しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

鳥獣の肉

2023年04月20日 | 食べもの

いちばん多かったのは、卵を産まなくなった鶏の肉。

他に、

家で飼っていた羊が死んだとき、何日間も羊の肉を食べた。

空気銃を持っていた人が雀を撃って、それを焼いて食べたが、中身は少なく炭を食べているようなものだった。

父母や姉は食べたようだが、自分はない。

戦後すぐの日本や、戦時中の外地で野犬を食べていたそうだ。(父の体験談)

戦時中の外地(中国)で、民家の豚を横取りして食べていたそうだ(父の体験談)

 

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「成羽町史民俗編」 成羽町 平成3年発行

鳥獣の肉
農家は家畜として牛を大切にしたため、普通これを食べなかった。
兎・鶏・猪等の肉も食べるようになったが、一般の農家が食べるようになったのは、そんなに古くからではない。

 

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「矢掛町史民俗編」 矢掛町 昭和55年発行

獣肉
廃鶏を食べる程度であった。

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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

古代の日本は牛をイケニエ(生贄、犠牲)として神に捧げ、
酒を振舞い、肉を食べた。
中世以降、獣肉食の衰退は、仏教の殺生を嫌ったこと、土公神信仰の影響が大きい。
明治になって徴兵制が施され、軍隊内では獣肉食をさせた。
兵隊帰りが軍隊でおぼえた肉食を秋祭りなどでするようになり、庶民の間に広まっていった。
牛肉の鋤焼は大正中ごろ大阪でその名が起こったといわれる。
ごく新しい名称である。


明治以後各地で普及した。
トンカツにキャベツをそえて食べるようになるのは昭和7~8年以後のことであり、
キャベツは明治以降普及した野菜である。

山羊
明治以後飼育の家畜である。
第二次大戦以降、欧米食の浸透が獣肉食を普遍化していった。

鶏肉
かつて民家では2~3羽の地鶏を放ち飼したものである。
夜になると鳥屋にはいってねたのである。
一羽は必ず雄鶏を飼い、自然交配で孵化させた。
一番ドリが鳴いた、二番ドリが鳴いたで、などで仕事に出かけた。

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