天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

鳩山首相HPを閲覧、彼の政治信条の薄ペラさに納得し、『宇宙人』に品格を求めるのは酷なのか?

2009-11-02 22:15:43 | 日記
今日も鳩山首相に関する私の所感です。私は本日、鳩山首相のHPを初めて閲覧しました。昨日の私の記述「何故この『博愛』でなく『友愛』という言葉を鳩山首相は使ったのでしょうか?彼はその意味がまったく同じと解釈しているからでしょう。」がまったくの真実だったのに、私はとても驚きました。以下に、鳩山首相HPの「私の政治哲学」からその関連箇所を抜粋します。
「現代の日本人に好まれている言葉の一つが『愛』だが、これは普通LOVEのことだ。そのため、私が『友愛』を語るのを聞いてなんとなく柔弱な印象を受ける人が多いようだ。しかし私の言う『友愛』はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の『博愛』=フラタナティ(fraternite)のことを指す。祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを『博愛』ではなくて『友愛』と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。」
祖父・鳩山一郎は「フラタナティ」の真の意味が『友愛』(兄弟間の情愛。また、友人に対する親しみの情。友情。友誼)とはっきりと判っていたから、今まで使われてきた間違った言葉『博愛』を選択しなかったのです。そして、鳩山首相が自ら語っているように、革命の旗印ともなった戦闘的概念の『友愛』が革命後の恐怖政治を生んだのです。鳩山首相はその歴史的事実をまったく判っていません。私は、こんな危険な思想を生む恐れのある言葉を「座右の銘」や自己の「政治哲学」にする鳩山首相の品性にとても強い違和感を持ちます。
そして、HPで鳩山首相は「尊敬する人物 」として「J・F・ケネディ」を挙げています。鳩山首相は1961年1月20日、ケネディ大統領がホワイトハウスで行なった大統領就任演説を知っているでしょうか? 以下にそのとても有名な演説の一部を抜粋します。
「And so, my fellow Americans:/ ask not/ what your country can do for You/-Ask what you can do for your country.」
「ですから、私の仲間であるアメリカ人の皆さん:/尋ねないで下さい/国があなたのために何をしてくれるかを--/尋ねて下さい。あなたが国のために何ができるかを。」
「子ども手当の創設、高校の実質無償化、高速道路の無料化等」の国民へのばらまきサービスを自己の施政方針にする鳩山首相が、アメリカ国民へ自立・自助の精神を問うケネディ大統領を尊敬しているとは私はとても信じられません。鳩山首相の政治信念とは一体何なのか?、『宇宙人』に品格を求めるのは酷なのか?私は今、日本の最高指導者の品性にまったく絶望しています。 
コメント
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