野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

LIME GREEN - Symbol of Challenge

2012-11-27 06:30:06 | モータースポーツ
          「FB:「kawasaki racing」が投稿したKX」
「Winning Off-Road Bikes : LIME GREEN - Symbol of Challenge 「挑戦者の証」
年=52週、世界のどこかで行われているモトクロスの表彰台にライムグリーンのモトクロッサー、KXが登壇しない週末はない。
 常に独創的な新技術が投入され進化を続けるKXだが、その設計コンセプトは極めてシンプル。「勝つためのマシン」である
。」

そして、「カワサキは常に挑戦者として挑み続ける」の意味を川重HPに下記のように説明している。
カワサキはあえてその色を選ぶことで、自らが挑戦者であることを世に示した。誇り高き挑戦者の証し、ライムグリーンを身に纏い、カワサキレーサーたちは今日も挑み続ける。 カワサキの歴史は、挑戦の歴史である。 誰も成し遂げたことのない新たな技術を武器に、勝負に挑む。 常識に安住せず、失敗を恐れず、自ら考え切り開いた道を突き進む。 これこそがカワサキの使命。 そして、いつまでも変わらない価値。 誇り高き挑戦者の証し、ライムグリーンを身に纏い、 カワサキレーサーたちは今日も挑み続ける。」

「挑戦者の証」という言葉をよく理解できなかったので、思いつくままに考えてみた。
折しも大相撲九州場所、テレビ観戦していると挑戦と言う言葉をアナウンサーがたまたま使った。相撲の世界で、テレビで良く使われてい”挑戦する(チャンレンジする)という言葉”は、例えば前頭が大関や横綱と相まみえる場面でよく使われる。実力下位ランクの選手が負けて元々で勝ったら儲けものだと言うぐらいなもので、勝負の世界での挑戦者とは実力下位の選手を指す。横綱や大関が挑戦する言えば、誰もなしえていない記録に向かって勝負をかける場合に使われるようだ。

挑戦するというのは、下位選手ががむしゃらに勝負を挑む事、あるいは芸を極めた達人が未到の分野に挑戦することを言う。
だが、最初から勝ち目のない勝負に出るのはチャレンジとはいえず、逆に無謀と言うんだろうが、「チャンレジという言葉」や「一番になるんだ」という言葉の響きの良さが先行して、戦う場や戦略そして可能性を低く査定しがちになるのは、開発陣や承認側が意外と陥り易い罠でもある。そう言う事例を内外で何度も見て来た。


★ところで、チャレンジする場合の心がけとして傾聴に値すると思っている事柄の中からの抜粋。
 ■打倒ホンダ”のスローガンを掲げて,名車H1やZ1の開発責任者であった、大槻幸雄工学博士が講演でよく話される事として、 「「開発技術者は,“目標を必ず達成する”という強い意志と情熱をもって当たれば,どのように高い目標でも達成できる」を第一とせよとしているが、  その中でも、特に「技術的優位性・斬新性」については下記のように説明している。」
 「リスクを冒し開発目標を明確にできるだけ高く掲げ,「世界一」を目指す リスクとアドベンチャーとは全く異なる。  当然ながら,「リスクを冒す」必要が生じる。しかし「リスクを冒す」と「アドベンチャーをする」とは本質的に異なる。」
 「リスクとは,技術的なそれ相当の裏付けによる可能性があり,これに向かって挑戦することであり,後者は,好奇心が主になるもので、 技術的な裏付けによる可能性を検討することもなく, 盲目的に「徒労」するだけである。  系統的な研究の方法を頭に描いて,鋭い洞察力で,どの程度のリスクを冒しているかを冷静に認識し,勇敢に高い目標を設定して必死になって努力することが肝要である。技術的な洞察力が全くなく,根拠も無しにどんでもない目標を設定するのは,「リスク」ではなく「アドベンチャー」であり,まことに無責任であり許されない。」

 ■また、「失敗の本質」の中で指摘されたことではあるが、
 「「ゼロ戦」は日本の技術陣の独創というよりか、それまでに開発された固有技術を極限まで追求することによって生まれたイノベーションであると分析され評価されている。」  この分析は、戦時中に纏められた冨塚清著の「航空発動機」にも通じ、「制空権獲得という国家の生存目的に追求がある以上、最大の目的は「必勝」の追求である。具体的にいえば、公知の性能工夫の向上を図り、質を落とすことなく多量に生産すること。従って、新規の発明・考案の採用は十分なる実証による確認を得ずに採用すべきでは無い」とある。

★加えて、「大西宏のマーケティング・エッセンス」のなかで「最初から勝ち目のない勝負に出るのはチャレンジとはいえない 」として、下記がある。
「技術的に成熟してくると、市場での経験から得られた情報も豊富、ライバルの技術開発の今後のスケジュールまである程度予測できるようになります。不確実なことがあまりないために、リスクが低いように見え、経営の意思決定もしやすくなってきます。ただ落とし穴が待っています。技術が成熟してくると、どんどん海外ブランドからキャッチアップされてくるので、恐怖の価格の滑り台の世界にいやがおうでも、追い込まれてしまいます。技術や市場が成熟期を迎え、市場が赤字の血の海になっていくことが予見されている世界に突っ込んでいくのは、それはリスクを取った、賭けに出たというよりは、無謀な暴走だったのじゃないか、それは賭けにでたというよりも、自社の技術を過信し、成熟から逃れるイノベーションへの投資を行なうことを怠ったとしかいいようがないと感じます。」「長い歴史を俯瞰すれば、産業は栄枯盛衰の繰り返しというのが現実で、情報家電もそのひとつでしょう。その敗北を謙虚に学び、教訓として、次の稼ぎ頭となる産業に勇猛果敢にチャレンジしていく活力が日本にも残っていると信じたいものです。」

★これらの事象から言えるのは、レースマシンの開発は言うに及ばずどの分野の製品開発にも通じ、勝利するためと称して新規の発明や考案を盲信優先して走ることを諫めている。一方、KXが挑戦者と称していた時期は30数年前のことで、既に一定の評価を得、常に勝利者としての立ち位置にいるKXを今なお挑戦者と位置づける表現は適切なのだろうか。「挑戦者の証」の一例として挙がったKXを見ながらこんなことが思い浮かんだ。
 
★すこし逸れるが、神戸新聞にあったドイツAUDIの広告は心情的に訴えるものがある。
         
コメント
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