しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

弘前第八師団跡

2021年02月06日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・青森県弘前市下白金町  弘前公園ふきん
訪問日・2018年6月28日  

青森県は、
青森が県都、弘前が軍都として発展してきた。





弘前城には第八師団の兵器支廠が設けられていた。






「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行

第八師団関連遺跡
「軍都」から「学都」への橋渡しとなった第八師団


政府は1896(明治29)に六個師団の増設を行い、
弘前市に第八師団の設置を決定する。

現存する偕行社は明治40年に着工し、翌年竣工した。
内部は華やかな照明器具と暖炉には英国製と思われる陶製品が使用されるなど、まさに将校の社交場として相応しい装飾である。
旧第八師団長官舎は大正6年に建てられた。
現在は市長公舎として使用され、非公開である。

第8師団の主な出兵は、
日露戦争の黒溝台・奉天の戦いに始まる。
20.000人の将兵のうち6.300人が死傷する痛手を負ったものの、大戦果をあげ、
後に日本陸軍「最強師団」「国宝師団」と称される。

戦後は、多くの施設が学校用地及び住宅地となり、「軍都」から「学都」へと変貌した。
現存する建造物・施設は非常に少ない。







平成27年、師団長の官舎はスターバックスになった。


スターバックスコーヒー 弘前公園前店(旧第八師団長官舎)


この付近↑↓は弘前観光の中心地。


こちらは旧弘前図書館。
スターバックスの隣にある。
日露戦争で儲かった業者の寄付金などで建設された。







なお、第八師団でもっとも有名な雪の遭難事故の新田次郎「八甲田山死の彷徨」は、当初から史実とは相当違うそうで、最新資料でさらに違うそうだ。
映画「八甲田山」もそうゆうことになる。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 善通寺陸軍第十一師団跡 | トップ | 軍神・関行男中佐「神風特攻... »

コメントを投稿

「戦争遺跡」を訪ねる」カテゴリの最新記事