今日の続々編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その4です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その4)。
・(4)祖父や親の生き様は子供、孫に引き継がれる--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の4人が、やっとの思いでまだ残雪が残る目的地に到着しました。次の夜、家族は地元の人々から歓待をうけ、父源蔵(笠智衆)は彼の生まれた九州の炭坑節を歌い上機嫌な気分になります。そして、とても満足した源蔵はその日、可愛いい孫の剛(木下剛志)と一緒に布団に入って寝込みます。その一緒に寝ている息子を移そうと寝室に入った嫁の民子(倍賞千恵子)は、息を引き取ってしまった隣の義父源蔵を見つけます。とても安らかな死に顔でした。
伊王島を出発した5人家族は、その最終目的を果たした時、2人減って3人家族になってしまったです。でも、残った家族は地元の人々の温かい応援と新しい家族の誕生に恵まれて、その北の新天地で、力強く着実に生活を始めます。そして、死んだ祖父源蔵との旅での思い出を、孫の剛は一生忘れないでしょう。孫の剛は、旅の途中で、上野動物園にあった「あんまん井村屋」の売店前で、物欲しそうな顔をしたので、売り子の若い女性が哀れんで、ただでそのあんまんを貰ってしまいました。その手にした食べ物を発見した祖父笠智衆は孫に『おまえはコジキじゃなか!』と言って、その代金を渡して売店に持って行くように諭しています。この祖父との思い出を、孫は決して忘れないでしょう。だから、親や祖父が死んでも、その生き様はその家族の一員であった子供、孫に引き継がれるのです。
そして、添付した写真は、今私が読んでいる、本人の米寿記念で出版された自伝『あるがままに』(著者:笠智衆ほか1992年世界文化社刊)の表紙です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その4)。
・(4)祖父や親の生き様は子供、孫に引き継がれる--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の4人が、やっとの思いでまだ残雪が残る目的地に到着しました。次の夜、家族は地元の人々から歓待をうけ、父源蔵(笠智衆)は彼の生まれた九州の炭坑節を歌い上機嫌な気分になります。そして、とても満足した源蔵はその日、可愛いい孫の剛(木下剛志)と一緒に布団に入って寝込みます。その一緒に寝ている息子を移そうと寝室に入った嫁の民子(倍賞千恵子)は、息を引き取ってしまった隣の義父源蔵を見つけます。とても安らかな死に顔でした。
伊王島を出発した5人家族は、その最終目的を果たした時、2人減って3人家族になってしまったです。でも、残った家族は地元の人々の温かい応援と新しい家族の誕生に恵まれて、その北の新天地で、力強く着実に生活を始めます。そして、死んだ祖父源蔵との旅での思い出を、孫の剛は一生忘れないでしょう。孫の剛は、旅の途中で、上野動物園にあった「あんまん井村屋」の売店前で、物欲しそうな顔をしたので、売り子の若い女性が哀れんで、ただでそのあんまんを貰ってしまいました。その手にした食べ物を発見した祖父笠智衆は孫に『おまえはコジキじゃなか!』と言って、その代金を渡して売店に持って行くように諭しています。この祖父との思い出を、孫は決して忘れないでしょう。だから、親や祖父が死んでも、その生き様はその家族の一員であった子供、孫に引き継がれるのです。
そして、添付した写真は、今私が読んでいる、本人の米寿記念で出版された自伝『あるがままに』(著者:笠智衆ほか1992年世界文化社刊)の表紙です。