天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『家族』あんまん売店前で物欲しそうな顔をし食べ物を貰った孫に祖父笠智衆は「お前はコジキじゃなか」

2010-08-22 23:15:09 | 日記
今日の続々編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その4です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その4)。
・(4)祖父や親の生き様は子供、孫に引き継がれる--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の4人が、やっとの思いでまだ残雪が残る目的地に到着しました。次の夜、家族は地元の人々から歓待をうけ、父源蔵(笠智衆)は彼の生まれた九州の炭坑節を歌い上機嫌な気分になります。そして、とても満足した源蔵はその日、可愛いい孫の剛(木下剛志)と一緒に布団に入って寝込みます。その一緒に寝ている息子を移そうと寝室に入った嫁の民子(倍賞千恵子)は、息を引き取ってしまった隣の義父源蔵を見つけます。とても安らかな死に顔でした。
伊王島を出発した5人家族は、その最終目的を果たした時、2人減って3人家族になってしまったです。でも、残った家族は地元の人々の温かい応援と新しい家族の誕生に恵まれて、その北の新天地で、力強く着実に生活を始めます。そして、死んだ祖父源蔵との旅での思い出を、孫の剛は一生忘れないでしょう。孫の剛は、旅の途中で、上野動物園にあった「あんまん井村屋」の売店前で、物欲しそうな顔をしたので、売り子の若い女性が哀れんで、ただでそのあんまんを貰ってしまいました。その手にした食べ物を発見した祖父笠智衆は孫に『おまえはコジキじゃなか!』と言って、その代金を渡して売店に持って行くように諭しています。この祖父との思い出を、孫は決して忘れないでしょう。だから、親や祖父が死んでも、その生き様はその家族の一員であった子供、孫に引き継がれるのです。
そして、添付した写真は、今私が読んでいる、本人の米寿記念で出版された自伝『あるがままに』(著者:笠智衆ほか1992年世界文化社刊)の表紙です。
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映画『家族』失意の倍賞千恵子に春川ますみは「こんな小さな骨壷に、何だかうちが殺したような気がして」と

2010-08-22 21:16:25 | 日記
今日の続々編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その3です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その3)。
・(3)死んだ我が子は永遠に家族の一員--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の長女、まだ赤子の早苗(子役・瀬尾千亜紀)が、旅の途中の上野に着いて体の容態が急変し、旅行の予定を変更して家族は近くの旅館に泊まります。夫婦はやっとの思いで捜し当てた救急病院に馳け込みますが、すでに手遅れであっけなく早苗は死んでしまいます。哀しみの葬儀を終えて、家族4人はすぐに目的地へ出発します。そして、北海道の根室本線の車中で、なれない長旅の心労と愛児を死なしてしまった罪悪感や亡くした哀しみに沈み込み、白い布で包まれた小さな骨壷を膝に抱く民子は、またたま隣の席に座った地元の女性(春川ますみ:添付した写真は3年前に別の映画出演した時のシ一ーン)とお互いにその身内話をし始めます。そして、春川ますみは、失意の倍賞千恵子に、
『ほんとに気の毒だね。あんたもどんなに辛かっただろうね。私もね、子供を亡くしているのよ。生きている時は泣いているばっかしで、手の掛かる子で、こんな喧しい子おらんようになったら、どんなにさっぱりとして、身持ちがいいだろうと思ったけど。死んでみて、こんな小さな骨壷に!何だか・・(突然泣き出して)うちが殺したような気がして・・(嗚咽を上げて泣きじゃくる)』と子供を産んだことのある女性にしか分からない気持ちを吐露しています。とても感動的な名シーンです。
この女優・春川ますみは、元某劇場演技者だった女性です。だから、管理人がブログ管理している女性の大先輩の女性です。やはり、ここの管理人はこの映画を是非観るべきです。
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映画『家族』で父親笠智衆は同居を断った次男前田吟に 「ひょっとするともう会えんかもしれんばい」と語る

2010-08-22 14:34:55 | 日記
今日の続編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その2です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その2)。
・(2)家族は歳月を経て離散・集合の再編成がなされる--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の精一の父親(笠智衆)は、広島県福山市に住む自分の次男(前田吟)の家に移るとその自らの処遇を明らかにしていました。だから、5人家族は、その旅の途中に次男夫婦が住む福山市に立ち寄ります。添付した写真は、その映画での団欒風景です。左から次男の妻、長男(井川比佐志)次男(前田吟)長男の妻(倍賞千恵子)長男の子供(頭だけ)、父親(笠智衆の頭半分)の6人です。
でも、次男(前田吟)は長男(井川比佐志)の北海道への移住計画は軽率だったと、非難します。そして、自分の家庭の経済状況はとても苦しくて父親の面倒を見る余裕がないと、暗に長男夫婦に匂わしています。その経緯を脇で聞いていた父親(笠智衆)は、かって炭鉱夫だった自分をその二人の子供が帰り道で待ち受け、一緒に楽しく我が家に帰った自分の家族の思い出の夢をを、その日泊まった次男夫婦の部屋で見ます。
家族は歳月を経れば、その一員の離散もあれば集合も(再編成)あると、山田洋次監督は映画で静かに語っているのです。そして、義父思いの長男の妻(倍賞千恵子)は翌日起きてから、父親も北海道標津郡中標津町へ連れていくと次男(前田吟)に伝えます。
さらに、その出発の福山駅で父親(笠智衆)は、自分との同居を断った次男(前田吟)に、
『お前も元気でな ひょっとするともう会えんかもしれんばい』との別離の言葉をかけています。
家族は、『居住を共にすることによって、ひとつのまとまりを形成した親族集団』(引用:百科事典Wikipediaより)または『夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態。』(引用:大辞泉より)のことを、はっきりと証明した映画の一シーンです。
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家族の絆を描いた名作映画『家族』冒頭出演者クレジットは主役家族の5人のみ、他の主要俳優は出演順で表示

2010-08-22 12:02:43 | 日記
今日の日記は、私が取り上げた松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のことです。
私は、8月19日付日記『甥っ子を家族と看做した管理人は独自なファミリーを尊ぶ集団意識の顕れ、名作『家族』を観て真実を知るべし』で、『この管理人は、独自の集団教義により、日本語の『家族』を、英語の”family”(ファミリー)と同義であると拡大解釈して、彼女の親族全員を彼女の”family”『家族』と看做していると、私は熟考の上、今得心しました。』と書き込みしました。
この記述に以下のコメントが投稿されていました。
『Unknown (Unknown) 2010-08-21 16:09:06 馬鹿?こじつけにもなってないです』
この投稿者は、私が紹介した名作映画を観てから、その反論『馬鹿?こじつけにもなってない』をしているのか?私には甚だ疑問です。この名作映画とその2年後に製作されたアメリカ映画『ゴッドファーザー』( フランシス・フォード・コッポラ監督 マーロン・ブランド アル・パチーノ ジェームズ・カーン主演)と見比べて観れば、一目瞭然に映画が描いている家族観の違いは判ります。
私はこのUnknown者に真摯に判りやすくその根拠を説明する為、今日レンタル店からその名作を借りて、今再度じっくりと鑑賞しています。この映画は、北海道での牧場経営の夢を見て、長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した家族の約3千キロの旅を通して、家族の絆、生きる喜びを描いた感動的な名作(キネマ旬報1970年の年間ベストテン第一位)です。以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます。
・(1)映画の冒頭出演者クレジットに監督意図が明確に表現--この映画の冒頭は、映画の主役である「風見家」の旅の出発地である長崎県の離島・伊王島での島民たちとの別れのシーンから始まっています。そして、乗船した船のデッキから手を振る「風見家」の人々が船内の客席に座った時に、映画の題名『家族』が映し出されます。その次の出演者のクレジットには、夫婦役である倍賞千恵子と井川比佐志の二人が並んで表示され、次の二番目にはその父親役である笠智衆とその夫婦の子供役である二人木下剛志、瀬尾千亜紀の3名が連名で映し出されています。子役も二番目に出演クレジットした山田洋次監督は、この映画は「風見家」の5人家族の物語だと、はっきりと意思表示したかったのでしょう。だから、他の出演者はその出演順に表示されています。他の主要俳優、前田吟 渥美清 太宰久雄 春川ますみ等は、その他大勢の出演者と一緒に表示されているのです。特に、笠智衆の次男役である前田吟が、まったく家族扱いされていません。甥っ子を家族と看做した某劇場演技者管理人とは、完全に違った家族観を山田洋次監督を持っています。
まだ、その具体的根拠はありますが、それは次回にさせて頂きます。
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