野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

新しい季節

2019-05-01 08:17:28 | その他
「庭、5月1日」
4月30日、「平成」の時代が終わった。
天皇の退位儀式がテレビで流れていたが、こういう放送はNHKに限る。個人的に贔屓にしている京都産業大学名誉教授の所功さんやタレント中川翔子さんが、説得力のある上手い解説している。そして、今日(5月1日)から新しい「令和」が始まる。「昭和」「平成」「令和」と続いてきたが、何と言っても「昭和」で過ごした時代が圧倒的に長いはずなので、「令和」についての大きな期待感はないものの、産経に「令和」を提案したとされる中西進さん(89)がこう話した「その本義は「形が整っていてうるわしい」という意味だ」とあった。加えて、こうも「元号は、みんなが「こういう時代にしようよ」という目標なんですよ。心のよりどころといってもいい。元号は制度と思われるかもしれませんが、むしろ人々の生き方を示す文化、志というべきものです。そういう文化を残す国が世界にひとつくらいあってもいいでしょう。」とある。なるほど。

西暦が数字を重ねた歴史の単なる流れを示すだけに比べ、元号は一つの時代を表現し、その時代を生きた人々の生業を表現しているのだから、我々にとっては、元号の方が馴染みやすい。だからか、過去は元号で記憶し、未来は西暦の数字でおぼろげに期待してしまうと個人的には思っている。大東亜戦争が終了した後の「昭和」に生まれ、その後の「平成」の時代を過ぎて、5月から「令和」の時代の始まりだ。長く「昭和何年生まれ」「昭和何年入社」と、「昭和」を前面に出して時を語ってきた時代に、戦争が終わり、皆な貪欲に働いた時代を生きて、P38ライトニングが日本の空を制空し、スキムミルクとコッペパンの学校給食を食べ、洗濯板の時代、冷たい井戸水で顔を洗う時を肌で感じ、夏のスイカは井戸水で冷やし、ラジオの相撲や赤胴鈴之助を耳をそばだてて聞きながらも、あの昭和の時代、九州の田舎で不便を感じたことは全くなかった。幾多のメディアが、あの激動の昭和とよく書いているが、戦後の昭和を生きた世代からすれば、その時代を激動などと感じることもなく、また特段に不便を感じることもなく、振り返ると質素に生きる原点を見つめことも出来た時代だったし、貴重な時間を過ごせたと思う。その後、高度成長期を経験し、毎年、給料が上がる年代、洗濯機、冷蔵庫とともに白黒テレビが普及し、アメリカをはじめとする海外の文化がたくさん流れ込んできた時代を過ごした。平成の世は、更に高度に物品は発達し、これが欲しいというものはなく、特に夢や目標を挙げねばならぬほどもないが、今振り返ってみると、個人的には昭和の時代は確かに貧しかったと思えど、多いに楽しいものだった。だからと言うわけでもないが、はるかに有機的で人間的な歴史の証としての「昭和」の時代を克明に覚えている。

そうは言っても、今日から5月の始まりに、外は小雨だが風がなく過ごし易い。
庭から見える樹々とっては一番の季節に新緑が映え、樹々の、その下にはスズランが咲き始める。今日も、昨日と同じ生活が始まる。
 「庭のスズラン」
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