本日10月7日は新潟大学医学部46会同級会で、1年ぶりに新潟に来ている。
2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。今年は13回目の出席となる。
最初は家内の付き添いという名目で消極的参加であったが、意外と楽しいので以降はほぼ皆勤状態にある。2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のためと理由付けたが、最近では我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。
2012年は秋田、2013年は開催なし、2014年 佐渡、2015年 松島、2016年 月岡温泉郷、2017年 洞爺湖温泉郷であった。
今年の同級会は隔年に行われる新潟の番。産婦人科クリニック院長のO氏を幹事に、現在のANAクラウンプラザホテル新潟で開催された。
私は旅行嫌いである。それでも学会、医師会活動で各地を訪問したが、現役を退いてからは旅行といえばこの同級会のみとなった。
折しも台風24号が日本海を北上、熱帯低気圧となり風雨のピークは過ぎたが当午前も風が強く、羽越線が不通で出席が危ぶまれた。
台風といえば2004年の犬山市の会は台風22号襲来で急遽中止になり、翌年に延期された。また、2006年の新潟の会は悪天候で羽越線が4時間も遅れ一次会は10分間だけの参加になったことがあった。
午前11時過ぎになってネット情報に羽越線が通常運行になったとの表示が出たので急遽13:00の「いなほ」に新潟に向かい、定刻に到着した。
会場となった「ANAクラウンプラザホテル新潟」は萬代橋の近くにあり、かつては「ホテル新潟」であった。なぜか宿泊がセットになっておらず一瞬焦ったがなんとか一室確保できた。値段は特別料金を請求された。
記念撮影の後、17:00から会食を中心とした宴となった。出席者は新潟近傍、1部関東在住者を中心に25名で、10名の直前キャンセルがあったと言う。私も昼頃まではキャンセルを考えて待機していた。
開会の辞は、キャンセルせずに秋田から駆けつけた、という意味で私にまわってきた。みんなの笑顔が見れただけで充分と述べ、乾杯した。料理は見事なものであったが、直前キャンセルは影響しなかったのか、心配になった。
余興として大学腎研究所の元教授O氏のサックスの演奏があり楽しめた。余興のレベルは超えていた。
物故者はお一人だけであった。我らの仲間はなかなか死なない。100人中5−6人か?
みんな嬉々として笑顔に溢れ、元気な様子であった。これが同級会の良いところである。尤も、元気でなければ出席しないだろうと思うから、まあ当然でもある。
出席者の近況報告があった。ゴルフ、ペット、孫の話など、ハワイ大学に留学したとか、ポルシェで走っているなど。内容は様々でも利害関係は無く、肩が張らなくていい。
私はいつもなら一杯のビールで泥酔して中座するのであるが今年は料理がうまそうだったからソフトドリンクで一次会は粘った。今回も席の周囲の数名と声を交わしただけだったが、とても楽しかった。
翌日は家内の仕事が混んでいるということで8:21発の「いなほ」で帰秋することとした。
2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。今年は13回目の出席となる。
最初は家内の付き添いという名目で消極的参加であったが、意外と楽しいので以降はほぼ皆勤状態にある。2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のためと理由付けたが、最近では我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。
2012年は秋田、2013年は開催なし、2014年 佐渡、2015年 松島、2016年 月岡温泉郷、2017年 洞爺湖温泉郷であった。
今年の同級会は隔年に行われる新潟の番。産婦人科クリニック院長のO氏を幹事に、現在のANAクラウンプラザホテル新潟で開催された。
私は旅行嫌いである。それでも学会、医師会活動で各地を訪問したが、現役を退いてからは旅行といえばこの同級会のみとなった。
折しも台風24号が日本海を北上、熱帯低気圧となり風雨のピークは過ぎたが当午前も風が強く、羽越線が不通で出席が危ぶまれた。
台風といえば2004年の犬山市の会は台風22号襲来で急遽中止になり、翌年に延期された。また、2006年の新潟の会は悪天候で羽越線が4時間も遅れ一次会は10分間だけの参加になったことがあった。
午前11時過ぎになってネット情報に羽越線が通常運行になったとの表示が出たので急遽13:00の「いなほ」に新潟に向かい、定刻に到着した。
会場となった「ANAクラウンプラザホテル新潟」は萬代橋の近くにあり、かつては「ホテル新潟」であった。なぜか宿泊がセットになっておらず一瞬焦ったがなんとか一室確保できた。値段は特別料金を請求された。
記念撮影の後、17:00から会食を中心とした宴となった。出席者は新潟近傍、1部関東在住者を中心に25名で、10名の直前キャンセルがあったと言う。私も昼頃まではキャンセルを考えて待機していた。
開会の辞は、キャンセルせずに秋田から駆けつけた、という意味で私にまわってきた。みんなの笑顔が見れただけで充分と述べ、乾杯した。料理は見事なものであったが、直前キャンセルは影響しなかったのか、心配になった。
余興として大学腎研究所の元教授O氏のサックスの演奏があり楽しめた。余興のレベルは超えていた。
物故者はお一人だけであった。我らの仲間はなかなか死なない。100人中5−6人か?
みんな嬉々として笑顔に溢れ、元気な様子であった。これが同級会の良いところである。尤も、元気でなければ出席しないだろうと思うから、まあ当然でもある。
出席者の近況報告があった。ゴルフ、ペット、孫の話など、ハワイ大学に留学したとか、ポルシェで走っているなど。内容は様々でも利害関係は無く、肩が張らなくていい。
私はいつもなら一杯のビールで泥酔して中座するのであるが今年は料理がうまそうだったからソフトドリンクで一次会は粘った。今回も席の周囲の数名と声を交わしただけだったが、とても楽しかった。
翌日は家内の仕事が混んでいるということで8:21発の「いなほ」で帰秋することとした。
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