで議論に加わっているような錯角さえあったし、我が意を得たりと溜飲をさげる解説もあった。
残念だが、今はただの右翼番組らしきと思われそうな雰囲気をほんのちょっぴり表面に滲ませているだけの単なるお茶の間番組にしか見えない。
関西の個性を強烈に表現しうる、そして「東京には絶対に負けへん」という気概のある惜しい人材を無くした。残念なことだと思う。

先程夕刻、安部総理がFBにコメントしている。
「人には出会いと別れが有ります。初めて やしきたかじんさんとお目にかかったのは私が幹事長の時でした。
その際「いつか一緒に温泉に入ろう」と約束し、それが実現したのは総理の職を辞した後でした。
政治的に尾羽打ち枯らした状況の私を誘って頂いたのはたかじんさんの気遣いだったと思います。
三宅久之さんに続き、たかじんさんの訃報に接し本当に悲しい思いです。」・・・そうかもしれない。
同世代なので、改めてそんな時期に来たのかと身につまされる思いがしている。
Yomiuri Onlineでは、
「人気司会者で歌手、タレントのやしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日に死去していたことが分かった。
64歳だった。告別式は近親者で済ませた。 大阪府生まれ。大学時代から歌手活動を始め、1984年に「あんた」、
86年に「やっぱ好きやねん」など次々にヒット曲を放つ一方、歯に衣(きぬ)着せぬ発言が人気を呼び、
関西の民放テレビで司会者として活躍、「関西の視聴率男」との異名を取った。 また、大阪を明るくする目的で
設立されたボランティア団体「OSAKAあかるクラブ」の呼びかけ人代表になるなど、古里である大阪への思いは強く、
この団体の活動を通じて橋下徹・大阪市長、平松邦夫・前市長双方と交流があった。
「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)、「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)、「たかじんNOマネー」
など、自身の名前を冠した数多くのレギュラー番組に出演していたが、2012年に食道がんを公表し、治療のため休業。
13年3月に一度復帰したが、約2か月後に再び体調を崩し、休養していた」 と報道されている。

よみうりのHPによると、「たかじんのそこまで言って委員会」の放送は継続されるそうだ。
たかじんさんが休養に入り、その後、頑固一徹の三宅久之さんが亡くなり、”たかじんのそこまで言って委員会”らしさが無くなりつつあった。
辛抱治郎の司会もだんだん窮屈になって鼻持ちならない雰囲気が出てきた時期に合わせ、面白さが一挙になくなっていた。
それ以降、この番組にチャンネルを合わせる事も減ってきたが、そんな時でも、たまに、たかじんが出演すると番組の空気は一変しキュットと締まっていた。
それほどまでに、たかじんさんには、個性の強さ、 アクの強さというか破天荒さは視聴者を惹きつけるものがあった。
一方、たかじんさんがそこまで言うならそうだろうなと言う説得力の強さもあった。
三宅久之さんが亡くなり、たかじんさんも亡くなり、「たかじんのそこまで言って委員会」は何処の方向に進むのだろうか。
かっての激しい議論に、テレビを通して当方まで議論に加わっているような錯角さえあったし、我が意を得たりと溜飲をさげる解説もあった。
残念だが、今はただの右翼番組らしきと思われそうな雰囲気をほんのちょっぴり表面に滲ませているだけの単なるお茶の間番組にしか見えない。
関西の個性を強烈に表現しうる、そして「東京には絶対に負けへん」という気概のある惜しい人材を無くした。残念なことだと思う。

先程夕刻、安部総理がFBにコメントしている。
「人には出会いと別れが有ります。初めて やしきたかじんさんとお目にかかったのは私が幹事長の時でした。
その際「いつか一緒に温泉に入ろう」と約束し、それが実現したのは総理の職を辞した後でした。
政治的に尾羽打ち枯らした状況の私を誘って頂いたのはたかじんさんの気遣いだったと思います。
三宅久之さんに続き、たかじんさんの訃報に接し本当に悲しい思いです。」・・・そうかもしれない。