毎年秋になると、浜のTちゃんの家から道側に、ザクロの実が倒れ掛かるように実をつけていた。
あの実がほしい。
あれを食べてみたい。
それが少年の夢の一つだった。
小学校の6年のとき、家を建て替えた。
その時、庭に親がザクロの木を一本植えてくれた。
翌年の夏、花が咲き、
秋になると実になった。
毎日が楽しみで、実が割れて、熟れてくるのと、食べごろになるのを待った。
ある日、熟れて実は透明色で、これ以上はない大きさ・色になった。
そして、ついに、長年のあこがれれであったザクロの実を木からちぎった。
一口、くちにいれると、
すっぱくて、味は無かった。
半分食べても、すっぱさを感じるだけだった。
一個食べ終わるころ、もう二個目を食べようという気はまったくしなかった。
そのザクロは今は、古木になったが毎年、花を咲かせ,実もついている。
実を食べたのは、最初の年の私が一個が唯一の果物となった。
ザクロは見た目と違って、味は食べるに値しなかった。
その時感じた、外見と中身の違いは、
少年から大人になろうとする自分にとって生きた教訓になったような気がして、今もよく覚えている。