しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

広島大本営

2023年08月06日 | 「戦争遺跡」を訪ねる

場所・広島県広島市中区基町  
訪問日・2016年3月31日  

 

日清戦争当時(明治27・28年)、広島市の広島城跡の陸軍第五師団に大本営が置かれた。
広島の大本営は2年間で終了したが、
第五師団は昭和20年8月15日まで存続した。
宇品港と一体化した軍都として広島は大いに栄えていた。

 

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中国軍管区司令部跡
Wikipedia
中国軍管区司令部跡(ちゅうごくぐんかんくしれいぶあと)は、広島県広島市中区基町にある、大日本帝国陸軍中国軍管区司令部防空作戦室の遺構。旧陸軍の防空作戦室は全国に6ヶ所あったことはわかっており、ここは現存唯一のものになる。広島市への原子爆弾投下の第一報を外電した場所であり、現存する被爆建物の一つ。国史跡広島城址公園内にあり本丸を囲む内堀の石垣付近に位置し、広島護国神社境内隣にある。半地下式鉄筋コンクリート平屋造。入り口には広島市により原爆被災説明板が設置されている。

歩兵第十一連隊 跡
池田勇人の像の南側の木陰にある歩兵第十一連隊の跡です。広島城の内堀の東側の広大な場所、現在の裁判所や合同庁舎をすべて含むこの連隊の敷地でした。
明治初旬の萩の乱から始まって、西南戦争、日清戦争、シベリア出兵、日中戦争などに出兵し、太平洋戦争においてはマレー作戦に参加しています。日本近代の主な戦争において重要な役割を果たしました。そういった歴史が書かれている。
歩兵第十一連隊の門柱。東から撮影したもので、奥に見えるのは広島城本丸の石垣で、手前は内堀です

広島陸軍幼年学校 跡
「明治維新」後、「広島城」には陸軍の「第五師団」が置かれ「日清戦争」の最中である1894(明治27)年9月には、軍を指揮する「大本営」が、東京から前線に近い広島に移された。明治天皇も広島に滞在し、一時、広島は日本の首都機能を果たしていた。1894(明治27)年10月に開催された「第7回帝国議会」は「広島臨時仮議事堂」で開催されている。








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「広島県の歴史」 岸田裕史著 山川出版社 2012年発行

第5師団
昭和12年7月7日、盧溝橋の日中両軍が衝突後、
第9旅団(歩兵11聯隊・広島、歩兵41聯隊・福山)が出動。
長城戦に参加。済南・徐州・広東・ノモンハン・ベトナム他にわたる戦闘や警備に従事した。
特に被害の大きかったのは、昭和14年のノモンハン事件である。
広島で編成された歩兵71聯隊の死傷率は94%に達し、全参加部隊中の最高率を示し、事実上全滅の状況であった。

太平洋戦争がはじまるとマレー半島に上陸した。
昭和17年2月からの「華僑粛清」では、日本側が認めただけでも5.000人。
地元では4~5万人が虐殺されたといわれている。

この後、第5師団の部隊は、終戦まで豪北(ソロモン・ニューギニア)方面、
ジャワ島・ミンダナオ島・レイテ島などを転戦した。

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