しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

厚子さんの結婚

2021年01月03日 | 昭和26年~30年
あの頃(昭和27年)、東京から岡山はとてつもなく遠かった。
蒸気機関車に乗って、東京から、東海道本線と山陽本線を下ってくる。
15~16時間だろうか。

前にも後にも(たぶん明治以降すべて)皇女が東京を離れたことはない。


父は、天皇が遠方に捨てたような、というような話をしていた。
母は、実際の厚子さまを見て「あのような品(ひん)のある人を今まで見たことがない」と感謝・感激気味。


結婚後、岡山県内では2~3年間婦人会による池田牧場参りが盛んだった。



(茂平婦人会が池田厚子さんと記念写真)昭和30年頃か 池田牧場にて


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「昭和戦後史・上」古川隆久著 講談社 2006年発行

順宮の結婚

昭和26年7月には、昭和天皇の四女順宮厚子(よりのみやあつこ)が、
旧備前岡山藩主という名家出身の岡山で牧場をいとなむ池田隆政と婚約を発表し、
27年10月10日に結婚した。

婚儀は簡素で、嫁入り道具なども中古品が中心であった。
披露宴こそ池田家の主催で東京会館でおこなわれたが、新婚旅行もなかった。
まだ余裕のない人たちが多い世情に配慮したものであろう。



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笠岡高校沿革

2021年01月03日 | 城見小・他校
笠岡高等女学校沿革
 「笠岡高校70年史」 笠岡高等学校・編集部  凸版印刷  昭和47年発行



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明治35年 笠岡町立笠岡女学校開校式(4.8)本科4ケ年160 技芸3ケ年60
明治44年 修学旅行、阪神地方へ行く


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大正7年 現在地大久保に校舎落成・移転
大正8年 笠岡高等女学校(・・・高等女学校令改正、就業は4年または5年)
    本科5ケ年750
大正11年 海水浴をはじめて行う(7.23)



(大正2年卒業)



(裁縫の授業・生徒は全員着物で頭は全員束髪)



(完成した校舎・昭和41年頃まで使用)




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昭和2年 屋内体操場落成
昭和3年 県立に移管 (4.1)
昭和4年 奉安殿落成
昭和11年 校歌制定
昭和19年 学徒動員により水島の航空機工場に出勤する(6.15)



(射撃訓練)



(ダンスの授業)




(昭和15年頃・勤労奉仕)




(神武天皇の高島の清掃)




(修学旅行は宮城、ずいぶん遠方まで行ったもの)




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昭和23年 岡山県立笠岡第二高等学校(4.1)
昭和24年 最後の旧制高等女学校の卒業式を行う(3.16)
     岡山県立笠岡高等学校千鳥校舎(9.1) 普通600 家庭300 定時制 160(←定時制35年廃止)
昭和28年 岡山県立笠岡高等学校(独立校となる)
昭和33年 運動場拡張事業はじまる 



(昭和25年度・笠岡高等女学校入学で笠岡高校卒業)



(昭和27年度・写真の左に男子生徒が見える)



(昭和42年度・新校舎での授業、窓の外に旧校舎が見える)


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