幼少の時はちょっとした雨など気にせず野山で遊びほけていた。当然シャツもパンツもずぶ濡れは日常的なものであった。
中学高校時は冬季間を除き片道16Kmを90分かけて自転車で通学していた。降雨時、間も無く降りそうなときはさすがにバスを用いた。雨が降らないと見込みをつけて出発するときはこうもり傘と雨合羽を用意し、教科書類はビニールの風呂敷を巻いて出発した。しかし、途中で雨に降られることは日常茶飯事であった。
傘は短時間では上半身には有効であったが下半身には無力でびしょ濡れになった。雨具はそれなりに有用であったが自分の汗でびしょ濡れになった。学校ではトレパンに着替えて授業を受けた。濡れた衣服は廊下で乾かした。
だから、私は雨に降られびしょ濡れになるのはほぼ当然、自然現象はやむを得ない、と雨をそれほど忌避していない。さすが土砂降りは嫌だったが小雨や中等度の雨には抵抗感もなく、いや、親しみすら感じていた。ただし、向かい風だけは呪ったものである。
大学は徒歩通学可能範囲で傘が役立った。
1971年、社会に出てからはまもなく車を購入したために雨との付き合いは基本的に少なくなった。
1990年、子供達も中高校生となり私の車で移動することも少なくなった時期、私は突然バイクに目覚めた。一人で動くならバイクの方が合理的で利便性も高い。大型二輪免許は取得してあったので中年ライダーとして最初練習用にヤマハビラーゴXV-250を購入した。それで十分練習を積んだのち、1992年にはハーレーFLSTOF 1340ccに乗り換えた。
バイクは風が心地良い。
頭部への雨はヘルメットでしのげたが、スピードが速いだけ雨との闘いは時には壮絶なものであった。雨によっては無理せず駅とか農家の物置の軒下で雨宿りした。こんな経験もなかな捨てたものではなかった。自然との対話が豊かにできたことの意義の方が大きい。
2011年、私が65歳時にハーレーは重すぎて取り回しが困難になったので手放すことになり、ディーラーに引き取られていった。20年もののボロハーレーであったが相応の値段がつき、東日本大震災の義援金の一部として役立った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます