しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

笠岡高校創立120周年

2022年10月08日 | 江戸~明治

(山陽新聞・2022.10.6)

 

祖母は明治27年に、茂平の農家の次女に生まれた。
長女が家を出たので、次女である祖母が養子取りになって家を継いだ。

家を出た長女

長女が小学校の5~6年生の頃、笠岡の町に「女学校」が出来ることが決まった。
その話を聞いた長女は、どうしても「上の学校」に行きたくなった。
吉浜の分限者の人で、子なしの人が、女学校に進学したいという少女の噂を聞いて、
茂平の家に来て「うちの養子になるなら、女学校にいかしちゃる」と話した。
長女は、親の言葉を待たずに「養子に行く!」
長女は家を出て、養女になり、そして「笠岡町立女学校」に入学し、卒業した。
第二回卒業生だった。

長女は一女を残して若くして亡くなった。
その一子は毎年、お盆に先祖の墓参りに来ていた。
父の従妹になるが、多くの親族(父の兄弟や従兄妹)が集まる中でも、その一子は話すことがしっかりし、容姿も優れて、話の中心にいた。

その父の従妹の思い出は、笠岡女学校に進学した祖母の姉とセットになって想い起こす。
創立当初の笠岡女学校の生徒は気鋭の人々の集まりであったに違いない。

 

(中国新聞・2022.10.7)

 

 

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