福田の雑記帖

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映画「風立ちぬ」(2)関東大震災の描写に驚く 

2013年09月13日 07時41分34秒 | 映画評


【注意】本文中、物語の核心に触れる記述があります

 映画「風立ちぬ」は飛行機に興味を抱く少年が、関東大震災を経て戦争に進んでいく時代に生きた少年の青春を描く。その関東大震災の描写、地震に続いた火災のシーンはアニメでなければ描写できない。圧巻であった。

 この作品は「零戦」開発で中心的役割を果たした堀越二郎氏の半生を描いているが、零戦開発に関しての部分は無い。特徴的な逆ガル低翼を持つ「九試単戦機」の設計から初飛行に至るまでの過程が中心に描かれている。「九試単戦機」は設計開始からわずか10ヶ月後に完成、飛行試験では驚異的な速度や飛行性能の記録が出た。発注者である海軍航空部も当初は信じなかったと言う。
 この「九試単戦機」は海軍に採用され「九六式艦上戦闘機」として982機が生産され、日中戦争で圧倒的な役割を果たした。

 海軍はその後継機である「十二式艦上戦闘機」の開発を決め、堀越氏らに計画要求書を提示した。世界の戦闘機の性能を遥かに超えた仕様で 、戦闘機として随所に矛盾した内容を含んでいた。例えば、航続距離を伸ばせば燃料の重さでスピードや旋回性能などは犠牲になるのであるが、この要求をほぼすべて実現したのがいわゆる「零式艦上戦闘機」、すなわち「零戦」である。しかし、「零戦」の姿は映画の終盤で堀越氏とカプローニとの対話の中で、20機ほどの美しい零線が飛び去る姿は、堀越氏が「一機も帰ってきませんでした・・」と沈痛は表情で述べるシーンに垣間見せたに過ぎない。

 この映画のなかで、戦局後半に特攻機として改造され、多くの若者が殉職した悲劇の戦闘機「零戦」の開発に携わった堀越氏の行き方に注目した作品だけに、見る者の立場によっていろいろな見方が出来るだろう。この映画の中で監督が描きたかったのは、激動の時代の中、「自分の夢に忠実に、まっすぐに進んだ一人の技術者の半生」、イコール宮崎監督自身の半生なのだと思う。

 戦闘機「零戦」は累計10.425機生産された。我が国の軍用機としては郡を抜いた数である。その飛行性能は世界中の戦闘機を遥かに凌ぐものであったがその優位性を保持できたのはわずかに3年間に過ぎなかった。敗戦濃厚になった昭和19年10月以降は特攻機に改造された。「零戦」で戦死殉職した搭乗員は記録に残るだけで4.330名と言われている(歴史群像23号1996年9月)。

 宮崎監督は「戦闘機は好きだが戦争は嫌・・」と述べているが、堀越二郎の半生を描くにあたって「零戦」を中心に据えれば、堀越氏の生き方を描ききれないし、日本海軍の戦略はもとより日本という国の在りようにも言及せざるを得なくなり、論点が変わっていく。
 私は「九試単戦機」開発を中心に据えたのは良い判断だと思う。
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