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Plavi voz ~チトー大統領のブルートレイン 3:ブルートレインよ永遠に

2017-09-17 | 旅行記:2017 セルビア・ブルガリア
Photo:朽ち果ててゆくチトーのブルートレイン専用機関車


2:ようこそ、ユーゴスラヴィア大統領専用列車へ!からの続き

チトー大統領の専用列車Plavi voz「ブルートレイン」の車内を見せてもらった後、車庫の外に置かれていた鉄道車両を見て周る。
実は、この車庫に来た時から外に放置されている車両が気になっていたのだ。


職員のクルマやレール等の資材に囲まれるように置かれたこの車両…
かなり傷みが激しく、廃車前提で放置されているような状況だが、車体の規格が車庫内のブルートレイン車両とは明らかに異なる。



その奥には、3両のディーゼル機関車がこれまた雨ざらしのまま朽ち果てた状態で置かれていた。



車体は腐食が進み塗装も剥げ落ちて、かなり荒廃しているが、元は流線型の車体にブルートレインと同じ青い塗装をまとった美しいデザインだったことが分かる。

これは1957年に西ドイツのクラウス社に発注されたブルートレイン専用機関車JZ-D66型で、それぞれ“Dinara”“Kozara”“Sutjeska”と愛称が付けられていた…らしいのだが、車体の荒廃が激しくて表記も見えなくなっており、どの車体がどの愛称を持つものかは判別出来なかった。


ちなみにこれが、ブルートレインの車庫のオフィスに飾られていたJZ-D66型の納車時の記念写真と思われるもの。
3両が導入されたJZ-D66はブルートレイン牽引時は2両重連で、常に1両が予備車として待機するという運用だったらしい。


後日訪問したベオグラード市内のセルビア鉄道博物館にも、JZ-D66の鉄道模型車両が展示されていた。
…やはり、本来は丸っこい車体に艶やかな青色塗装のとても美しい機関車だったようだ。


3両のJZ-D66のうち1両は青い客車と連結された状態で置かれていた。


「この位置で見ると、まるで今にもブルートレインを牽いて走り出しそうだなぁ…」

旧き良き時代のユーゴスラヴィアとチトーのブルートレインの記憶がそのままの姿で永遠に化石になったような、哀しくも美しい光景だった…
夜に星空の下で見たら、きっと幻想的だろう。


機関車JZ-D66の他にも、何両かの客車が車庫の外に留置されていた。

まだ比較的新しい車両でブルートレインと同じ青い塗装をまとっているが、なぜ運用から外されてしまったのかは不明…
いや、車庫のスタッフの方に聞いてみたのだが、僕の稚拙な語学力では詳細は聞き出せなかったというのが実情(苦笑)

だが、どうやら修理する予定等は無く、このまま荒れるに任せて放置される運命らしい…

車両の見学を終えて、ブルートレインの車庫で管理業務を行っているセルビア鉄道の関係者の皆さんにお礼を言って、ベオグラード市内に帰る。
数時間の滞在だったが、内容の濃い充実した時間を過ごすことが出来た…
何しろ、夢であり幻だったチトーのブルートレインに実際に会い、車内に乗って見ることが出来たのだ!

今回お世話になった皆さんにはひたすら感謝、である。ありがとうございました!

ベオグラード市内に戻り、夕刻に駅まで散歩に行ってみた。すると…



なんと、ベオグラード駅につい先程見たばかりの青い客車が停まっているではないか!



これは、まぎれもなくチトーのブルートレインの青い客車だ。
しかも、車庫に収められて磨き上げられたチャーター専用の保存車両ではなく、営業運転する列車に連結されて土埃にまみれながら現役で稼いでいる車両である。

実は、夏季のバカンスシーズン限定で、チトーのブルートレインの客車がベオグラードとモンテネグロのバールとを結ぶバール鉄道(チトー大統領の専用客車の一般団体レンタル運行でも走行可能な線区だ)の臨時夜行列車に連結されて、きっぷを買えば誰でも乗れる寝台車として使用されているのだ。
もちろん車両は豪華な大統領専用車などではなく、随行するスタッフが使用した一般型の個室寝台らしいのだが…




1959年製のブルートレインの車両と、近代的で明るい塗装のモンテネグロ鉄道の寝台車が連結されている。
さらにその後ろにはカートレイン用の自動車運搬車も連結されており、雑多で賑やかな凸凹編成を組んでモンテネグロを目指すようだ。


ブルートレイン車両のデッキのドアに張り出された号車番号札とサボ(方向幕)。この車両が生きた運用に就いている証明である。
サボの表記によると、ベオグラード発バール行きの433列車で「Lovcen」(モンテネグロ国内にあるロブチェン山という山の名前)という愛称が付いている。


ブルートレインの車体を飾る「燃える松明」のユーゴスラヴィア国章エンブレムも勿論健在。


驚いたことに、屋根上にはチトーの執務室のユーゴ各国首脳直通ホットライン電話の送受信や車内テレビ、ラジオの受信に用いられたと思われるアンテナまで設置されている。
現在はもちろんチトーのホットライン通信など使われていないし、車内でテレビやラジオのサービスを行っているとも思えないので、単にかつて大統領専用列車に連結されていた頃に使われていた設備が撤去されずそのまま残されているだけだと思うが…

ともあれ、思いがけず早々にチトーのブルートレインとの再会を果たしてしまった。
ブルートレインは今でも生きている。こうして夏休みの楽しい行楽に出かける旅行者を乗せて、今夜も走っていたのだ…

「40万円用意して大統領専用車両をチャーターする前に、バール行きの寝台列車に乗る方が手っ取り早いな(笑)

という訳で、僕は思ったよりずっと早くずっと安く(笑)チトーのブルートレインに乗れるかも知れません(いや、それでもいつかは大統領専用車両を貸し切って自分たちだけの為の特別列車を仕立てて乗るけどね、勿論!)。


ブルートレイン車両を連結したバール行きの寝台列車ロブチェン号が出発した後、すっかり日が暮れて夕闇に包まれたベオグラード駅の片隅で街灯りに浮かび上がるこの蒸気機関車…

実はこれもチトーのブルートレインの専用機関車。
ディーゼル機関車のJZ-D66型が1957年に登場する前にブルートレインを牽いていたSLだが、ちょうどJZ-D66の投入と同じ時期にブルートレインの車両が新造(1959年)されているので、このSLが牽いていたのはユーゴスラヴィア建国直後に登場した先代(初代)のブルートレインということになる。

そして数日後、ベオグラードを去り次の目的地ブルガリアの首都ソフィアへと向かう国際列車バルカン号に乗車して、ベオグラード駅を発車してしばらく走ると…




何と、見憶えのある懐かしい青い車両たちがバルカン号の車窓に…

思いがけず、あのブルートレインの車庫のすぐ隣を通ってベオグラード市を後にするルートを走っていたのだ。
一瞬ではあったがこれで二回目のブルートレインとの再会、もはや偶然とは思えない。

「やっぱり、いつかまた乗らずにはいられない運命のようなものがあるんだろうな…
よし、それまでベオグラードの森の中で待っていてくれ。
いつか必ず、僕たちだけの専用列車を仕立てて乗るぞ、チトー大統領の専用列車Plavi voz。『永遠のブルートレイン』に!」

それでは皆さん、今度は車庫から外に出て線路の上を走っているチトーのブルートレインの車内でお会いしましょう!
天燈茶房亭主mitsuto1976 拝