しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

学校の戦争末期の食糧増産運動 

2021年01月08日 | 城見小・他校
父が復員した時、村役場の裏畑に村民から供出の鉄のヤカンや火鉢が山積みされていたそうだ。
村では夜光虫は取ったが、何に使うのかも知らされなかった。
ヒマも栽培された割には使用された記録をみない。
大人から子供まで、そして兵士まで動員して採集した松根油も航空燃料として使わわれのか、または破棄されたのかよくわからない。

この記事↓には児童が木の実を集めて神島肥料に送ったとあるが、笠岡市史にはそれに関する記述はない。
児童が集めた実も、こっそり裏山に処分されたのだろうか?


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戦争末期の食糧増産運動 


「岡山県教育史」 岡山県教育委員会 昭和49年発行

戦争末期にいたると食糧不足は深刻となり、学校も総力をあげて増産運動に取り組むことになった。
児童生徒による樹実の採集出荷の努力を要請している。
椿の実をはじめとして、トチ、ナラ、クヌギ、アベマキ、ブナ、カシ、シイ、カシワ類等の植物いっさいにわたっており、
農山村の児童が中心になって採集に努力した。
発送先は小田郡神島外村神島人造肥料(株)となっていた。


(元・神島人造肥料)笠岡市神島外浦 2020.11.30


19年10月5日付けで、県は堆肥確保のための草刈り動員の文書を出した。
これは肥料事情の悪化にに伴い、自給肥料、特に堆肥の増産確保が緊急の要務となり、
政府が全国的に実施を呼びかけたもの。
国民学校は少年団、中等学校は報国団の運動として展開した。

岡山県の目標量は5.223万貫となっており、一人平均290貫で相当の負担であった。
農村の採草地をさけて採集する注意があったので困難であった。

初等科の児童は対象にならなかったが、それぞれ生産活動に協力した。
乾燥刈り、炭焼き、どんぐり集め、いも作り、豆作り、堆肥作り、
児童の力でできることは協力奉仕した。

運動場の周辺は掘り起こして畑にした。
いもや豆やヒマを栽培した。
ヒマは航空機の潤滑油にするというので、力をいれて栽培し供出した。
児童がバケツを掲げて町に出て、馬糞を拾い集める風景もよく見られた。学校で肥料にした。


19年3月23日岡山県は次の事項を指示している。
学校敷地に関し、耕作しえる余地あるものは学校報国農場として利用する。
甘藷、馬鈴薯、大豆、蕎麦、玉葱、栗、黍。
昨年収穫の種子を活用。
肥料は配給なし。自給肥料の増産をなすこと。特に加里肥料は草木灰よりの他に方途なし、蒐集施用に務ること。
学徒は学校行事に支障ない限り勤労協力すること。

つづいて、11月7日。
「校地の高度利用に関する件」を指示し、
校地を高度に田園化することを至急実施されたい。

田園にすべき面積左の割合にて運動場を残し他を田園化す
中等学校
1.2年生徒の体操教練の最低面積
青年学校
中等学校に順ず
国民学校
初等科総数に対して1人当り0.8坪

食料農産物にを栽培する
至急作付けを行うこと





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