しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

サツマイモ

2023年04月16日 | 食べもの

農家の母屋の床下に芋壷があった。
スクモの中にサツマイモを入れていて、それを年中食べていた。
ふかし芋は大人の間食、子供のおやつを代表するものだった。

ふかし芋は戸棚に必ずあるもので、三食以外の腹の足しにしていた。
焼き芋・天ぷら・あんころ・切り干し・混ぜ飯等でも食べた。

笠岡には江戸時代”芋”代官がいて、昭和に”芋”博物館もあった。

 

・・・・

 

「金光町史 民俗編」 金光町  平成10年発行


サツマイモ


サツマイモは大切なご飯の足しであった。
納屋や下の間の下に穴を掘って芋床を作り、芋を山のように入れて、間にすくもを入れて保存した。
特に戦時中にはサツマイモ、ジャガイモ、南瓜は人々の命を支えた大切な主食であった。


「金光町史 民俗編」 金光町  平成10年発行

 

・・・・・

 

「矢掛町史民俗編」 矢掛町 昭和55年発行


サツマイモ

米の代用によく食べた。
また第二次大戦中、砂糖の代用にイモヨウカン、イモアメを作った。

・・


「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行


サツマイモ(薩摩芋・甘藷)


原産地・メキシコ、ガテマラ
アメリカからヨーロッパに渡り、
日本には中国から宮古島に渡ったのが始まり。
九州南部で栽培され「薩摩の芋」として全国に定着した。

 

 

・・・

「岡山県史・民族Ⅰ」 昭和58年 山陽新聞社出版より

サツマ芋


サツマ芋・イモ・琉球芋・カラ芋・唐人芋などと呼んでいる。
笠岡代官所の井戸平左衛門は薩摩からサツマ芋を取り寄せて普及し、その遺徳は芋代官と呼ばれた。
荒地、開墾地もけっこう育ち、豊凶が少なく、税の対象にもならなかった。
熱帯作物で腐りやすいので、いも壷を床下に大きな竪穴を掘り小麦藁を立て,底にはスクモを敷きサツマ芋を並べ、そのまた上にスクモを入れていた。
こうして年中食べる分を入れておいた。

 ・・・・


「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行


薩摩芋


サツマイモ、イモ、琉球芋、カライモなどと呼んでいる。
笠岡代官所の井戸平左衛門は薩摩から薩摩芋を取り寄せて普及に努めた。
笠岡市には芋博物館があった。

 

・・・

芋飴

 
(母の話)
芋あめは売りにきょうた。たくみさんのとこで。戦後神戸から帰ってきて。
おばさんは「テンプラはどうですか?」いうて売りにきょうた。おじさんは自転車でトウフを売りにきょうた。
トウフは朝作って、それから芋飴をつくりょうた。子供のいーさんは1番じゃった。中学を卒業する時に引揚げて神戸にいんだ。

(父の話)
さつま芋で。芋を買うて作りょうたんじゃけい、高いもんにつく。狭い家に住んどったが、なんでもやりょうた。

 

 20002年10月14日

 

・・・

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おやつ・間食

2023年04月16日 | 食べもの

「おやつ」でまっ先に思い浮かべるのは、「ふかし芋」。よく食べた。

後年、大人が「焼き芋屋」でお金を払って買うのを知って、一瞬信じられなかった。

 


家にあるおやつ。
ふかし芋・はったいこ・炒り豆・吊るし柿・干しイチジク・あられ餅・柿・

子供が自給するもの。
びーびー・しーしー・ぽんぽん・ゆすらうめ・なつめ・ニッキ(にっけい)・どんがめ・さるきん・蜂の子・食用カエル・

買う物
飴玉・キャラメル・


行商
パンパン菓子・アイスキャンデー・

・・・

(母の話)


芋あめは売りにきょうた。
たくみさんのとこで。戦後神戸から帰ってきて。

金浦からは小麦を買いにきょうた。小麦を出せば、ちいとばあ「せんべい」をくれてんじゃ。
大事にしておやつにして食びょうた。

そのころはポン菓子が来ればようしょうた。


 2002年10月14日

・・・・・

「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行

おやつ

飴玉
大きな飴玉は二銭した。
お菓子を買って食べることはまれであった。

大豆やソラ豆を煎ったもの
氷餅を焼く
アラレを煎る
グミ、ユスラ、イタドリ
そら豆の塩ゆで

・・・・

「福山市引野町誌」 引野町 昭和61年発行
間食
ふかしいも
焼き芋
そらまめ、えんどう、など豆類を炒ったもの
吊るし柿
果物

・・・

「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行

子供の間食
春にはグイビやユスラ・ノイチゴ・シャッポン・シイトーなど。
竹の皮を三角形に包み、なかに梅漬けのシソを入れ、角から吸う。
炒った大豆やそら豆・アラレ・カキ餅など。
夏には、
ビービー・サトウキビ・スイカ・マクワウリ・ヒシの実・
ヒシの実は塩ゆでして皮をむく。
トウモロコシは蒸したり焼く。
秋には、
ヤマブドウ・ヤマナスビ・アサドリ・カキ・カキのずくし・ミカン・キンカン・アケビ・ガラビ・桑の実などを食べた。
ニッケイの根を掘って、根を噛んだり、羽柄も噛むことがあった。
ゆでた栗や蒸したサツマイモも間食であった。
ハチの子やハミを食べる。
ハミは皮をむき、骨を干す。
焼いて食べたり、焼いた骨をすり鉢ですって粉にして飲む。
薬になるという。
丸ごと焼酎漬けにする家もある。

・・・
「矢掛町史民俗編」 矢掛町 昭和55年発行

こどものおやつ
豆類が多く、
ソラマメ、大豆のいりまめ、あげまめ。
山野のものとして、
アサダレ、グイビ、アケミ、山ナスビなどを採った。

・・・



「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
炒り粉
炒り粉と呼んでいるが、麦コガシ・ハッタイコともいう。
裸麦をほうろくで炒って粉にしたものを茶碗にいれ、
塩または砂糖を加えて、熱湯あるいは水をそそいで箸でかきまぜて食べる。

 

・・・

砂糖
たいていの家で、子供の間食用にサトウキビを植えていた。
軸を噛み、甘い汁を吸った。
「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行

・・・

野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行

トウモロコシ
米・麦とともに主食としても食べられる世界三大穀物。

・・・

「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

子供の間食

冷や芋、蚕豆や大豆の炒り豆、
春にはユスラ、ビービー、苺、スモモ、フームーサー、野苺、イタドリ、竹の実・・。
夏には、桑の実、野苺、オオカワイチゴ、ホンボロイチゴ、ビワ・・・。
秋には、トウガキ、ザクロ、アサダレ、ヤマブドウ、ナツメ、ニッケー・・。
冬には、アラレ。

・・・

「成羽町史民俗編」  成羽町 平成3年発行

子どものおやつ
小どものおやつは、買い与えることはなく、農産物を加工したもお、又は果物等であった。
大豆を炒ったもの、餅を切って干した「あられ」「かき餅」「炒り粉」等であった。
正月餅と同時に搗いたり、あられは薄板に伸ばし四角に揃えこれを切って作った。
麦を炒って粉にした炒り粉は、熱湯を入れて食べた。砂糖を入れたものは上等であった。
山の幸を自分で採ってあやつとしたもの。
柿・栗・アケビ・クルミ・苺・いたどり・びわ・山梨。
蜂の巣から蜂の子をとる。

・・・

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする