1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、JAL123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の御巣鷹山ヘ墜落した。
乗客乗員524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名。単独機の航空事故の死者数として過去最多。
私は乗るのは嫌だが飛行機そのものは大好きで書籍を通じて飛行機や航空業界についてずっと学んできた。
こんな中、1987年(昭和62年)6月、運輸省航空事故調査委員会は1978年(昭和53年)伊丹空港で起こした「しりもち事故」で破損した圧力隔壁の、ボーイングによる不適切な修理が原因で生じた再破損が墜落事故の原因と推定される、という報告書をまとめた。
報告書の骨子は、以下のごとく。
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隔壁の修理ミスがあった
→ その付近に疲労亀裂が進行した
→ 客室の加圧に耐えかねて隔壁が再破損、穴が開いた
→ 激しい空気の流れが生じ機内は「急減圧」した
→ その風圧で垂直尾翼が空中で破壊
→ 全油圧システム破損
→ 操縦不能に陥った
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この論理の最重要点は垂直尾翼を吹き飛ばすほどの空気の流れの存在であるが、その事実を客観的に示す証拠が全く見当たらない。 この理屈に合わない論旨がこの報告書の最大の弱点であり問題点である。
この事故調査報告書に対しては識者、パイロットや航空関連職種団体から異論が出されたが運輸省はこのような声に全く耳を貸さず、調査資料を破棄し、調査を終えた。
この事故は30分近く激しいローリング (横揺れ)、フゴイド運動(縦揺れ)を繰り返し、あたかもジェットコースターに乗っているごとくの激しい揺れを続けながら墜落した。
乗客たちの恐怖は如何許りかと思う。
日航123便事故は「しりもち事故」で修理したことがあった機体を都合よく利用した虚偽の結論で、国家の権力のもとに結論はねじ曲げられ、しかも真実解明の道は閉ざされた。
犠牲者の人生は抹殺されたに等しい。
数千人に及ぶであろう犠牲者の縁故の方々、事故の関連の方々にとっても同様である。この38年の歳月は苦しかったと思う。
私は現役時代に200回ほど旅客機に搭乗したが、その度ごとに若干の恐怖感・不安感を味わった第三者に過ぎない。
それでもこの事故の犠牲者の方々の人権について、事故の処理顛末には疑問を感じざるを得ない。
この事故で私が読んだ関連書籍は30冊を優に超える。事故は調べれば調べるほど理解できない形で処理されている。
今後も記憶にとどめ、目を離さずに関心を持ち続けたい。