しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和19年、「飲食店は午後9時まで」

2021年01月12日 | 昭和16年~19年
2021年1月7日、東京では飲食店の営業時間は午後8時までという「新型コロナウイルス緊急非常事態宣言」を発表した。

今から77年前にも飲食店は”午後9時まで”という政府決定があった。


お店の営業時間を短くするのは似ているが、背景や目的が大きく異なる。


今回の”午後8時まで”
原因と目的・新型コロナの感染を予防するため。(人との接触を避ける)




(小さな絵本美術館 ミネルヴァ書房 2005年発行)


前回の”午後9時まで”

原因と目的・電力不足。
     ・米軍の夜間空襲から逃れるため。(暗くする)
     
他にも要因が多い。
「ぜいたくは敵だ」という時代に外食は「営業規制」された。
食堂が食材に不足。


77年前と比べ全く異なるのは、
日本には、そもそも外食文化はなかった。(東京と大阪の金持ち市民限定)
電力は、田舎の家では早寝早起きで夜間の利用時間は限られる。

これは↓、茂平の隣村の話だが、日本全国の農村・山村・漁村は、ほぼ同じだったと思う。
管理人の家族や地域の人からも、戦時中の電灯時間の規制が話題になった記憶はない。


「野々浜むかし語り」1991年 野々浜公民館

野々浜に電灯が灯るようになったのは、大正11年。
大概の家は、一軒に一灯しかなく、それだけで用を足していた。

家の真ん中の辺りに電灯を吊るしておき、飯を食う時はコードを引っ張って台所へもって行くし、
お客が来れば、下の間に運ぶ。
そんな使い方で1灯だけで間に合わせた。
戦後もしばらくの間は一軒に一灯が野々浜の標準的な家、という時代が続いた。



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