Zinnowitz駅にて ペーネミュンデ行き乗り場
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2011年12月30日
冬のヨーロッパの夜明けは遅い。
まだ真っ暗な午前8時、ホテルをチェックアウトしてzoo駅へ。ここからSバーン(ベルリン市街・近郊電車)に乗って、数駅先のベルリン中央駅へ。
ベルリン中央駅は、2006年にドイツで開催されたサッカーのワールドカップに合わせて開業した、東西ベルリン統合後の新しい鉄道中央駅。
それまでは長らく、西ベルリン側はzoo駅、東ベルリン側はost駅がそれぞれ中央駅としての機能を分担していたが、両駅の中間に位置する場所を大規模に再開発して、新生ドイツの首都にふさわしい近代的な巨大ターミナル駅が誕生した。
ベルリン中央駅はベルリン市内を東西方向と南北方向に貫く路線が駅構内で立体交差した構造となっているのが特徴で、ここを起点にドイツ国内のみならずヨーロッパ各国へと向かう多くの列車が発着している。
ベルリン中央駅の駅舎上層階にある東西方向プラットホームに到着するSバーンを降りて、ショッピングモールが広がる中層階を通り抜けて地下の下層階にある南北方向プラットホームへと向かう。
ここからRE(Regional Express、日本のJRでは快速列車と特急列車の中間クラスに該当する列車種別)に乗り換える。
ベルリンからドイツ北方へと向かうRE18308に乗車。
赤い客車は背の高い2階建て車輌で、しかも走行方向によっては最後尾に連結された機関車が客車側に設置された運転室から遠隔操作されて編成を推して走る(プッシュプル方式)というとてもユニークな形態の列車だが、これはドイツを始めヨーロッパでは割りとポピュラーな運行方式である。
座席が6~7割ほど埋まる程度の乗客を乗せて、定刻の08:33にRE18308は機関車に推されてベルリン中央駅を発車した。
いよいよ、ペーネミュンデへと向かう鉄路の旅が始まる。
プラットホームから続く地下区間を抜けて地上へと出ると、ようやく夜が明けて辺りが薄明るくなってきたところだった。朝のベルリン近郊を、RE18308は「こんなに速く後ろから客車を推して大丈夫か、バランスを崩して転覆したりしないかな」と思わず心配になる程の小気味良い速度で快調に飛ばしていく。
2階の高い位置にある窓からの眺めも格別で、実に爽快な旅立ちとなった。
ベルリンを離れて森と田園風景の中に入ると車窓には雪が舞い始めたが、
すぐに雪は止んで印象派の絵画のような趣きのある曇り空となり、
やがて冬なのに緑の鮮やかな牧草地の上に宇宙まで抜けるかのような濃い青空が広がった。
RE18308はダイヤ通りの定時運転で北ドイツの田園地帯を駆け抜け、11:03にZussow駅に到着。
ここがDB(ドイツ鉄道)とローカル鉄道のUBB(ウーゼドム海岸鉄道)の接続駅であり、ペーネミュンデのあるウーゼドム島へと続く路線が分岐している。
RE18308の到着したプラットホームの向かい側に、小さな可愛らしいUBBの列車が待っていた。多くの乗客がUBBの列車へと乗り換える。
すべての乗客が乗り込むのを待っていたかのように、僅か4分の接続時間で11:07にUBB29419列車はZussow駅を発車。
UBBは非電化単線のローカル線だが、走っているのは軽快なトラム(新世代型路面電車)のような真新しい車輌で、ディーゼルエンジンの動力が搭載された部分が完全に独立した別車体となっている連接構造なので、客室内は非常に静かでとても快適な乗り心地だ。
暫くすると川を渡るが、この流れによってウーゼドム島はヨーロッパ大陸から切り離されバルト海に浮かぶ島となっている。つまりこの川は海峡でもある。
チェコに源を持ち、ポーランドを流れて来たオーデル川から続く水の流れは幾つかの小さな海峡となってバルト海へと注ぎ、その一つがペーネ川と呼ばれペーネミュンデの地名の由来となっているようだ(ミュンデはドイツ語で河口という意味)。
海峡の川を渡ってウーゼドム島に入り、11:46にZinnowitz駅に到着。ここで降りて、もう一度列車を乗り換える。
ペーネミュンデへと向かう路線はUBBの中でも支線扱いとなっており、Zinnowitz駅とPeenemunde駅との間で折り返し運転を行なっているので、ここでUBBの列車を乗り継ぐ必要がある。
Zinnowitz駅のプラットホームの一端を欠き取った「0番のりば」のような場所に、Peenemundeと表示した車輌が停車していた。
これが、宇宙ロケットが生まれた町へと行く列車だ。
ペーネミュンデ行き列車の発車時刻までまだ時間があるので、Zinnowitz駅のプラットホームを散歩する。
小さなレールバスが、側線に留置されている。
車体の汚れ具合から、既に運用から離脱して廃車解体待ちといった風情だが、かつてペーネミュンデ支線で使用されていた車輌だろうか。
ディーゼル機関車も側線で休んでいた。
こちらは足回りに手入れされ使い込まれた形跡があり、まだ現役で使用されているようだ。
鉄道好きの興味の向くまま駅の構内を見て回っているうちに時間が過ぎた。
12:12、ペーネミュンデ行きUBB24118列車はZinnowitz駅発車。
この線路の向こうに、“約束の地”がある。
Zinnowitzから先のUBBの沿線はかつて、ペーネミュンデで開発されていたV2と、パルスジェットエンジン搭載の無人有翼飛行爆弾V1のそれぞれの研究開発施設が立ち並んでいた地域で、
ペーネミュンデの一つ手前に駅があるKarlshagenという集落にはフォン・ブラウンの住んでいた宿舎があったという。
今はただ長閑なヨーロッパらしい森と田園が広がるだけで、往時の宇宙ロケット基地…いや、報復兵器開発の秘密基地だった頃を偲ばせるものは何も無い。
12:26、UBB24118列車はペーネミュンデに到着した。
「遂に…やって来たぞ、ロケットの聖地へ!!」
僕がペーネミュンデへの興味を抱くきっかけの一つとなった、的川泰宣先生の著書
「月をめざした二人の科学者 アポロとスプートニクの軌跡」によると、
的川先生も1990年10月にこの地を訪れられている。
折しも東西ドイツ統合直後、それまでは西側の者には近づくことすら難しかった旧共産圏・東ドイツの辺境がようやく一般の旅行者にも解放された時期で、ちょうどIAF(国際宇宙航行連盟)の学会総会が開催されていたドレスデンから列車とバスを幾度も乗り継ぎ、途中一泊しての長旅で的川先生はペーネミュンデのとなり町Karlshagenに到着、学会で知り合った地元出身の青年科学者に案内してもらってペーネミュンデを見て回られたそうだ。
その時、ペーネミュンデの責任者から「ここに入った日本人は、あなたが初めてだと思いますよ」と言われて的川先生は驚かれたそうだが、それ以来二十年と少しの間にペーネミュンデを何人の日本人が訪れたのだろうか。
ともあれ21世紀も10年以上が経過した今日、的川先生が来られた時には乗ることが出来なかったペーネミュンデ行きの列車に乗って、旅行者は首都ベルリンからここまで僅か4時間余りで来ることが出来る時代になったのである。
ペーネミュンデの駅は、片側1面のプラットホームにバス停のような簡便な待合所があるだけの小さな終着駅だった。
観光客風の乗客数名を降ろして、列車が折り返し走り去っていくと辺りは冬の静寂に包まれる。
ペーネミュンデは現在では夏の避暑地であるウーゼドム島の観光名所の一つとなっているようで、駅前にはカラフルな観光案内の看板も出ていた。
バルト海を巡る観光船も出ているようだが、さすがに冬のこのシーズンには運休しているのだろう。
ペーネミュンデ駅のさらに先へと、線路は枯れた冬草に埋もれながら続いている。
この地で報復兵器が急ピッチで研究開発されていた頃には、日夜大勢のロケット研究者や科学者、エンジニア、そして軍人や作業従事者を乗せた通勤列車が発着し、
ロケットや有翼機の製造資材・部品等の物資が貨物列車で運び込まれて、ペーネミュンデ駅は大いに賑わっていたであろうが、線路も草に埋もれ赤錆た今では遠い歴史の彼方である。
…だが、線路を辿って歩いていくと、突如として遠い記憶を呼び覚ますかのような一種異様な光景が広がっていた。
線路は、工場の跡地のような巨大な赤レンガづくりの廃墟が見える区画へと伸びている。
その先には、廃車となった鉄道車輌と思しきものと一緒に、確かに見憶えのある物体が天空を目指し屹立している…
「あれは… ロケットだ、V2だ!!」
→遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 3、廃墟のエネルギーセンターに続く