梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

蝉の生涯と人生

2014-08-28 18:49:28 | 雑記

住んでいる住宅には結構大きな欅がある、そのせいか毎年蝉の声が毎日の様に響いている、此処数日階段や廊下に蝉が裏返しになって居る事が多くなった、蝉はひっくり返ると自分では戻れないと言う、試しに傘の先で戻したら大きな鳴き声を上げて飛んで行ってしまった。
蝉の一生は殆どが土の中で最後の1週間足らずを子孫を残す為に土の中から出て伴侶を求めて精一杯鳴いてその生涯を終えると言う。我々が知っている蝉はその最後の一瞬だけだ、一生の最後が一番輝き終結すると言う訳だ、他の生き物に比べると実に潔い生き方かもしれない、
人間の寿命は随分永くなった、信長は「人生僅か50年」と歌ったと言うが此れは「敦盛」だからまあその時代と言うのではない、秀吉はかなり長く生きている、しかしそれでも「齢70古来稀」と言う位だから(此れももっと古いが)今の平均寿命はそれより更に10年は伸びている、
医学の発展で幼児死亡率が下がっている事もあるが確かに人間の寿命は延びた、むろんこれは先進国だけの話で後進国では未だ平均寿命は40歳台だと言う、その死因は解らないが老衰寿命も短いだろうし衛生面から流行病の罹患率も、幼児の死亡率も高い筈だ、
しかし日本人の平均寿命が世界一だと言ってもはたしてそれが幸せかと言えば余りそうはいえそうに思えない、「長生き、生きている」と言うより「死なない」だけの様な気もする、確かに古希を過ぎても十分に働けるだけの体力を維持する人が多くなったがその一方で介護が無ければ生きる事は難しいどころか不可能と言う「長寿」の方々もかなり多い事も確かだろう、
生きて行くのにはそれだけのケアが必要になる、それには多額のコストが掛る、生き永らえるには資産が無ければ無理なのだ、しかし金が無いから見殺しにするという事は法的にも心情的にも出来ない、国は「自助」が原則だと言うが高齢者を補助し続ける事は現役の負担がかなり厳しい、「死なない」年齢が80歳台になったとい事は支える子供の年齢が現役を越える時期になったと言う事だ、女性の平均は86歳になった、20代に生まれた子供は還暦を越える、90歳台に慣れはその年は古希である、
経済格差が広がって且つ人口バランスも極端になりつつある、税金で支える事は難しいから自助をと言われても子供を育て親も見てと言う事自体が難しい層が増えて来た
「奈良山節考」の時代ではあるまいしと言っても同じ様な事は起きるだろう、子供に負担をかけたくないと自殺する者や孤独死も増えて来るだろう
「貧困の連鎖」を止める為に「学費補助・生活援助」をと言う政府の方針だがもっと根本的な問題解決が必要ではないだろうか、一方で飢餓があり一方で大量の食材が捨てられる、国家予算に匹敵する資産を持っている人間が居る一方で子供の学費どころか明日の食費も無いと言う人間も居る、まるで発展途上国の途上前の様な有様ではないか、
いっそ蝉の様に一番輝いた後潔く終わって仕舞いたいが人間は生みっぱなしと言う訳にはいかないからな