冷えたスイカを食べる時があった。
冷えたスイカは美味しかった。
それはお盆の時。
盆の来客用にスイカを一個か二個、井戸で冷やしていた。
タライに井戸水とスイカを入れて1晩以上かけて冷やしていた。
客が揃った頃を見計らい、母が包丁で真っ二つに切る。
この時、見る方も少し緊張する。
そのわけは、
稀に熟れていない、または逆に盛りが過ぎてスカスカの場合があるから。
更に等分に小さく切って盆にもって客に出す。
そのスイカを食べる。
冷えたスイカはうまい。うまかった。
(スイカを食べる・松竹映画「馬鹿っちょ出船」都はるみ)
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普段は冷えてないスイカ、
というより熱いスイカを食べていた。
形の悪いスイカを、おやつ代わりで食べていた。
水よりは少し腹が太るし、それに甘みもある。
スイカの種はカドに向かって吹き飛ばし、食べくさしは牛のエサ箱にほうり込んでいた。
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夏休みのことを、ヒトコトで言えば「海で遊ぶ」ことだった。
海は楽しかった。
面白かった。
飽きなかった。
足の裏には、いつも切り傷があった。
朝、目が覚めると、「汁かけ」を食べて海へ行っていた。
海に行けば、必ずどこかで子供が遊んでいた。
満潮では泳ぎ、
干潮では磯遊び。
ほっとけば朝から暗くなるまで、海にいるのだが、途中で腹が減る。
腹が減るので帰る。
家の柱時計を見ると、昼飯時間は12時から午後2時半の間の、日変わりだった。
食べたら昼寝をした。親も昼寝をしていた。
しかし、遊びをやめられず、家に帰らずに海で遊ぶ日があった。
その時はドンガメを食べていた。
海辺で、木の葉、紙、木切れ、の薪燃料を集める。
石ころで、くどを作る。
猟師の船からドンガメを一匹失敬する。
ドンガメを焼く。
焼き始めると、強烈な臭いが、まわりに漂う。
鼻をつまんで、風をおこし、くどの火の勢いを増す。
焼いたドンガメを食う。
不味い。
臭い。
それでも、腹をいくらか満たしてくれる。
目的を果たし、
海での遊びを再開する。
ドンガメを食った日は、朝から晩まで、海で遊んでいたが、
今思うに、ほんとうに、夏休みに勉強はしていなかったな。
いちばん多かったのは、卵を産まなくなった鶏の肉。
他に、
羊
家で飼っていた羊が死んだとき、何日間も羊の肉を食べた。
雀
空気銃を持っていた人が雀を撃って、それを焼いて食べたが、中身は少なく炭を食べているようなものだった。
馬
父母や姉は食べたようだが、自分はない。
犬
戦後すぐの日本や、戦時中の外地で野犬を食べていたそうだ。(父の体験談)
豚
戦時中の外地(中国)で、民家の豚を横取りして食べていたそうだ(父の体験談)
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「成羽町史民俗編」 成羽町 平成3年発行
鳥獣の肉
農家は家畜として牛を大切にしたため、普通これを食べなかった。
兎・鶏・猪等の肉も食べるようになったが、一般の農家が食べるようになったのは、そんなに古くからではない。
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「矢掛町史民俗編」 矢掛町 昭和55年発行
獣肉
廃鶏を食べる程度であった。
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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫 昭和52年発行
肉
古代の日本は牛をイケニエ(生贄、犠牲)として神に捧げ、
酒を振舞い、肉を食べた。
中世以降、獣肉食の衰退は、仏教の殺生を嫌ったこと、土公神信仰の影響が大きい。
明治になって徴兵制が施され、軍隊内では獣肉食をさせた。
兵隊帰りが軍隊でおぼえた肉食を秋祭りなどでするようになり、庶民の間に広まっていった。
牛肉の鋤焼は大正中ごろ大阪でその名が起こったといわれる。
ごく新しい名称である。
豚
明治以後各地で普及した。
トンカツにキャベツをそえて食べるようになるのは昭和7~8年以後のことであり、
キャベツは明治以降普及した野菜である。
山羊
明治以後飼育の家畜である。
第二次大戦以降、欧米食の浸透が獣肉食を普遍化していった。
鶏肉
かつて民家では2~3羽の地鶏を放ち飼したものである。
夜になると鳥屋にはいってねたのである。
一羽は必ず雄鶏を飼い、自然交配で孵化させた。
一番ドリが鳴いた、二番ドリが鳴いたで、などで仕事に出かけた。
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