天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

社会人一年生だった1976年5月、一度だけの日劇ミュージックホール観劇は若き日の良き思い出

2009-11-04 21:05:56 | 日記
今日は、昨日の私の日記「丸尾長顕氏『女は結局のところ、頭の良いのが最高だ』は塩野七生氏の指摘通り、男と換えても金言」の続編で、私のその補足所感です。
塩野七生さんは「典型的な東京山の手育ちの娘」さんでしたから、丸尾長顕さんを単なる「日劇ミュージック・ホールの親分で粋人」との認識しか無かったみたいです。私は塩野七生さんより年齢では16歳も若いけれども、とても早熟な男の子でした。ですから、1965年11月から開始された深夜番組『11PM』(日本テレビ平日PM11:15から放映されていた大人のワイドショー)のお色気コーナーによく出演されていた丸尾長顕さんを、私はよく知っています。
丸尾長顕さんは劇作家であり、宝塚歌劇団を創設した小林一三から「健全なエロチズムを見せる劇場を」との要請で、戦後東京有楽町の日本劇場の5階に美の殿堂・日劇ミュージックホールを創設した文化人です。
また、ストリップ・ショウが売りものといっても、当時の多くの劇場とはまったく一線を画した正統派のステージ演出だったから、その劇場所属のダンサーがよく『11PM』に出演されていました。そのテレビのステージ観劇を通して、私がファンになったダンサーは「アンジェラ浅岡」「舞悦子」「岬マコ」「朱雀さぎり」の4名の素晴らしい女性達です。各人にとても際立った個性が有り、私は今でもそのステージに鮮烈な印象が残っています。
そして、社会人一年生だった1976年5月の土曜日午後の会社帰りに(注:当時土曜日は半日出勤)、一度だけその日劇ミュージックホールで生の観劇を体験しました。その時、美しいダンサーのライブショーが放つ強烈な臨場感に、私はとても感動しました。
その美の世界では、『他人の不幸が蜜よりも甘い』社会を生む要因になっている親衛隊の独善的かつ排他的応援などまったくない、シンプルで健全なステージが繰り広げられていました。この観劇体験は若き日の私にとって、とても良き思い出です。
コメント (1)
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