天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

山咲千里著『だから私は太らない』スナック菓子をポリポリ食すと違い食時間長いケーキはダイエット敵でなし

2010-08-29 21:38:24 | 日記
今日の続編日記は、今再読している私の愛蔵書、山咲千里著のダイエットエッセイ『だから私は太らない』(2002年講談社刊:添付した写真はその裏表紙)のことです。
その著書第5章「真剣に食べます」の<40代からの食の在り方>に山咲千里さんの独自のダイエット法が書かれています。その記述の一部を抜粋引用し、以下に掲載します。
『私は今年40歳(私注:彼女は1962年生まれ)になる。・・私には40代の食のイメージがある。・・私はいわゆるダイエットのプロではない。栄養学を学校で学びもしなければ、医師の資格もない。ただ多くの女性がそうであるように、自分にとって何が必要で何が要らないのかをずっと迷いながらも正直に模索してきたひとりである。その結果、無理なダイエットで近道を求めないことが一番ということを知った。また、忙しいことを理由に食をおろそかにするな、という警告も多く受けた。・・本番の異常なほどの緊張感を抑えるための精神力のもとは体力である。健全な精神は健全な身体が支える。・・うちの家系は牛乳の消化がヘタなのを知って、母は私にムリに牛乳をとらせないでくれた。また甘いモノが好きな私に白い砂糖を取りすぎるとにごって血液がにごって疲れやすくなるからと、精製していない黒糖やさとうきびの砂糖、三温糖など身体に負担がかかりにくい砂糖を使ってお菓子を作ってくれていた。・・生活環境は大切。ケーキが食べたいならケーキ屋さんでしか食べません。だって家だとひとりで2~3個食べてしまうから。・・オトコのヒトが甘いものをあまり食べたがらないのも、どんぶりでご飯をおかわりしたり、でんぷん質から糖分をよく吸収しているので他にデザートを必要としないかららしい。・・女子は、ご飯は太るから半ライスにと食堂で頼むモノ。・・後で、はやくお腹が減ることが多かった。そしてそれをおやつという形で食べるから、ご飯抜きの食事のほうが、でんぷんの量が、かえって多くなって太る体質になっていくと思う。・・しかしケーキはダイエットの敵ではない。ときには、イギリス人のように1時間や2時間かけてお茶とお菓子をいただくのもいい。何個食べるかではなく、それを食べるのに何分かけたかが問題なのだ。ただなんとなくスナック菓子の袋へ手をつっこんでポリポリ食べたお菓子とは違うカロリーの吸収率となる。・・大切な心がけは、心の贅肉を落とすことである。そういった意味で、女性は太っていても痩せていても関係ないくらい、まず幸せでいることが大事です。』
私のような男性に、女性のダイエット願望を正しく捕らえることはできません。でも、山咲千里著のエッセイ『だから私は太らない』は、金言に満ちたとても全女性の参考になるダイエット書だと思います。
ですから、前回の「某劇場演技者女性にも、是非読んでほしい」との私の言葉を「全ての劇場演技者女性」にと、その対象者をより拡大し、皆さんに読むことをお勧めしたいです。
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山咲千里ダイエット著『だから私は太らない』でマリリンモンロー名言:私は見られていないときは死んでいる

2010-08-29 18:43:49 | 日記
今日の日記は、今再読している私の愛蔵書、山咲千里著のダイエットエッセイ『だから私は太らない』(2002年講談社刊:添付した写真はその表紙)のことです。
その著書第3章「写真は瞬間でスリムになれる」の<華麗なるダイエット写真>に私の大好きなマリリン・モンローが登場します。以下に、その記述の一部を引用掲載します。
『亡くなったのちに知られた話だが、あのマリリン・モンローは撮られた写真のネガにこれは使ってもいい、これはダメと自ら赤鉛筆でチェックを入れていた。マリリン・モンローといえば、名だたる大女優がいるなかでも際立ってフォトジェニックだったことでも有名である。・・誰がどんなカメラでどう撮ろうが、いかなる瞬間でもいつも最高の表情を見せていた女優だった。そして「私は見られていないときは死んでいる」という名語録があるほどの写真好きでもあった。・・マリリン・モンローは写真を撮られることに非情に敏感に反応してきただけに、撮られることにへの執着心も尋常ではなかったと思う。たとえ今よりどんなに太っていたとしても、このヒトはどんなポーズをとればウエストにくびれが出るか知っていたと思う。・・マリリンが最初に手にした賞は雑誌のアンケートによる大衆賞だった。ハリウッドの幹部が選んだスターではなく、読者が一票一票入れてくれた真実の賞であることをマリリンは自負していたという。』
私はこの著書を再読して、私と生まれが9歳違いでまだ若い女優山咲千里さんが、同じ職業の大先輩で、当時の全世界成人男性の恋人、マリリン・モンローに言及してくれたことにとても嬉しくなりました。けれども、私の抱く恋人マリリン・モンローは、山咲千里さんが自著で書かれたマリリン・モンロー観とちょっと違います。
マリリン・モンローが、山咲さんが書かれたような「写真を撮られることに非情に敏感」だったとは、私にはとても思えません。その写真撮影時のマリリン・モンローのポーズや仕草は、予め計算されたものでなく、自然と彼女の内面から沸きあがったものと、私自身は今でも思っています。何故なら、彼女はそんな計算高い女性ではまったく無かったからです。
そして読み終わって、この山咲千里さんのダイエットエッセイ書を、某劇場演技者女性にも、是非読んでほしいと私は思いました。
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「アスペルガーは病気でない」の認知は一人の教育指導主事が決める事でなく、一般社会や専門医の総意が必要

2010-08-29 11:47:36 | 日記
今日の日記は、ネット掲示板に投稿したアスペ礼賛劇場客に対する私の意見及び回答書です。
私の日記8月25日付『自称アスペルガー患者の診療を専門家が行うと週刊誌報道有、狂うは歴史ある言葉、店は軒がまとまった数え方』にアスペ礼賛劇場客の反論投稿が再びネット掲示板にありました。その投稿全文はとても長文ですので、そのアスペ礼賛劇場客の主張した論理の要旨部分を抜粋し、以下に引用します。
・アスペ礼賛劇場客『「アスペルガーは病気である」とのあなたの主張はまったくの誤りです。・・教育指導主事から言われたことを今でもはっきり覚えています。「皆さん、自閉症(もちろんアスペルガーも含みます)は病気ではありません。治るものではないのです。症と名がつくので病気だと思う人がいますが、皆さんはそのようなことがないように。さらに、遺伝との因果関係もはっきりしていません。ですから、自閉症の子を持つ保護者の前で『病気』とか『遺伝』という言葉を発しないでください。」・・障害児教育に携わった者として、あなたのような無知・無理解を自覚せずしたり顔でものを言う人には大きな憤りを感じます。・・』
・(反論1)アスペ礼賛劇場客の主張「アスペルガーは病気」の根拠は、投稿に登場した教育指導主事の談話だけ・・私がこのアスペ礼賛劇場客に提示した疑問『何の根拠があってそう主張しているのか?』に対する回答は、彼は自身が研修で聞いた教育指導主事の個人的な談話だけがその根拠です。私は医学の門外漢(注:この私の認識はネット板では一貫して不変)ですが、この教育指導主事の主張にはまったく同意できません。
その根拠となる資料として長文になりますが、以下に掲載します。
<1>(アスペルガー症候群を手探りで診断)・・児童精神科医・目白大学客員教授:山崎晃資著『発達障害と子どもたち アスペルガー症候群、自閉症、そしてボーダーラインチャイルド』(2005年講談社刊:添付した写真はその著書の表紙)より関係文を引用掲載します。『内科の病気は、X線やMRI、CTなどの画像診断をしたり、血液検査などをして病気を発見することができます。医師から目に見える画像や数値として異変を示されるので、患者さんにもよくわかります。ところが、児童精神科では数値であらわせるような検査ができません。目にみえない心の発達の状態を把握するには、そのどもがどんな家族の中で、どんな関係を結び、どのような発達の仕方をしてきたか、一つひとつ成長の過程をたどりながら、手探りで診断していくことになります。』この専門医は、アスペルガー症候群を病気と見做し、その患者を真摯に診断しています。
<2>(病気の定義は曖昧だが、一般社会、専門医の総意で決定>・・百科事典ウィキペディアより『病気』の解説を引用掲載します。『病気は曖昧な概念であり、何を病気とし、何を病気にしないかについては、政治的・倫理的な問題も絡めた議論が存在する。もちろんそうではあるが、一方で、医療人類学では、病気(sickness)を、疾患(disease)と病い(illness)をあわせたものという概念が提出されている。・・結局、「病気とは心身の不調あるいは不都合であって、いわゆる医療による改善が望まれるもの」と定義できたとしても、何が病気であるのか、病気でないのかを決めるのは、一般社会、あるいは医師の社会の総意によって決められている、と言えるだろう。』
<3>(発達障害の診療に見合った診療報酬が設定されていない)・・今春、日本小児科学会の理事長に就いた五十嵐隆東京大教授は、学会の今後の課題として「発達障害の子へ医療的な支援が必要。その環境づくりに取り組みたい。専門医が少ない上、診療に時間がかかるのに見合った診療報酬が設定されていない点など、多くの課題がある。」と公表しています。発達障害に診療報酬が設定されているのは、発達障害を治療が必要な「病気」と政府が認定しているからです。
アスペ礼賛劇場客は、自身が研修で聞いた教育指導主事の個人的な談話を鵜呑みしないで、もっと幅広い社会的な知識を吸収して下さい。そして、こんな独善的な人間では、障害児教育に携わる資格はまったくありません。さらに、このアスペ礼賛劇場客は、この自己の心的資質をさらに悪化させるこの閉鎖的で独善的な特殊劇場社会から早急に決別するべきです。
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