しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

三木武吉

2021年04月07日 | 銅像の人
場所・香川県高松市  栗林公園


保守合同で有名な政治家。栗林公園に銅像が建っている。


(Wikipedia)
保守合同

1955年(昭和30年)4月13日、三木は保守政党の結集を呼びかける。
三木は、社会党再統一に危機を抱いていた。
また、この時期、医者から癌のため余命もって3年を宣告されていた。
三木は党内合意を取り付けに動くと同時に、自由党に工作を開始する。
5月15日、三木は自由党総務会長の大野伴睦と会談を持つ。
三木は浪花節と愛国の情をもって、巧みに大野をかき口説き、大野の賛成を得る。
岸・三木・石井・大野四者会談が持たれ公式に自由・民主両党間で保守合同に向けて動き出す。
これに対して民主党内では三木武夫、松村謙三らが保守二党論をもって反撃する。
最後に総裁に誰がつくか平行線をたどった。
結果、総裁を棚上げし、困難と思われた保守合同が成し遂げられ、日本初の統一保守党・自由民主党が結成された。
三木は、鳩山、緒方、大野とともに総裁代行委員に就任した(5ヵ月後、鳩山が自民党総裁に就任)。
1956年(昭和31年)4月から病床に臥すようになり、7月4日に東京・目黒の自邸で死去。享年71。






三木武吉

「昭和怪物伝」  大宅壮一著  角川文庫 昭和48年発行

三木武吉氏は明治17年、香川県高松市に生まれる。
早稲田大学の前身東京専門学校を卒業し、明治40年弁護士開業。
大正6年より衆議院議員に連続6選。
昭和14年報知新聞社社長。
昭和17年、21年の総選挙に香川県より当選したが追放となる。
昭和26年追放解除以来、
保守合同の立役者として活躍し、昭和31年没。


彼は終始鳩山をかついできたが、別に鳩山から恩恵をうけたわけでもなければ、
鳩山に心服しているわけでもない。
三木は政治的理想を実現する手段として鳩山を使っていたと思われるフジがある。

伝説めいた話もつたわる。
ある演説会場で、
「あなたは妾を5人もおもちだそうですが、指導的地位にあるものとしていいのですか」
これに対し、
「5人というのは間違いで、実は6人です。

吉田調伏や保守合同が、曲がりなりにも成功するにいたり、一時鳩山引退後の次期総裁までが、
彼の方にころがみそうな形勢になってきた。









撮影日・2015年11月28日



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