しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ザクロの実

2023年04月21日 | 食べもの

毎年秋になると、浜のTちゃんの家から道側に、ザクロの実が倒れ掛かるように実をつけていた。
あの実がほしい。
あれを食べてみたい。
それが少年の夢の一つだった。

小学校の6年のとき、家を建て替えた。
その時、庭に親がザクロの木を一本植えてくれた。
翌年の夏、花が咲き、
秋になると実になった。
毎日が楽しみで、実が割れて、熟れてくるのと、食べごろになるのを待った。
ある日、熟れて実は透明色で、これ以上はない大きさ・色になった。
そして、ついに、長年のあこがれれであったザクロの実を木からちぎった。

一口、くちにいれると、
すっぱくて、味は無かった。
半分食べても、すっぱさを感じるだけだった。
一個食べ終わるころ、もう二個目を食べようという気はまったくしなかった。

そのザクロは今は、古木になったが毎年、花を咲かせ,実もついている。
実を食べたのは、最初の年の私が一個が唯一の果物となった。

 


ザクロは見た目と違って、味は食べるに値しなかった。


その時感じた、外見と中身の違いは、
少年から大人になろうとする自分にとって生きた教訓になったような気がして、今もよく覚えている。



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倉敷で労研饅頭(ろうまん)が蘇る

2023年04月21日 | 令和元年~

明日・明後日、G7労働雇用相会合が倉敷の「倉敷アイビースクエア」で開催される。


それに合わせ、岡山木村屋が倉敷ほか岡山県下で「労研饅頭」を復活販売するそうだ。
ろうまん誕生の地、倉敷で復活はよろこばしい。

 

(ろうまん・松山市)

 

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「倉敷市史6・資料編」

大原孫三郎が労働理想主義を具体化するため「倉敷労働科学研究所」を設立した。

大正14年、
集団栄養を取り上げ、紡績労働者の所要カロリー決定による給食炊事の献立改善に寄与した。労研饅頭の開発もこの研究の産物であった。
労研饅頭は主食代用品としての栄養価値がきわめて高く、日本人に親しみのある一種の「蒸しパン」で蛋白質・脂質・含水炭素が高かった。

昭和6年、
時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)の一環として労研饅頭普及運動が始まった。
食糧問題解決の国家事業として指定組合を通じて行われた。

昭和11年時の指定組合員は、北海道から九州まで24市2郡3町に及んでいた。
岡山県内では倉敷市・岡山市・津山市・林野町・和気郡・笠岡町に指定組合員がいた。

倉敷市で開発された労研饅頭(ろうまん)は、愛媛県松山市でも普及し今日まで製造販売を続けている。

 

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母の話・2015.1.1

ローマン

(井原高等女学校の前にある)コマツ屋ようた。

そこへ買いに行きょうた。一袋へ四つ入とった、5円しょうた。
安ぃんじゃ、あの頃の5円はやしぃ。
弁当を持っていかんもんがエットおろう、そうゆうもんが皆、あれを買うて食びょうた。
蒸しパンのようなもんじゃ。中へ黒い豆がへぇとるだけじゃ。
昼になれば急ぇで買いにいきょうた、よう売りょうた。
「早ぉ行かにゃあのうなる」ゆうて言ぉた。
学校の中でも、だいしょう売りょうたかもわかんらんなあ。

興譲館の下でも、「よう売れる」ゆうてようた。
豆はところどころに入ぇて、味はええようにしてあった。

・・・

(愛媛県松山市大街道・たけうち 2019.4.2)

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お茶を飲む

2023年04月21日 | 食べもの

お茶は、ご飯を食べて
茶瓶から・・・湯吞み茶碗でなく・・・ご飯を食べた、その空の茶碗についで呑んでいた。

茶瓶も時代劇に出るような立派なものでなく、鋳掛屋が何度も修理しつくした茶瓶だった。
お茶の味は不味かったが、学校の先生が「昔はさ湯を吞んでいた。病気の時だけお茶を飲んだ」と話していたので、家のお茶は不味かったが、飲めるだけ贅沢なのだと思っていた。

小学生は水筒を持って行くのは、遠足の日だけだった。
昼の弁当は、お茶なしで食べていたのだろうか?思い出せない。


(中学生の時は、アルミ弁当のフタに当番がヤカンからついでいた。それは麦茶だったように思う)

 

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(父の話)
お茶
うつろの畑でつくりょうた。
葉っぱ。若い葉っぱ。

これをうむしょうた。

もちをつくときうむす、あわあな感じでうむしょうた。くどで。
ホトンドが番茶じゃ。

何ぼか客用に買うとくが、家のようは自給じゃ。

2000・12.24

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江戸時代末期に国民的飲料になった。
畑の畔とか岸などに、チャの木を何本か植えておく。
春には新芽を摘み、冬の12月には軸から刈り取って,葉とともに刻み、蒸して干す。
「岡山ふだんの食事」  鶴藤鹿忠  岡山文庫  平成12年発行



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「鴨方町史」 鴨方町 昭和60年発行


たいていの家では、畑のギシなどに茶樹を植えており、自給する。

 

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「米・麦・豆」 ポプラ社 2009年発行

大麦

平たくつぶしたおし麦を、米と混ぜて麦飯にする方法で食べられてきました。

お菓子、ビール、ウイスキー、家畜の飼料などします

(麦茶)

大麦を炒ったもので、お湯で煮だして飲む

江戸時代から飲まれていて、夏は冷やすとおいしい、

最近はペットボトルのものが主流になっている。

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ほうじ茶

畑の周りにお茶の木を植えていた。
夏に葉をつんで天日でよく干して押し切りできざみ、ほうろくでカラ炒りしてほうじ茶を作った。
香りがとてもよく、
今でも緑茶よりほうじ茶をのむ家が多い。

「中央町誌・民俗編」 美咲町 平成29年発行

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