ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

無心で音楽をつくる

2010年01月07日 | 音楽とわたし
すっかりあきらめきっていた、A子とわたしのカーネギーへの挑戦。
それが叶うことがわかって、わたしはここ数日有頂天

カーネギー出演を決めるオーディションが3月の第4土曜日に決まり、万事休す、やっぱり4月からしかこちらに来られないA子とは演れない!と断念し、
「オーディションのお誘いメールをありがとう。でも今回、パートナーのA子が間に合わないので、今回のコンサートはあきらめます。でも、彼女の歌はぜひぜひみんなに聞いてもらいたいので、毎月の演奏ミーティングでは絶対に演奏するから!」というメールを送りました。
そしたら即、「4月の第1週目の間にこちらに来られるのなら、ボクがまうみの家に行って、ふたりの演奏を録音するから、それを決定会議中にかけてみんなの裁定にかけよう」とアルベルトから返事が送られてきました。
こんなこと、日本でやったらどうなるか?えこひいきだの、平等でないだの、まさにその通りなので、非難囂々の大騒ぎになると思うけれど、
それをしつっこいぐらいに彼に聞いても、「そんな、物理的に無理なんだから、それぐらい特別に大目に見ても誰も文句言わないよ」、と断言する彼。
もちろんわたし達にしてみれば、文句無しの嬉しいオファーなので、大喜びでいただくことにしました。

わたしは今回のカーネギーには、まずは彼女との共演を夢見ていて、けれども留学のタイミングとメンバーになる期間が、出演者全員に課せられる条件と合わなかったので、泣く泣くあきらめたのが去年の夏の終わり。
そして、それならと、彼女に代わる演奏者ということで、わたしが勝手に共演をお願いしたタイソンくん。
ところが彼も、去年の末に突然、仕事仲間と大げんかをして、会社を飛び出したっきり無職になってしまい、今は実家のカリフォルニアに戻って就職活動中。
今回のカーネギーの共演はあきらめてほしい、という連絡が入ったのがついこの間のことでした。
もうおしまいや~!とかなり気落ちしていたところに、オーディションのお知らせが会員全員に送られてきて、ふんふんと読み進めていくと……、
ちょ、ちょっとちょっと、これならA子がもしオーティションの日に間に合うようにここに来られたら可能性アリやん!?という条件に変わっていたのでした。

オーディションを受けさせてもらえることが決まり、さあ、曲を決めにゃ~!と張り切って曲を検索し始めたわたし達。

すると突然、びっくりするような思いが、心の真ん中から吹き出してきたのでした。
ACMAのピアニストには、記念演奏会ではソロを演奏することは許されず、誰かの伴奏か連弾のみ。しかも伴奏は1曲のみという厳しい規定が課せられます。
ピアニストの人数が多過ぎること、他の楽器や歌手の演奏家をもっと増やしたいこと、それが理由です。
なので、ピアノ弾きにとって、カーネギーの舞台の上でイニシアティヴを得ることはとても難しくなります。
たった1曲、しかも10分以内の間の夢の舞台。本当はソロ、もしくはせめて2台ピアノの演奏で立ちたいピアニスト達。
そのモヤモヤを一気にA子に向かってぶつけてしまいました。

すると……、

『私は4月から初心に戻って音楽を学び直そうと思ってるの。
「先生」でいる期間が長いと出来てない事も出来てるつもりになってえらそ~になってくるのよ。恐ろしい事に知らず知らずにね。
だから自分を戒めるためにも、自分に足りなかった事を見つめ直し、上達出来るように頑張ります。

留学をNYって決めたのも、まうみがいてくれるというのが第一のきっかけだったし(覚えてる?決意は佐渡の海岸だったよ~)、
まうみの真剣に音楽している姿勢に共感してのこのプラン。
そりゃ、やる気まんまんよ~!もち、あこがれのカーネギーだからってのもあるけどね。わくわくします。
(あ、また受かった気でいるわ。落ちたらホント恥ずかしくない~私達ぃ~?)

S子と沢山練習して一緒に音楽作ったあのウィーンの学生時代のように、
時間をかけて、ちょっとしたフレーズにこだわって、あーだこーだ言いながら音楽を共につくる楽しみを、またまうみとできるなんてフシギなご縁。
とても楽しみにしています。
大人になっちゃうと時間がないからどうしてもやっつけ仕事が増えるし、
リサイタルも素晴らしいピアニストと共演するとそれは色々一杯もらえて楽しいけど、
合わせが2、3回で本番(一人で一晩でないコンサートは合わせ一回なんて事もザラよ)となるとちょっと消化不良……。
彼らのせっかくのアドヴァイスも、後でやろう、と引き出しに入れたままになってどっかいってるし。
音楽で仕事しなくて良いなんて私にとっては贅沢の極み。

まうみとはこの贅沢な「無心で音楽を作る作業」を楽しみたいと思います』


S子は、このブログでも時々紹介している、わたしの幼馴染みであり、親友であり、妹である、ウィーン在住の素晴らしいピアニストです。
A子と知り合えたのもS子のおかげ。A子とS子は、素晴らしいパートナーシップでもって互いの音楽を高め合い、数々の国際的なコンクールで賞を取りました。

わたしにはかくも素晴らしいすてきな友人がいて、そしてその人があと3ヶ月もするとここにやってきて、無心で音楽を作る作業にかかります。
曲選びといっても知らない分野だけに手探りの状態。
そこでS子にSOSのメールを送ると、日本から戻ったすぐの、疲れや無理から体調を崩している最中にも関わらず、早々に何曲か、候補になりそうな曲を書いたメールを送ってくれました。
わたしは彼女達の足元にも及ばない、経験も力量もまるで足りないピアノ弾きだけど、今回ばかりはもう竹馬にでもなんでも乗って、思いっきり背伸びして、ついでにほんとに背を伸ばしてみようと思っています。
おばちゃんでも、めちゃくちゃその気になったら、背が伸びるねんで~


こんがらがって~ほぉ~いほいっ!

2010年01月07日 | 音楽とわたし
カルロス氏のピアノの鍵盤が、新しいフェルトをまとったハンマーと一緒にうちにやって来たのが去年の末。
弾いてみたら、新しい平らなフェルトにぶつかる弦の響き独特の、モコモコとした音が出た。
それはまあ仕方がない。これからフェルトに弦の跡が少しずつついていくにつれて、どんどん音が鳴るようになるだろう。
そう思いながら、曲の練習を続けた。
でも違う!新しいからとかいうのと違う!この閉塞感!指先に感じる感覚と音が全く一致しない期待外れの多さ!
こりゃ絶対におかしい。なにかがおかしい。

心の中にウツウツとした薄ら暗い影が広がってくる。
カルロス氏だってきっと、こんな音になったピアノを哀しんでいる。

今回のハンマーの相替えは、ピアノ専門運搬会社の誰かのミスで、高音部のハンマーの柄の部分が折れたことから始まったのだけれど、
保険でその破損部分だけを直すか、$500余分に払って、ハンマーの相替えをするかと聞かれて、相替えの方をお願いしたのが11月の末のことだった。

連絡がなかなかとれなくて、いろいろと遅れて、それでも根気よく待って、やっとのことで鍵盤が入り、そして代金がわたしの講座から引かれた。
$650なんでやねぇ~ん約束の調律がいつなのかも音沙汰無し……疲れました……さすがに……

そして、お金の取られ過ぎの報告と、調律のお願いをするべく電話をかけたところ、
「ああ、調律はもちろん行かせますがね、でもあの鍵盤だと調律だけでは済まないからねえ~」ときた。
「ピアノタッチの調整やらアクションの調整やらが必要だから、あの鍵盤は。うちの調律師はあの鍵盤を見たらきっと絶対にそう言うと思うよ」
「じゃあ、それをお願いした場合はどうなるんでしょうか?」
「1時間90ドルでやらせてもらうから、でも、あの鍵盤にかかる時間が何時間になるか、それはわからないからねえ~」
「最悪ではどれぐらい?」
「まあ、10時間かかる場合もあるわなあ」

今、何社かのピアノ修理専門の会社に問い合わせているところ。
古いピアノを買ったのだから、しかも、その主は重い病気にかかっていて、長い間ピアノどころではなかったのだから、
引き取ったわたしが責任を持って、良い状態にしなければならないことは覚悟していたけれど、なんか物事の進み方が妙にグネグネしていて気持ちが良くない。
でも、どうやら、鍵盤の全体的な、そして徹底的なリニューアルが必要なことだけは確か。それは弾き手のわたしが1番よくわかっている。

またまた大きな出費になりそうだけど、旦那は薄々覚悟してくれているようで、それだけでもかなり気持ちが救われる。

一日も早く、カルロス氏が楽しんでいた頃のピアノに戻れるようにしたい気持ちは山々だけど、はいはいと調子良く進めることはできない。
でも、凹まず、後ろ向きにならず、きっといつか良くなることを信じて、コツコツ足音たてて歩いて行こうと思っている。