「新修倉敷市史第六巻」倉敷市 平成16年
戦時体制・空き地の芋づくり
昭和16年ごろから空き地に野菜や雑穀を栽培するのが奨励され始めたが、
昭和18年6月、政府が休閑地を動員して雑穀などを栽培する食糧増産応急対策要綱を出し、
岡山県が河川敷や道路敷などの活用基準を決めると、今の総社市以南の高梁川下流の河原約20ヘクタールを筆頭にして、県内の三大河川下流の河川敷を利用する希望が続出した。
また岡山県青少年団は岡山・倉敷の国道沿線の青少年団を動員し、同国道の両側で大豆を栽培することを決定。
さらに倉敷国民学校新川校舎では低学年児童の父母らが校庭を耕し、
水島の三菱航空機製作所は工場敷地で乳牛・豚・鶏などを寮の残飯や台所くずなどで飼って食料にするため
家畜飼育施設の建設を始めている。
食糧不足の深刻さがうかがえよう。
戦時体制・ガソリン不足
石油類は日を追って不足した。
昭和13年から切符制。
トラックの輸送範囲は50㌔以内。バスは減便。
昭和18年には高梁川などに高瀬舟が復活し、
翌年には味野や高梁でリヤカー輸送隊が発足した。
岡山では15人乗りの乗り合い馬車が大雲寺~福島を運行するようになった。
農作業用の石油は、
籾摺りや灌漑に石油発動機を動かす以外は禁止され、足踏み脱穀機などが復活した。
戦時体制・電力
昭和17年11月から使用制限が始まり、
昭和18年10月から看板灯・暖房用電熱器・扇風機などが使えなくなった。
昭和19年になると、家庭では「夜10時以後絶対消灯厳守」運動が展開された。
その年6月から家庭は一戸一灯だけで、点灯は7時46分から10時まで。
料理店や飲食店は午後9時までとされた。
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(小さな絵本美術館 ミネルヴァ書房 2005年発行)
戦時体制・空き地の芋づくり
昭和16年ごろから空き地に野菜や雑穀を栽培するのが奨励され始めたが、
昭和18年6月、政府が休閑地を動員して雑穀などを栽培する食糧増産応急対策要綱を出し、
岡山県が河川敷や道路敷などの活用基準を決めると、今の総社市以南の高梁川下流の河原約20ヘクタールを筆頭にして、県内の三大河川下流の河川敷を利用する希望が続出した。
また岡山県青少年団は岡山・倉敷の国道沿線の青少年団を動員し、同国道の両側で大豆を栽培することを決定。
さらに倉敷国民学校新川校舎では低学年児童の父母らが校庭を耕し、
水島の三菱航空機製作所は工場敷地で乳牛・豚・鶏などを寮の残飯や台所くずなどで飼って食料にするため
家畜飼育施設の建設を始めている。
食糧不足の深刻さがうかがえよう。
戦時体制・ガソリン不足
石油類は日を追って不足した。
昭和13年から切符制。
トラックの輸送範囲は50㌔以内。バスは減便。
昭和18年には高梁川などに高瀬舟が復活し、
翌年には味野や高梁でリヤカー輸送隊が発足した。
岡山では15人乗りの乗り合い馬車が大雲寺~福島を運行するようになった。
農作業用の石油は、
籾摺りや灌漑に石油発動機を動かす以外は禁止され、足踏み脱穀機などが復活した。
戦時体制・電力
昭和17年11月から使用制限が始まり、
昭和18年10月から看板灯・暖房用電熱器・扇風機などが使えなくなった。
昭和19年になると、家庭では「夜10時以後絶対消灯厳守」運動が展開された。
その年6月から家庭は一戸一灯だけで、点灯は7時46分から10時まで。
料理店や飲食店は午後9時までとされた。
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(小さな絵本美術館 ミネルヴァ書房 2005年発行)