梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ゆとり教育の本当の弊害

2013-02-11 13:26:10 | 雑記
東京新聞の発言欄に学校土曜授業の事で中学生と小学生から「土曜授業に反対」と言う意見が載っていた、両方とも「遊ぶ時間が減る」と言う物だったがまあ実に正直な意見だ、
しかし、こんな意見を2度も取り上げる東京新聞はどう考えているんだろうか?
週休2日だったのが週休1日になるのだから子供に聞いたら「嫌だ」と言うのは当たり前である、
後半に一方は「自由な発想を育てるのには休みの方が良い」と書かれていたが「自由な発想を育むのには家で遊んでいたら無理だろう、第一「遊ぶ時間が減る」と言う様な人間が同じ口で「休みの日に自由な発想を」と言った所で何の説得力も無い、
つい10年も前まで土曜半日授業は当たり前だったのだが「ゆとり教育」の方針で土曜休日になったのだが結果国際的な学力低下が顕著になった、
しかし何よりこの意見に代表される「遊ぶ時間が減る」と言う様な意見を真面目に発言する様な子供達になってしまった事の方が重大な影響だろう、
本人としては真剣に「正当な意見」だと考えたのだろうがそうなったのは何んだったか、ほんの少し前までは土曜半ドンは普通だった事などを考えた上での意見だったのだろうか、
だとすれば「土曜日にまで授業があるのは害がある」もしくは「半日くらい出ても学業に関係はない」という意見になるはずだが「遊ぶ時間が減るから止めて欲しい」と言うのではあまりにも情けない、
上昇志向の家庭では結局塾の時間が増えるだけで経済格差、地域格差が教育レベルの格差になりしいてはその後の生活レベルにまで影響を及ぼすことになる可能性があると考えるのは穿ちすぎだろうか、
昭和40年代から進学率が上昇しそれ以前の大学卒が「学士様」と言われた時代から半数近くが大学に進学する時代になった、しかし就学レベルがそれ程上がったとは言えず、「駅前大学」と言われるようになるとそれに比例して大学卒の価値は下がってしまった、
名門と言われる大学でもまるで入学試験が学業のゴールの様な有様で規定の教科をクリアできれば卒業できると言う物らしい、
私は行っていないから偉そうなことを言えないが昭和50年代にアルバイトの大学生を何人も使っていて殆どが三角関数が解らない、中には「そんな物は教わった事が無い」と言い切る奴すら居た、確かにこう言う状況で言えば土曜が休みだろうが授業だろうがあまり関係は無いかもしれないが問題は「学ぶ」と言う事に対するスタンスの問題だろう
僅か9年間で平仮名から始め、加減算を学び社会に出しても通用する様にするにはそれなりに大変なのだ、しかし日本は世界でもトップレベルの識字率であり数学レベルもそこそこのレベルにある、それも江戸時代の初期をすぎた頃から庶民レベルで確立している、
今の子供の基礎学力が元禄以降一番低下しているらしい、それは学校教育というより親が子に「学ぶ事の重要さ」を伝える事が出来ていない事に原因ではないだろうか、
子供の自由は野放し放任という事ではない、そして学業を教えるということでもない、
大事な事は「子供のすべき事には遊びと同じ位学ぶ事」という事を伝える事にあるだろう