天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

私の『希望の光』は、古代中国の故事『百年河清を俟つ』の如く空しく絶望的な思いなのか?

2009-11-29 23:28:10 | 日記
今日の日記は、私は札幌帰りですが、悪行親衛隊のことです。私が関連するネット掲示板の私のレスの一部は削除されましたが、以前残っているレスには今だ、悪行親衛隊が書き込みしています。ここに、その投稿文を転載します。
『昨夜の削除依頼に応じていただいてありがとうございました。>大和のおじさんはもう劇場客ではありません。>このスレの削除もお願いします。』
『今週末、札幌に行くと公言。警戒されたし。発見した場合報告求む。』
『隣に座って欲情したから触りました。だろ?それに、おやじの宿敵なら、普通にリボン投げてるぞ。劇場に行けないから、知らないんだろうけど。12頭、渋谷に行けばいいじゃん。』
これら悪行親衛隊は今だに「発見した場合報告求む」と自分が目撃しなくても、卑劣な密告をするつもりです。また、リボンを拒否されたある悪行親衛隊の応援行動を何も問題にせず、正当化する書き込みまでしています。とても残念なことですが、今だにこの劇場世界から、これら悪行客が排除されていません。私の微かな『希望の光』は、古代中国の「春秋左氏伝」の故事『百年河清を俟つ』如く空しく絶望的な思いなのでしょうか?とても悲しいことです。
コメント
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