福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

MD-90故障修理で1時間以上の遅れ(2)異常と分かっただけ良いのだ

2006年07月26日 06時18分43秒 | コラム、エッセイ
 今回のMD-90と同じようなことは、私の初海外出張の際、モントリオールに向かう全日空のジャンボ機で経験した。成田で離陸予定の時間になってもさっぱりその気配がない。機長より「エンジントラブルのために修理に1時間ほど必要です」とのこと。約8時間も、洋上を飛ぶのに大丈夫かいな、と心配したが、飛び上がってから故障が分かるよりは良かろう、と考えた。やがて機長から「修理が終了したので間もなく出発します」とのアナウンス。詳細な説明はなかったが、明るく確信に満ちた声に救われた。

 私は検診やドックで「要精密検査」の判定を受け、ウジウジと悩み、心配のあまり眠られず、青くなって外来に受診した方々には、航空機の飛行前のチェックの話に例えて説明し「引っかかって良かったですね」という趣旨の説明をしながら迎える。すると大抵の方は初めはキョトンとするが、やがてホッとした安堵の表情になる。ここまでの時間、実に無駄したね、と互いに笑い合う。

 「異常?」とチェックされて、精密検査を通じて再検査する機会を得たことは、異常なしと判断されて無事通過するより遙かに良い事なのだ。異常なしの判定は「本当に異常なし」、「異常なのだが誤判定」、「異常を疑わせる所見があるのだが気がつかれなかった、あるいは軽視、無視された」の場合も含まれるのだから、はっきり「異常あり」と判定されるのと大差がない。この辺のことは一般の方々には理解されていない。

 例えば、王監督の場合、ドックは受けていたとは思うが、異常は指摘されていなかったようである。先日、秋田で講演された讀賣新聞の論説委員の方は検診の結果異常なしと言われた1-2ヶ月後に胃ガンが見つかっている。だから、「異常の疑い」とチェックされ、精密検査を受け、集中的に検討される機会を得たことは「異常なし」で通過するよりも遙かに良いことなのだ。更に精密検査で結果で「異常なし」との判定を受けた場合には、実際には大部分の方がそうだのだが、「本当に異常なし」なのだから心底喜ぶべきなのだ。そんな風に説明する。

 だからドックの総合判定を担当している私は緊張の連続である。怖いのは「異常なし」の判定を下すときである。大部分が異常ないのだから本当に辛い。

 先のジャンボの時も、今回のMD-90の故障修理で1時間以上の遅れたことも、故障と分かっただけでも良かったのだ。私にとっては秋田に早めに着いたら出ようと思っていた会合に出られなかったが、待合室で十分本を読む時間が取れたし、悪くはなかった、と思う。
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