ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ある ある ある

2010年01月27日 | ひとりごと
『あたりまえ』

こんなに素晴らしいことを 皆は なぜ喜ばないのでしょうか

お父さんがいる お母さんがいる 手が2本あって 足が2本ある  

いきたいところへ自分で歩いてゆける

手を伸ばせばなんでもとれる こんな幸せあるのでしょうか  

しかし 誰もそれを喜ばない  

あたりまえだと笑って済ます

食事が食べられる そして また朝が来る 空気を胸いっぱいすえる

笑える 泣ける 叫ぶこともできる 走り回る

みんなあたりまえ こんなすばらしいことを 皆は 決して喜ばない

それを知っているのは それをなくした人たちだけです

なぜでしょう



友人のあべちゃんのブログで見つけました。あべちゃん、ごめん!勝手にいただきました!

中村久子さんという方の詩です。
中村さんは、明治30年岐阜県大野郡高山町(現高山市)に生まれ、3歳のとき、突発性脱疽が原因で両手両足を切断。
数々の想像を絶するピンチに見舞われながらも、「いのちの力」を最大限に発揮し続け、昭和43年に72年の生涯を閉じられた方です。

手足のない状態というのは、泥のような状態だと思っていた久子さんはある時、
「泥は“悪”だとばかり思っていたが、そうではなかった。泥があるおかげで、自分は蓮のように花開くことができたのだ」という境地に到達されたのでした。

欲しいものは何でも手に入る現代社会の私たちから見れば、久子さんの生活は「何もない」といってもよいくらいの悲惨なものでした。
久子さんは、20歳の時郷里を離れ、独り立ちの生活を始めます。
無手足の身に裁縫・編み物・口での糸結び・短冊書きを芸として、見世物芸人"だるま娘"の看板で興行界に入ります。
日本全国のみならず朝鮮などの外国へも巡業しています。
わたしが子供の頃でもまだ、久子さんのような身体に障害をもたれた方々が見せ物にされていました。
お祭りの屋台が並んだ路地の奥に、見世物小屋が建てられていて、重くてカビ臭い暗幕の向こうでは、時には檻の中で、時には小さな舞台の上で見せ物にされている人を見た覚えがあります。

しかし久子さんは、ある時、自分の心境を「ある ある ある」という詩に託して表現しておられます。
手足がない久子さんですが、「何でもある」という境地に達せられたのでした。


『ある ある ある』

 さわやかな
 秋の朝

「タオル 取ってちょうだい」

「おーい」と答える
 良人(おっと)がある

「ハーイ」という
 娘がおる

 歯をみがく
 義歯の取り外し
 かおを洗う

 短いけれど
 指のない
 まるい
 つよい手が

 何でもしてくれる

 断端に骨のない
 やわらかい腕もある

 何でもしてくれる

 短い手もある

 ある ある ある
 みんなある

 さわやかな
 秋の朝




コメント (10)
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