天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『ダーリンは外国人』は原作の父『うーむ間違えだ全然ときたらないの否定で終わる』逸話をトニーに改悪

2010-08-13 16:33:26 | 日記
今日の続編日記は、今私が読んでいる小栗左多里著の人気コミックエッセイ『ダーリンは外国人2』(添付した写真はその表紙)のことです。
私は帰国してから、キャセイパシフィック航空機内映画サービスで鑑賞した映画『ダーリンは外国人』の原作本を再び無性に読みたくなって、今その著書『ダーリンは外国人2』(2004年メディアファクトリー刊)を読んでいます。
この著書を再読してみて、映画とのある違いに気が付きました。それは、「ルポ1・あいかわらずです:朝ごはんはラザニア」での『そんな彼がこだわりを持っているのは語学』のある漫画1コマです。
映画でも登場した、テレビの女性が発した言葉『すごいキレイで!』を聞いたトニーが『うーむ 間違ってますねえ・・・正しくは「すごくキレイ」でしょ?』とその女性の日本語を糾しています。それに続いて漫画エッセイでは、『うちの父も生前言っていた』のエピソードの話に展開していますが、映画ではそのままトニーのエピソードに置き換えられていました。
原作本の漫画1コマでは、テレビの男性が発した言葉『全然あり!』を聞いたさおりの父親が『うーむ 間違っとるな・・・「全然」ときたら「~ない」っちゅう否定で終わらなあかんやろ』とその男性の言葉を糾しています。この原作本のほうが、語学オタクのトニーと漫画家さおりの父親の語学のこだわりに関して、お互いの共通性がよく判ってとても良い逸話です。しかし、映画の脚本では安易にトニーのエピソードに改悪しています。これでは、さおりの父親の性格がまったく理解できなくなってしまいます。映画はとても残念な原作本の改悪です。
また、この著書「ルポ2・ちょっとしたニュース:お部屋探しの困難ふたたび」で『何軒も何軒も問い合わせたり見に行ったりしている』の記述を目にして、私は最近閲覧した某劇場演技者女性のブログ投稿文を、唐突に思い出しました。
そして、その女性ブログを再度閲覧して、私は思わず次の言葉を叫んでしまいました。
『うーむ 間違っとるな・・・「ドラッグストア5・6件行ったのに無かった」の「件」は「軒」でしょうが!単純な変換ミスを女性に教えてあげない管理人はまったく失格だよ!!』
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映画『ダーリンは外国人』日本語美しさに惹かれたトニーラブロの掘下なしで漫画家さおりのヒモだけに見える

2010-08-13 14:07:21 | 日記
今日の日記は、私の香港・深圳・マカオ旅行の紀行記(3):キャセイパシフィック航空機内映画サービスで鑑賞した映画『ダーリンは外国人』(宇恵和昭監督 井上真央 ジョナサン・シェア主演)のことです。
この映画は、小栗左多里の人気コミックエッセイを映画化しています。でも、漫画家小栗左多里のモデル、さおり(井上真央:添付した写真は機内パンフレットに登場した彼女)の恋人になる実際のダーリン、トニー・ラブロ(ジョナサン・シェアが扮する)の描き方に、私は強い疑問を持ちました。
それは、大島里美の脚本による映画では、トニーは無職でさおりの「ヒモ」みたいにしか見えず、日本語オタクの彼が、どんな仕事をしている人物なのかまったく判らないからです。このように彼の人物紹介をまったくしていない脚本では、ダーリンになった外国人の実態がよく判らないです。そして、宇恵和昭監督もそれに対して何も疑問を抱かず、トニーの家庭や私生活での行動しか描いていません。とても残念な演出です。
実際のトニー・ラブロは、1960年ハンガリー人の父とイタリア人の母の間に生まれ、アメリカで育ち1985年に来日したアメリカ人ジャーナリストです。彼自身も小栗左多里と共著で、いろいろなエッセイを書いて出版しています。この彼の経歴を、映画から私は実感できませんでした。
映画で日本とアメリカの文化の違いを実感させるのなら、上面の外国人を描かず、日本語漢字の美しさに惹かれて来日した外国人トニーの人物実態を、私はもっと深く掘り下げてほしかったです。
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