しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

田辺朔郎像

2021年04月07日 | 銅像の人
場所・京都市左京区南禅寺草川町


琵琶湖疎水で有名な田辺朔郎。




【京都市公式】京都観光Navi

田辺朔郎
たなべさくろう
土木工学者。琵琶湖疏水の設計、工事監督者。
江戸生まれ。工部大学校卒業とともに京都府御用掛となり、疏水工事を完成。水力発電所設置を成功させた。
東京帝国大学教授。のちに京都帝国大学教授。第2疏水、水道など京都市三大事業にも尽力。
墓は東山区、市営大日山墓地。
蹴上公園に銅像。
1861(文久1)~1944(昭和19)





明治2年の「東京遷都」によって、急速に衰退した京都復興のため、
第3代京都府知事北垣国道は、琵琶湖と宇治川を結ぶ水運を開き、
同時に上水道、水力発電、灌漑、防火などに利用する琵琶湖疎水の一大プロジェクトを計画した。
工部大学校(現・東大工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎を、工事責任者に起用した。
この琵琶湖疎水工事は、設計も工事もすべて日本人による初の大土木事業であった。
古都京都は、いち早く近代化に着手し、このプロジェクトから日本初のさまざまな事業を展開している。



琵琶湖と京都市の標高差は約40mあり、琵琶湖疎水はこの標高差を利用した総合計画である。
第一疎水は明治18年(1885年)に着工され、明治23年に鴨川落合まで完成した。
大津市三井寺前の取水口から蹴上に至る。
蹴上は船溜まりで、ここから南禅寺船溜まりまで船はインクラインに載せられた。
第二疎水は電力需要と上水道のために明治41年に着手45年に完成した。
蹴上浄水場は、このとき造られた。
汚染防止に全線暗渠とされた。
この疎水の水は、水道水の他、発電、防火など京都市民の生活を現在も支えている。

「近代の産業遺産をたずねる」 日本修学旅行協会 山川出版社 2011年発行











撮影日・2010年4月8日



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1 コメント

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南禅寺 (killy)
2021-04-07 16:58:44
南禅寺にこの施設を通した当時は、南禅寺の地位が相当下がっていたといわれていました。
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