ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

HOPE FOR HAITI NOW

2010年01月22日 | 世界とわたし
ハイチ地震救援のためのグローバル・チャリティー番組、世界同時生中継ハイチ救援スペシャル・ライブを観ていました。
トップ・アーティストによるパフォーマンスと、セレブリティが多数出演。番組内にて救援募金への協力を呼びかけるという趣向の番組です。
旦那はこの種類の番組があまり好きではなく、いつもはわたしが独りで観ることが多いのだけど、今日は珍しく一緒に最後まで観ていました。

ジャスティン・ティンバーレイクが歌った『Hallelujah(ハレルヤ)』、スティービー・ワンダーが歌った『明日に架ける橋』、心に染みました。
ハレルヤは、ジェフ・バックリー(Jeff Buckley)という人の歌で、初めて聞いた日から、聞くたびになぜか涙がこみ上げてくる歌です。
スティングが歌っているバックでは、しっかりクリス・ボッティとマイケルが演奏に参加していて、旦那はそこだけとても嬉しそうでした。

多分、レディ・ガガだと思うのですが、プラチナブロンドという、ほとんど銀色の髪の毛の若い女性が歌っていて、
わたしがもし、彼女のような髪の色に染めたらどうなるかなあ……とちょっと言ってみただけなのに、
「そんなんしてみぃ~、マジでかかあ、70才のおばんに見られるで!ガハハ!」とT。
「ワハハ!ほんならレディ・ババやな!」と旦那。
「うまい!ギャハハハ!」ふたり同時……。
ほんま、ムカつくやつらやで

ホストのアンダーソン・クーパーが何度も何度も言ってました。
「単純に、3億人を突破したアメリカ国民ひとりひとりが10ドルずつ募金したらとしたら、30億ドルのお金が集まる。
お金とは、そういう瞬間の勢いでどうにでもなる物だけど、本当の募金と援助はこうした瞬間芸ではなく、半年、1年、5年、そして10年経った後も、同じような勢いで集められる人々の関心と募金と、実際にその場の人々に触れようとする手なのです」と。
数日前助けられた5才の坊やも、助けられたものの、両親は亡くなり、親族は皆貧乏で己の生活すらままならず、結局彼の未来は全く未定のまま。
運良く手術にこぎ着けられた人達の中には、再手術が必要な人が大勢います。
もうこの地には住めないからと、田舎に移住を決めた人達の中に、ある母親がいました。
小さな子供を地震で失った彼女のことを取材班が知っていてインタビューしたところ、子供の話になり、彼女はこう、はっきりと言いました。
「もう死んでしまったのだから。投げ捨ててきました」
長い長い貧困と悪政とに喘ぎ苦しんできて、今やっと少し希望の光が見えたと思った矢先の大地震です。
彼らの生きている人生の、わたしなどには到底想像もできない悲惨さが、死んだ我が子を投げ捨てて、新しい生活に向かう母親を作り出したのだと思います。
そうなんです。彼らは今回、助かったからといって、これからも助かっていけるのか……。
もしかしたら、いっそのこと、あの時に命を失っていた方がよっぽどマシだと思えるような辛い未来が待っている可能性だってあります。
でも……それでも……亡くなった方達の思いを胸に、生き長らえた命を大切に、誇りを持って生きていって欲しいと思います。

今日のような心が、これからも末永く、ハイチに、そしてハイチのみならず、戦争や災害や飢餓で命が脅かされている、世界中のあらゆる場所に住む人々に向けられることを願ってやみません。
旦那とわたしも今日、この番組ではないけれど、医療の充実を確実に図ってくれる団体に募金しました。
これからも長いスタンスでもって募金が行われるそうなので、また少し貯めては送り、また貯めては送っていこうと思います。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25才のボク

2010年01月21日 | 家族とわたし
Tは23才。タイソンは25才。ふたりともに若く、これからの自分の人生をどう生きていきたいのか、自分はいったい何者なのかを模索中。
そのふたりを眺めながら、どんどん過熱していく話を目を細めて聞いていたわたし。
今日はそのことを思い出して、ふふっと笑みがこぼれた時、急に思い出した!旦那はあの時25才だった!ひゃ~!

有名大学を出たものの、専攻していたのがヨーロッパの歴史で、就職のことはまるで考えていなくて、なんになりたいのかも全然わからなくて、
自分の周りにいる、おなじような輩と一緒に、あっちこっちのペンキ塗りをしながら食いつないでいた旦那。
付き合っていたガールフレンドが建築を専攻していて、彼女が興味を持っていた東洋の建築物を見て回る旅行に暇つぶしについて行った旦那。
タイ、マレーシアなどを回り、お金が尽きたら日本。なんせ日本は、そういう風来坊な英語人の若者にとっては都合のいい稼ぎ所だった。
英会話の講師になる場所は山ほどあって選び放題。講師になったら、ケラケラ笑えるほど簡単にお金が入ってきた。バブル崩壊の直前の頃。

日本は旦那にとっては全くの未知の国、だった。
「チャイニーズ、ジャパニーズ、ダーティニーズ」と言って、子供の頃は東洋人を小馬鹿にしていたガキだった。
仁王立ちに立って、両手の人差し指を目尻に置いて、チャイニーズと言う時は上げ、ジャパニーズと言う時は下げ、その後膝小僧を指差してダーティニーズ。汚れた膝小僧という具合。今でもたまに見せられた時はいつも、瞬間、こいつ、ボコボコにしたる!と思ってしまう。
幼少の頃、『ウルトラマン』や『鉄腕アトム』、それから『マッハゴーゴーゴー』なんかを白黒で見てたらしいけれど、それが日本からだなんて全然知らなかったらしい……なんでやねん?科学特捜隊の隊員の人ら、思いっきり日本人(東洋人)ばっかやんか!

ということで、全くなんの予備知識もなく、ただ暇だったのと、ガールフレンドと一緒にいたかったのと、親友が京大に編入していたのとで日本に行った彼。
なんの予定も、野望も、希望もなく、フウテンを続けられるだけ続けて、なんとなくふ~わふ~わ生きていたかった25才の旦那。

気がついたら、なんか知らんけどねっとりとした糸に絡まれて、動きがとれんともがいてたら、2人の、しかも幼児持ちの、バツイチにこれからなる予定の、えらい年上の、わけのわからん言葉をしゃべる女がどんどん近づいてきて……あわわわわ~!!

ほんまになんも知らん、まだどう生きていきたいんかも全然決めてない、ふにゃふにゃの25才をつかまえて、わたしはなんという無謀なことを迫ったのか。

息子があの頃の旦那の年になり、わたしがあの頃の旦那の母親の年になって、やっと初めて気がつきました。
っていうか、わかってたつもりがわかってなくて、今やっとほんまにわかったような気がしました。
えらいこっちゃやったんや……。
ごめん!かんにん!なかったことにしといて!あ、ちゃうわ、なかったことにはしたらあかんけど、まあ、これでよかってんって思といて!

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偏差値がなんでぃ!!改め、GPAがなんでぃ!!

2010年01月21日 | ひとりごと
昨日の記事のわたしの書き方が、みなさんの誤解を招いてしまいました。
言いたいことは間違っていなかったのだけど、一番大事な言葉を変なふうに翻訳してしまって、少しニュアンスがずれていることに、コメントのお返事をさせてもらっている時に気がつきました。

わたしが偏差値と表現したのは、こちらではGPAと呼ばれているもので、偏差値同様、学生の評価値には違いないのですが、評価の仕方が全く違っていました。
なので、簡単に、というか、ウィキペディアからの丸写しですが、ここに載せておきます。興味がおありの方はどうぞ。


『GPA(Grade Point Average、グレード・ポイント・アベレージ)は、各科目の成績から特定の方式によって算出された学生の成績評価値のこと、あるいはその成績評価方式のことをいう。
欧米の大学や高校などで一般的に使われており、留学の際など学力を測る指標となる。
日本においても、成績評価指標として導入する大学が増えてきている。

概要

例えば、まず、各科目の5段階評価を、以下のように換算し合計する。

* 優もしくは秀(90 - 100点)・A - 4
* 良もしくは優(80 - 89点)・B - 3
* 可もしくは良(70 - 79点)・C - 2
* 準可もしくは可(60 - 69点)・D - 1
* 不可(59点以下)・F - 0

それに各単位数を掛けて足した合計点を総単位数(履修登録単位の総数)で割ってスコア化するものである。
この場合、オールAなら4.00、オールF なら0.00となる。
(注意:国によって一般的な計算方式や値が違う。
また、4.00が通常の最高値であっても、たとえば高校でのGPAの場合、大学相当の内容の講義を受けている場合には、その科目のAを4以上として算出する場合もある)
大学において導入される場合、国や各大学によって違いはあるものの、入学者の選抜に用いられるほか、それまでの学期の累計のスコアの合計点によって次学期に履修できる単位の上限が変動したり、あるいは次の学年への進級の可否が決まる制度が導入されることが多い。
とくに卒業条件としてGPAが使われる場合(たとえば平均2以上など)、不用意にいくつもの講義を履修しFを取るとそれを上回る量のAやBでカバーしなければならない。
あるいは留年、退学勧告となる。
そのため、GPA制度導入に際しては、履修後に自分に合わない場合や単位取得が難しい講義を途中で履修を取り消す措置(履修中止制度)を同時に導入する場合も多い。
高いスコアを継続して取り、1学期あたりの科目数を増やしてそれらを高成績でクリアすれば、3年間で大学を卒業できると言うメリットを用意する大学もある。


とまあ、ごちゃごちゃと言うてはりますが、簡潔に、誤解を恐れずに言えば、学校でマジメに勉強してたかどうかがはっきりわかる数値やということです。
飛び級もなんでできるのか、これを読んで初めてわかりました。
こっちの高校も大学も、入るのは簡単だけど、出るのは難しい。特に大学はナメてたらえらい目に遭うというので有名ですが、
そりゃまあ、授業も出ずに、勉強もせずに、適当に通ってる学生のGPAは悲惨なのだからしょうがないですよね。
ちなみに、GPAの数値が一年半続けて2ポイント以下だと、学校は生徒を退学にできるという恐ろしい規定もあるそうで、
もちろん退学を勧告する前には、いろいろと警告が段階に応じてあるそうですが……Tの学部も、かなりの数の学生が追い出されたそうな……。
Tも、最初の年のGPAはものすごく高くて、それがゲームにハマった(というか、あまりのしんどさに音を上げかけていた彼の逃げ場だったんでしょう)二回生はどん底の数値、そこから2年かけて這い上がったものの、戻りきれなかったというのが現状です。
まあ、もともとメチャクチャ難しいことで有名な大学の授業を受けていて、そこでAやBをスルスルっと取る実力も無かったのかもしれませんが……。
 
高校生が大学に入る時も、大学生が就職する時も、そりゃそうとあんた、4年間どないしてたん?と、きっぱりと問われる数値。

ということで、日本の偏差値とはかなり意味合いの違う(ですよね?)数値なのでした。
でも、それでもやはり、人を数値で評価するということとしては同じですけれど……。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偏差値がなんでぃ!!

2010年01月20日 | 友達とわたし
ただ今職探し真っただ中のタイソン、ちゃんと食べられてるのかしらん?と心配性のおかんは、合わせに来てくれるのだからとカルビ丼と味噌汁を作りました。
うちの旦那は、「そんな、毎回毎回ご飯作って、そういうもんやと思たら後がしんどなるんちゃう?それに、彼はまうみの息子ちゃうねんから」とご機嫌ななめ。
確かに、彼はわたしの息子じゃござんせん。けれども、失業していて、たまたまやって来る時間がお昼時なんやから、別にそんなカリカリせんでもええんちゃう?

フランクのヴァイオリンソナタ、第一楽章。これが今日の練習の曲。頑張ってなんとか通しで弾けるようにはしたけれど、やっぱりまだまだ……先は長いです。
憧れの第四楽章も、はじめの5ページだけ一緒に演奏してもらって、あとの3分の2の8ページはわたしの仕上がり待ち。
3月の終わりにあるオーディションまでには、なんとか弾けるようにしないと!でも近道は無いしなあ。とにかく少しずつ少しずつ時間をかけるしかないのです。

練習が一区切りして、わたしは台所に、タイソンはカルロス氏の楽譜を手に取っては大騒ぎ。台所にいちいち持って来ては、「すごいすごい!」を連発。
さっそくいろいろと弾いていました。なんでそんなん初見でパラパラ弾けんねん?!包丁を持つ手にちょいと力が入ってしまいました。ハハハ。
まだ心持ち不機嫌な旦那も上から下りてきて、3人一緒に丼を食べ、食後のお茶を飲んでいる時に、Tがやっと起きて下りてきました。

2才違いの男の子同士、しかも就職活動中。分野が違っても(タイソンはファイナンス、Tはコンピュータープログラミング)話が弾まないわけがありません。
でも、この時期の2年の差は大きい……ふたりの会話を聞いていてしみじみ思いました。
一番最初の仕事を得る時が最も難しかった、とタイソン。面接を受けても何一つ自信が無かったし、自分がどうなるのかも全くわからなかった。
けれども、一旦仕事を得て、とりあえず働き出し、目の前の小さな世界だけであっても自分がそこに身を置いた経験は大きい。
うんうん、と頷きながら話を聞くT。
「でも、ボクの偏差値はあまり良くなくて、それでほとんどの会社は雇ってくれないと思う」とTが言った途端、
「それは全くナンセンス!偏差値はその人をなにも語ってくれないじゃないか。すごく優れた能力を証明してくれないじゃないか」
「でも、会社の応募要項の所に、偏差値○○○点以上の人って書いてあるけど」
「それが?」
「それ以下の者は応募できないんじゃないの?」
「ばかな……。ボクの友達は、ほとんどがそれ以下で、中にはとんでもなく低いヤツもいるけど、おかまい無しに応募して雇ってもらってるよ。その、特に、とんでもなく低いヤツはね、同時にとんでもなく素晴らしいプログラマーなんだ。だから雇われた」
「それはでも、特別な例で……」
「違う違う、Tは間違ってる!自分で先に線を引いてどうする!線は向こうに引かせたらいい。まずは会社の門を、強い意志をこめて握った拳で叩く!向こうに扉を開けさせて、自分のことをしっかり見てもらって、後は向こうが決めるのを待てばいい」
「……」
「ボクにTの履歴書を送って。知り合いにフェイスブックやグーグルで働いてる子がいるから、なにか役立てるかもしれないからね」
「そ、そ、そんなおっきな会社……」
「なんで?ただの会社じゃん」
「そこは特に偏差値にうるさかったような気がする」
「じゃあ、書かなかったらいいじゃん」
「え?……」
「それで、なぜ書かなかったかって聞かれたら、実はボクは、これこれこういうことに興味があってそれに集中しました。なので、その分野はとても優れていますが、それに費やした時間とエネルギーがあまりに大きくて、偏差値を上げるまでには至りませんでしたって話す。そしたらそこで、君の人物像を聞いてもらえるチャンスが生まれる。なんでも物は考えよう、やりようがあるんだから」

なんともたくましい25才。偏差値で凹みがちだったTに、少しはそのたくましさが吹き込まれたことを願ってやみません。

今日は練習に来たのか、悩める就職活動家を励ましに来たのか、なんだか訳のわからないタイソンなのでした。さんきゅ!

コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

T流手作り餃子

2010年01月19日 | 家族とわたし
またまたブタさんで勝負に出たT。今日はバッファローさんならずブタさんのミンチ肉で、餃子を焼いてくれました。

味付けはなんと、小生意気に我流。擦り生姜、刻みにんにく、醤油、ごま油、胡椒だそうです。
白菜と葱のみじん切りとミンチ肉、そして調味料も一緒に、ボールで練り練り、仕事を終えて家に戻った頃には、美味しそうなネタができあがっておりました。



ううむ、これがみじん切りとな……まだまだ修行が足りん!もちろん黙っときました。いただくだけの立場の者は、いらんことを言わない!これが掟です。

餃子の皮に包む時ぐらいは、みんなでお手伝い。

↓これがTとわたし。



↓これが旦那。仕上がりに今いち自信が無いのか、ピースサインで誤摩化そうとしております。けど、餃子に向かってピースしてどないするん?



↓これがK。大津に居た頃に、家族みんなで作った時の、小学生だったKが包んだ餃子とそっくりそのまま!君はあの頃と全然変わってないのね……。



さあさあ、ビールと一緒に、熱々をいただきましょう~!!





コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もしもの幸運に賭ける!

2010年01月19日 | 音楽とわたし
タイソン君とわたしのメール会話より。

「まうみ、明日の電車のことだけど、まうみんちに行くの、何線だっけ?」
「ニュージャージートランジット。ペンステーションから出てるやつ」
「明日はお昼頃に着くので行くことにするね」
「今は息子がふたりとも家に居るから、もしかしたら一緒にご飯食べられるかも」
「あ~そりゃ楽しみ!まうみの息子って、ボクと同じぐらいの年頃でしょ?会えたらいいのになあ」
「仕事探しの真っ最中同士、話に花を咲かせなはれ」

明日、ここに合わせに来てくれるタイソン君。わざわざ来てもらうお礼にランチをご馳走しようと思います。
コリアンマーケットで仕入れてきた、味付けカルビともやしをジャンジャンっと炒めたカルビ丼とお味噌汁。これでいきましょう。
なんか最近、お肉多いな……。

「ねえ、そりゃそうとボク、こないだヴァイオリンの先生に、先月のボク達の演奏(ドヴォルザーク)の録音を聞いてもらったんだ。最初の曲はいいけど、二つ目のはヴァイオリンが難し過ぎてまだちゃんとできてないって言われちゃったよ」
「ああ、あれはわたしも、録音を聞いてそう思た。タイソンがあそこまで弾きにくそうにしてるのは珍しいもんね。正直言って、もしできたら、もうちょっとよい状態に仕上げたのをもう一度どっかで演奏したいと思てるねん。タイソンがよかったらね」
「う~ん……それはまた考える。あ、そうそう、ボクさ、あの4曲の組曲のうち、やってない他の2曲、明日合わせられるよ。やりたい?」

それを読んだ途端に、わたしの心の中はザアザアと荒れた音を出し始めました。

実は昨日、一緒に舞台に立てると思っていたA子からの、「日程に無理があり過ぎること、彼女が今作っている初めてのCDの販売活動を蔑ろにするわけにはいかないことを考えると、やはり今回は見送ろうと思う」、というメールを受け取っていたのでした。
もちろんショックだったけれど、同時にわたしは彼女の気持ちがとても嬉しいのでした。
どんなにわたしのためを思って、忙しい最中に、いろいろと日程や曲を考えてくれていたか。
一緒にやろう!とエネルギー全開で拳を挙げてくれた時の彼女の本気さを思い出しながら、「こっちのことは全然気にしないでいいから。A子のやらなければならないことを全部すっきり片付けてからおいでよ~」と、返事を送りました。


「タイソン、あのね、ぶっちゃけた話、今のわたしには他の曲に興味なんて無いねん。
あんたがだめってわかって、その後一緒にやろうってことになってたソプラノさんとも結局昨日だめになって、またひとりになっちゃったとこやねん。
けど、アルベルトとジェーンと、カーネギーとは別に、それぞれにやろうとしてる2台ピアノ曲の練習もせなあかんねん。もちろんそれは楽しいねんけどね。
明日合わせるフランクのソナタな、今は1楽章を練習してるけど、タイソンがはじめ、やろうやろう言うてた4楽章に、わたしはもう惚れ込んでしもてん。
それで、ほんと言うと、それをあんたとカーネギーの舞台でやれたらどんなにすてきやろって思てたけど、それはもう叶わんことになっちゃったやん。
けど、あの舞台じゃなくてもいいから、どこかの部屋でもいいから、あの曲をあんたと一緒に演奏したいねん!他の曲じゃなくてあの曲やねん!
でも、今のあんたにとっては、自分の暮らしを立てることが一番大切なことなんやし、曲がどうのこうのっていう場合じゃないやん。
そんな人に、こんな我がまま言うのどうかと思うけど、タイソン、自分と同じような演奏ができるヴァイオリニストおらへん?いたら紹介してくれへん?」

まあまあ、なんて利己主義で押しの強い、勝手なお願いをするんやろと、自分でも呆れましたがもう止まりません。指がカタカタとキーを押していきます。

「わかった。オーディションにはボクがまうみと演奏する。4楽章をね。ただ、その後のことは全く保証できないよ。見つかった仕事次第だから。でも、もしボクができない場合は、ボクの先生に頼んであげるか、ボクとよく似た演奏をする人を見つけてあげる」

あのフランクのソナタが演奏できる。せめてオーディションまででも、その間の幸せを考えるだけで目が潤んでしまいました。
タイソンが仕事をカリフォルニアで見つけた時はすっぱりあきらめる。もしもの幸運に賭けてみよう。

タイソン君、母親にぼやかれて渋々言うことを聞いてあげる息子の気分……なんやろうなあ……ごめんなタイソン!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねこなめちゃった?!

2010年01月18日 | ひとりごと
ふたりのお楽しみ、夜のお遊びです。



動きがすごく素早いので、なかなか思うように撮れません。どちらも野生丸出しです?!



このピアノの椅子は、彼女の大のお気に入りの闘いの場。ここから手をチャイチャイと出して、旦那の手を容赦なく引っ掻きます。
手が商売道具の旦那なのに、引っ掻き傷がいっぱい。ええんでしょうか?

旦那は今夜、ずうっとずうっとやってみたかったことをついにやってしまいました。
ねこなめです……?!
ショーティにたまに、髪の毛の毛繕いをしてもらっている旦那。さらにたまに、顔まで舐めて洗ってもらっています。ここで既に変態の域に達している
が!しかし!今夜はとうとう、一線を越してしまいました
なんと、旦那が彼女の頭の上をペロペロ?!
なにやっとんのぉ~!!

もちろん、超~奇妙な感じがしたのか、すぐにすすぎには行ったけど、するか~ふつぅ~?!
あ、そうか、ヤツはふつぅ~ではなかったか……
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッファローを食らう

2010年01月18日 | 家族とわたし
今夜の食事当番の旦那が、「あと5分でごは~ん!」と台所から呼びにきました。
その時、「まうみ、今夜のブログに、いいネタをあげる」と意味深なことを付け足す旦那……。なんじゃそれ?

中華鍋の中を覗くと、ミンチ肉と芥子菜の炒め物がどっさり。ふむふむ、今日は肉ドンね。
ひとりずつボール皿に食べたいだけのご飯をよそい、その上、もしくは横に炒め物をよそって、ビール少々と一緒にいただきました。

さて、さっきから気になっている「ブログネタ」、「いったい何?」と聞くと、「食べてから10分経ったら話す」と、ますます怪しいことを言う旦那。

さあ10分経った!聞こうじゃないですか!

「おっほん!今日のこの肉はいったいなんの肉でしょ~か?」
「牛肉ミンチちゃうん?」とT。
「牛肉の味しかせえへんけど……」とわたし。

「じゃ~ん!実はバッファローなのでした!」と言いながら、すでに捨てた肉の入れ物をゴミ箱から取り出して見せる旦那。うげっ!



確かに思いっきりはっきりとバッファローと記載されてあります。

「この頃牛肉のミンチがいろいろ言われてるからさ。もともとホールフーズ(オーガニック食品を主に売っている店)で買うてるのやけど、脂肪も少なそうやし、自然飼いされてるし、なんの添加物も加えられてないし、良さそうやと思て」

で、芥子菜と一緒にジャンジャンと炒められ(すんません、写真が暗いです!)、



Tが、二杯目を食らっております。写真を撮ろうとしたら、ササッとフードを被り、すっかりネズミ男に変身してしまいました。



一食一菜。なかなかに美味しゅうございました。
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GPS初体験!

2010年01月17日 | 家族とわたし
近場でこそこそ練習を積み、今日はとうとう、GPSを使っての長距離ドライブ初体験となりました

うちに初めてやって来てくれたGPSは、息子Tが、大学の教育を受けさせてくれたお礼にと言って、去年のクリスマスに贈ってくれた物です。
手渡される時に、「これでちょっとは喧嘩が減るようにと思て。どうか平和に乗ってください」と言われた旦那とわたし。

ムムッ、そんなふうに思われてたのか……と反省しつつ、ハンドルを握る旦那の横に座った途端、どうしてだかイライラしたり、信用できなくなったりと、説明のつかない負のエネルギーがムクムクと沸いてくる自分を思い出していました。
自分でも説明のつかない、車の中だけ限定の気分で、車から降りるとまたまた途端に、なんでもなくなってしまうのです。とても不思議です。

なので、今日のドライブには、わたしとしては、かなりの入れ込みと期待がありました。
今日こそは、なにももめることもなく、慌てることもなく、焦ったり疑ったりすることもなく、CDやラジオを小さな音量で聞きながらドライブできる!
そこで、わたしがまず運転を買って出ました。GPSに限らず、何かの指示に従って運転することは、わたしの方が旦那より上手だという自信があったからです。
旦那は、どんなに詳しく地図を下調べしようが、地元の人からの情報を、それもひとりからだけではなく数人から仕入れようが、
走って行って、ややこしいと思われる場所が近づいてくると、「ここは難しいぞ」とブツブツつぶやき出し、地図や情報の再チェックをし、
そしてここがポイントです!なぜだか突然、なにもかもが信じられなくなって、看板や表示が出ても、「これよりきっといい方法があるはず」などと言って、無視したり、従わなかったりすることがあるのです。
当然わたしは呆れ返ります。
「あんなに調べてたやんか!ほんで、その通りの道路標示も出てきてたやんか!そやのになんで通り過ぎたり、変なとこ(一つ前の出口)から降りたりするん!」
すると旦那はおもむろに、
「世の中のことをなんでも、ああそうですか、へえそうですかと信じるのはまうみの癖」と反論してきます。
けど、それでこその地図であり、それでこそのインターネットサーチであるわけで、もちろんわたしもそれにもミスがあることは知っているけれど、まずは信じて従ってみて、もしおかしな展開になったら、その時にまた解決策を考えたらいい、と思いませんか?

まだ、GPSを車に固定していなかったので、それは旦那の膝の上にありました。
わたしは気分良く、気持ちも穏やかに、女性の声で指示される言葉通りの道や出入り口を走っておりました。
いつもそこを通るたびに、旦那がふと心配になるポイントが近づいてきた時、今日こそはGPSがあるんやもん、大丈夫!と思って走っていると、
「あれ?ボクが思ってるのと違う!」と言い出した旦那。そうして地図を広げて、あ~でもないこ~でもないと、GPSに抵抗し始めました。
「あんな~、そんなんやったらGPS使てる意味無いやん!わたしは今日は、なにがなんでもGPSについて行くし!他の意見は聞かへんし!」と言うと、
「まうみは機械に甘え過ぎ!」ときました?!
機械に甘え過ぎって……そんなこと言われても……ほな、GPSってなんなん?
もう呆れまくったわたしは、それでも地図とGPSを見比べては唸ってる旦那を無視し、「今日はもうBの言うことは聞かへんし」と宣言しました。
でも、スピードは120キロ、出口や分かれ道はあっという間にやってきます。
パークウェイに入らなければならないことは覚えていたのだけど、そこに出てきた看板には、3つの異なる名前のパークウェイが書かれてあったので、
「○○と△△と□□パークウェイの、どれに行くんやったっけ?」と聞いたのに、まるで無視して新聞を読んでいる旦那。
仕方が無いので、旦那の膝に乗っているGPSの画面を見ようとしたのだけれど、旦那の指で隠れていて、肝心の所が読めません。
ええ~い、こっちかっ!と腹を決めて右側の道を選んだ途端、GPSのお姉さんが、「これから道案内の練り直しをします」と言い出しました。
「ぎょえ~!あっちやったか!」と後悔したけれど後の祭り。
「ちょっと、わたしがどのパークウェイやったかって聞いた時、なんで無視すんのよ!」と腹立ち紛れに言うと、
「え?今日はボクの意見は聞かへんって言うたんちゃうの?」と返ってきました!
むっかぁ~!!!!!ほんなら、ちゃあ~んと画面が見られるようにしとけ!!!!!
さすがGPS、速やかに練り直し、元の道に車を戻してくれました。
それからはもう、ひやひや~っとした空気が充満して、そりゃもう険悪なわたし達。
コネチカットのお家に着いて、車から降り、玄関のドアを開ける瞬間まで、めちゃくちゃに仲が悪かったのでした。ガハハ!

でも……もうこんなんじゃ、GPSを使っても疲れ果ててしまいます
過信もいけないけれど、ここまで不信だと、すっと行くことも行かなくなってしまいます。
わたし達ってやっぱり、足して2で割った方がいいんでしょうか……
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花より団子、酒よりおしゃべり!

2010年01月17日 | 友達とわたし
じゃ~ん!皆で持ち寄ったご馳走です!



テーマは和食。ここに、ホスト家のK子ちゃんが巻いてくれた、めっちゃ美味しい揚げ春巻きが加わって、もうそりゃ天国のよう。

5人の女性組のうち3人がK子ちゃん、そしてT子ちゃん、それにわたし。関西系のボケと突っ込みの応酬がそれはそれは楽しい井戸端会議でありました。


小さな女の子達は、相変わらず疲れ知らず、エネルギー全開で「遊ぼ!遊ぼ!」と誘ってくれました。
わたしの顔を見るや否や、「あ、おもちゃのおばちゃんが来たぁ~!」って……もう人間扱いしてもらえてないし……。
でも、やっぱ女の子って可愛いなあ~、やかましいけど……ダハハ!
それにしても、P&Sのヴァイオリン、ほんま、進歩しまくってたよ!「上手になったね」って、おもちゃのおばちゃんが褒めてたとお伝えください。

今日は旦那も、声がガラガラになるまで楽しくしゃべりまくってたようで、あの男組の結束の強さもなかなかのもんでした。
いったい、なんの話で盛り上がってたんだか……

今朝は5時から早起きして、家の中を掃除したり料理の準備をしたり、ホストのK子&Jくん、本当にお疲れさまでした。
ろくに片付けも手伝わず、ガハハガハハと笑いながらさっさと帰ってしまってごめんよぉ~!今頃ダウンしてやしないかとちょっと心配しとります。

うちでやると、マサチューセッツ州からは5時間近くの行程になっちゃうので、なかなか大きな声では誘いにくいのだけど、もしなにかのついでができた日にゃ、どうか一声かけてね!K子ちゃん。
そしたら、急であれ何であれ、コネチカット州とニューヨーク州にも集合かけるからさ。
ほんでもって、ニュージャージーでにぎやかにやりまっしょい!

今日は本当に本当にありがとう!K子ちゃん&Jくんのおかげで、とっても楽しい新年の幕開けになりました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする