今日の日記は、ネット掲示板に投稿したアスペ礼賛劇場客に対する私の意見及び回答書です。
私の日記8月25日付『自称アスペルガー患者の診療を専門家が行うと週刊誌報道有、狂うは歴史ある言葉、店は軒がまとまった数え方』にアスペ礼賛劇場客の反論投稿が再びネット掲示板にありました。その投稿全文はとても長文ですので、そのアスペ礼賛劇場客の主張した論理の要旨部分を抜粋し、以下に引用します。
・アスペ礼賛劇場客『「アスペルガーは病気である」とのあなたの主張はまったくの誤りです。・・教育指導主事から言われたことを今でもはっきり覚えています。「皆さん、自閉症(もちろんアスペルガーも含みます)は病気ではありません。治るものではないのです。症と名がつくので病気だと思う人がいますが、皆さんはそのようなことがないように。さらに、遺伝との因果関係もはっきりしていません。ですから、自閉症の子を持つ保護者の前で『病気』とか『遺伝』という言葉を発しないでください。」・・障害児教育に携わった者として、あなたのような無知・無理解を自覚せずしたり顔でものを言う人には大きな憤りを感じます。・・』
・(反論1)アスペ礼賛劇場客の主張「アスペルガーは病気」の根拠は、投稿に登場した教育指導主事の談話だけ・・私がこのアスペ礼賛劇場客に提示した疑問『何の根拠があってそう主張しているのか?』に対する回答は、彼は自身が研修で聞いた教育指導主事の個人的な談話だけがその根拠です。私は医学の門外漢(注:この私の認識はネット板では一貫して不変)ですが、この教育指導主事の主張にはまったく同意できません。
その根拠となる資料として長文になりますが、以下に掲載します。
<1>(アスペルガー症候群を手探りで診断)・・児童精神科医・目白大学客員教授:山崎晃資著『発達障害と子どもたち アスペルガー症候群、自閉症、そしてボーダーラインチャイルド』(2005年講談社刊:添付した写真はその著書の表紙)より関係文を引用掲載します。『内科の病気は、X線やMRI、CTなどの画像診断をしたり、血液検査などをして病気を発見することができます。医師から目に見える画像や数値として異変を示されるので、患者さんにもよくわかります。ところが、児童精神科では数値であらわせるような検査ができません。目にみえない心の発達の状態を把握するには、そのどもがどんな家族の中で、どんな関係を結び、どのような発達の仕方をしてきたか、一つひとつ成長の過程をたどりながら、手探りで診断していくことになります。』この専門医は、アスペルガー症候群を病気と見做し、その患者を真摯に診断しています。
<2>(病気の定義は曖昧だが、一般社会、専門医の総意で決定>・・百科事典ウィキペディアより『病気』の解説を引用掲載します。『病気は曖昧な概念であり、何を病気とし、何を病気にしないかについては、政治的・倫理的な問題も絡めた議論が存在する。もちろんそうではあるが、一方で、医療人類学では、病気(sickness)を、疾患(disease)と病い(illness)をあわせたものという概念が提出されている。・・結局、「病気とは心身の不調あるいは不都合であって、いわゆる医療による改善が望まれるもの」と定義できたとしても、何が病気であるのか、病気でないのかを決めるのは、一般社会、あるいは医師の社会の総意によって決められている、と言えるだろう。』
<3>(発達障害の診療に見合った診療報酬が設定されていない)・・今春、日本小児科学会の理事長に就いた五十嵐隆東京大教授は、学会の今後の課題として「発達障害の子へ医療的な支援が必要。その環境づくりに取り組みたい。専門医が少ない上、診療に時間がかかるのに見合った診療報酬が設定されていない点など、多くの課題がある。」と公表しています。発達障害に診療報酬が設定されているのは、発達障害を治療が必要な「病気」と政府が認定しているからです。
アスペ礼賛劇場客は、自身が研修で聞いた教育指導主事の個人的な談話を鵜呑みしないで、もっと幅広い社会的な知識を吸収して下さい。そして、こんな独善的な人間では、障害児教育に携わる資格はまったくありません。さらに、このアスペ礼賛劇場客は、この自己の心的資質をさらに悪化させるこの閉鎖的で独善的な特殊劇場社会から早急に決別するべきです。
私の日記8月25日付『自称アスペルガー患者の診療を専門家が行うと週刊誌報道有、狂うは歴史ある言葉、店は軒がまとまった数え方』にアスペ礼賛劇場客の反論投稿が再びネット掲示板にありました。その投稿全文はとても長文ですので、そのアスペ礼賛劇場客の主張した論理の要旨部分を抜粋し、以下に引用します。
・アスペ礼賛劇場客『「アスペルガーは病気である」とのあなたの主張はまったくの誤りです。・・教育指導主事から言われたことを今でもはっきり覚えています。「皆さん、自閉症(もちろんアスペルガーも含みます)は病気ではありません。治るものではないのです。症と名がつくので病気だと思う人がいますが、皆さんはそのようなことがないように。さらに、遺伝との因果関係もはっきりしていません。ですから、自閉症の子を持つ保護者の前で『病気』とか『遺伝』という言葉を発しないでください。」・・障害児教育に携わった者として、あなたのような無知・無理解を自覚せずしたり顔でものを言う人には大きな憤りを感じます。・・』
・(反論1)アスペ礼賛劇場客の主張「アスペルガーは病気」の根拠は、投稿に登場した教育指導主事の談話だけ・・私がこのアスペ礼賛劇場客に提示した疑問『何の根拠があってそう主張しているのか?』に対する回答は、彼は自身が研修で聞いた教育指導主事の個人的な談話だけがその根拠です。私は医学の門外漢(注:この私の認識はネット板では一貫して不変)ですが、この教育指導主事の主張にはまったく同意できません。
その根拠となる資料として長文になりますが、以下に掲載します。
<1>(アスペルガー症候群を手探りで診断)・・児童精神科医・目白大学客員教授:山崎晃資著『発達障害と子どもたち アスペルガー症候群、自閉症、そしてボーダーラインチャイルド』(2005年講談社刊:添付した写真はその著書の表紙)より関係文を引用掲載します。『内科の病気は、X線やMRI、CTなどの画像診断をしたり、血液検査などをして病気を発見することができます。医師から目に見える画像や数値として異変を示されるので、患者さんにもよくわかります。ところが、児童精神科では数値であらわせるような検査ができません。目にみえない心の発達の状態を把握するには、そのどもがどんな家族の中で、どんな関係を結び、どのような発達の仕方をしてきたか、一つひとつ成長の過程をたどりながら、手探りで診断していくことになります。』この専門医は、アスペルガー症候群を病気と見做し、その患者を真摯に診断しています。
<2>(病気の定義は曖昧だが、一般社会、専門医の総意で決定>・・百科事典ウィキペディアより『病気』の解説を引用掲載します。『病気は曖昧な概念であり、何を病気とし、何を病気にしないかについては、政治的・倫理的な問題も絡めた議論が存在する。もちろんそうではあるが、一方で、医療人類学では、病気(sickness)を、疾患(disease)と病い(illness)をあわせたものという概念が提出されている。・・結局、「病気とは心身の不調あるいは不都合であって、いわゆる医療による改善が望まれるもの」と定義できたとしても、何が病気であるのか、病気でないのかを決めるのは、一般社会、あるいは医師の社会の総意によって決められている、と言えるだろう。』
<3>(発達障害の診療に見合った診療報酬が設定されていない)・・今春、日本小児科学会の理事長に就いた五十嵐隆東京大教授は、学会の今後の課題として「発達障害の子へ医療的な支援が必要。その環境づくりに取り組みたい。専門医が少ない上、診療に時間がかかるのに見合った診療報酬が設定されていない点など、多くの課題がある。」と公表しています。発達障害に診療報酬が設定されているのは、発達障害を治療が必要な「病気」と政府が認定しているからです。
アスペ礼賛劇場客は、自身が研修で聞いた教育指導主事の個人的な談話を鵜呑みしないで、もっと幅広い社会的な知識を吸収して下さい。そして、こんな独善的な人間では、障害児教育に携わる資格はまったくありません。さらに、このアスペ礼賛劇場客は、この自己の心的資質をさらに悪化させるこの閉鎖的で独善的な特殊劇場社会から早急に決別するべきです。