梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

将来に希望を持てる政策を願う

2012-12-22 17:26:37 | 雑記
起きたら雨が降っている、コーヒーを淹れていたら少し遅れて朝刊が届いた、新聞は薄いビニールの袋に入ってくる、最近は雨だと一部づつこう言う袋に入って配達されてくる。
これで新聞は濡らさずに済むのだが配達員の苦労は変わらない、特に今日のように寒い朝は本当に大変だろうと思う、
昔の新聞配達は苦学生の象徴のような仕事だったが今は殆ど居ない様だ、第一「苦学生」等という言葉すら死語になりつつある、
しかし学費が払えず高校を退学すると言う子供も最近は増えたそうだ、自分が15歳を超える頃は家の経済的な問題で進学が出来ないと言う子供はかなり多かった、私の中学同級生では高校に進学したのは1/4程度である、特に女子は殆ど中学を降りると就職をするか家の農業に就いた、
未だ敗戦の影響はかなり残っていて農村の家庭は皆貧しかった、農地解放が有ったとは言え僅かな田畑しかない農民は自家消費程度の米しか取れず兼業でお茶やミカンを作り乳牛を飼い豚を飼って子供を取ると言うように色々やっても結局現金になるのは年に数回、肥料や農薬の支払いをすれば殆ど残らない、
子供は働き手として必要だしとても高校には行かせられなかった、更に言えば農地を全く持たない農村の家は取り敢えず口減らしと就職先からの仕送もアテにすると言う位の生活だった、だからその頃は田舎の新聞配達は小学生や中学生の仕事でもあった、件数が少なく(家も少ないが取っている家も更に少なかった)大人に支払えるコストが出ないのだ。
児童福祉法と言う法律ができたのはいつ頃だろうか?決して親が楽をする為に子供を使った訳ではなくそうしないと生活が維持できなかったのだ、
あれから60年近く、鍋底景気と言われ「大学は出たけれど」と言う言葉が流行り、朝鮮戦争の特需をきっかけに神武景気と言われ高度成長期を迎えて日本は本当に豊かになった、
会社もそうだが結果を出して成功する事よりソレを維持する事の方が難しい、
先代が築き二代目が大きくし、三代目が食い潰すと言うとおり戦後世代が築き上げた日本経済はそ二代目が大きくしたのだが三代目になる前にズルズルと食い潰している、
貿易収支は黒字が続いているのに国内景気はすでに瀕死の状況になっている、貿易収支が黒だという事は外貨は国内に貯まっていると言う事なのだが国家経済は破綻一歩手前だと言う、貯まった外貨が国内に循環しないと言う事だろう、
経済格差は大きくなりまた鍋底景気の時のように「学費が払えないから進学できない、親の働きでは生活を維持できないから」進学を諦める若者たちが増加している、
あの頃は「頑張れば先に行ける」と思えた、だから苦学生も多かった、しかし今の日本は「頑張っても今の境遇から抜け出せない」と言う未来しか見えない、「苦学する学生がいなくなったから」と言うのは彼らに取って何の意味もない、頑張っても仕事すらないのだ、
自民党が政権に返り咲いたとしてもそれは国民の目からすればまた放蕩息子の三代目が店主になったと言う事に過ぎない、民主党政権の前十何年間かでかなり身上を食いつぶした、
民主党政権が番頭としてタナを立て直そうとしたがまるで経営が出来なかった結果また元の放蕩息子が帰って来たのでは余程心を入れ替えていなければ早晩日本と言うお店は潰れてしまう、帳簿を見ていたら腹が痛くなったからと帳場を逃げたドラ息子に任せて良いのか全く不安である