私はカレーとラーメンが大好きである。 前者は舌を刺激する辛さがたまらない。毎日食べても嫌になる事はない。
我が家のカレーは美味である・・というかひどいカレーに当たったことはない。カレーという料理が食材を広く包み込む、要するにフトコロが深いことと、我が家では多分出来合いのルーを使っているため、と思っている。
大抵夕食に出るのであるが、どうしても大鍋で大量に作るほど美味しく出来るのではないか。だから、余るから、その量に応じて翌朝から毎朝3-4日続けて食べるのが常である。
カレー好きの方はを自分でつくることも厭わないらしいが私は作らない。数年前に家族がいない時にレトルトカレーを湯煎して食べた時が最後である。
本当はカレー専門店とか有名店に行って一流の味なるものを味わってみたいのであるが、それ以上に「外食が嫌い」なものだから果たされてはいない。ちなみに私が盛岡時代に外食で食べたものはラーメンだけであった。それが、新潟に行って初めてスパゲッティミートソースを食べた瞬間、こんな美味いものがあるのか!!!と驚いた。私の人生食べ物ですっかり変わってしまった。
1953年に死んだ母が作ったカレーは美味かった、というか他に美味なものが多く無かった時代だったからかカレーというと心ときめいたものであった。
当時、岩手の田舎で入手できたのはバラ肉と言われるような低級な(??)豚肉であったが、それを炒め、ぶつ切りのニンジンとタマネギを放りこみ、タマネギが透き通ってくると、水を加え、大きめのジャガイモを落とし、SBカレー粉パウダーをそっと溶かし、じっくりと煮こむ。 あとはそのときの気分で鍋をかきまわしていく。すると、まもなくカレーの刺激的な香りがあたりに漂いはじめる。そうなると、香りを味わっているだけで豊かな気分になってきたものだ。
しかも、私のカレーの原点は黄色くて、ぶつ切りのタマネギがところどころに浮かぶ、どろりとしたカレーだ。 その味は母の味である。
最近のカレーには結構高級な食材も混じっていて昔の味とは似ても似つかないのだろう。私は薬味は細断したラッキョウで、大量にまぶす。
カレーを食べる時に母の姿を思い浮かべてしまう。忘れられない。
ああ、日本人のカレーライスの原点はここにあり・・の感である。