天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

悪行親衛隊の劇場関係者告発説の誤報流布は「コンスタンティヌスの寄進状」と同質意図の卑劣な行為

2009-11-23 23:10:37 | 日記
今日の二回目の日記は、中世ヨーロッパのキリスト教会が行なった「コンスタンティヌスの寄進状」と同じように、その世界の権威を悪用して、自分達の悪行を正当化する悪行親衛隊のネット掲示板に誤報流布を行なう卑劣な行為に対する、私の強い抗議です。以下に、「他人の不幸が蜜より甘い」意識の「私は世の光 私に従う者は命の光を得る」の独善的応援教義を信奉する親衛隊がネット掲示板に投稿した虚偽の書き込みを転載します。
・1.『このおっさんの場合、劇場従業員を敵に回したのが大きい。』
・2.『劇場従業員が会社へチクった 』
・3.『プラス、劇場内での迷惑行為で、他のお客さんからも目を付けられてる』
・4.『おじさんの場合は客同士の観劇スタイルの相違ではなく、劇場社長や踊り子から注意されるところまで行ってたのが重要な点。タリは劇場ルールで規制できるが(例.東洋)、おじさんはルール無視。客が注意すると「自分は特別」として開き直り。劇場が注意すると「悪質応援客による自分への妨害行為」として無視。会社に告発状を送られても仕方ないんじゃないかね。』
・5.『オジサンの下手くそな「応援行為」諸々はその他の客にとっては迫害でありテロであった。しかも、注意されてもそれを改めない、反抗する、言い訳する、濡れ衣を着せてでも嫌いな人間を貶めようとする、と常に無責任な姿勢に終始。フツーに嘘つく人でもあったな。必然的に(通りすがりを含めた)関わる総ての人を敵に回し、対応をエスカレートさせてしまう。オジサンは他人の心具合を認知する能力に致命的に欠けており、迷惑をかけないようにしよう、何をしたら人は嫌な思いをするのか、といった配慮がまったくできない。常に自分が気持ちよくある為に行動するため多少のズルも朝飯前。爺ゆえの哀れ、認知力の衰えがもたらした悲劇と同情することも可能だが、かといって迷惑は免れ得ないのでやはり来てほしくない。』
これら投稿の内、1.2.の書き込みは劇場関係者が密告告発者であるかの如く間違った情報を、悪意を持って流布しています。この密告告発者は、自身が告白しているように劇場に来ている悪質応援客です。この投稿者は中世ヨーロッパのキリスト教会が行なった「コンスタンティヌスの寄進状」と同じように、その世界の絶対的運営を図る劇場関係者の権威を悪用して、劇場関係者も密告告発者であるから良い事と、自分達の悪行を正当化しようとするこの世界の良識ある人々を惑わす卑劣な行為です。
3.の書き込みも、この悪行親衛隊の「私は世の光 私に従う者は命の光を得る」の独善的応援教義をよく言い表している言動です。
4.の書き込みの「踊り子から注意されるところまで行ってた」との虚偽の情報も踊り子という絶対的な権威を出さなければまったく説得力がないと思い、あえて間違ったことを言い触らし、自分達の悪行を正当化しようとする、良識ある人々を惑わす卑劣な行為です。
5.の書き込みもこの悪行親衛隊の「私は世の光 私に従う者は命の光を得る」の独善的応援教義をよく言い表している言動で、自分たちの悪行は正しく、迷惑をかけていて、何をしたら人は嫌な思いをするのかを判らない人間には、その人間の人権を踏み躙る行為をしても良いと、自分たちの悪行を正当化する卑劣な行為です。
どんな個人の好悪があろうとも、人間には決して、何人にも侵害されない、基本的人権があります。悪行親衛隊がいくら詭弁を弄しても、それを侵す行為は決して正当化はされません。
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欧米社会は排他的なキリスト教背景の文明の小沢幹事長は偽証文『コンスタンティヌスの寄進状』を知るべし

2009-11-23 19:20:43 | 日記
今日の日記は、前に書いた『歴史音痴小沢幹事長は「ローマ人の物語」「空海の風景」「沈黙」を熟読し、陛下のお言葉を肝に銘ずべし』の追加補足の説明と私的所感です。私は、三冊の名著を彼に熟読するように勧めました。その中で、塩野七生著『ローマ人の物語・最後の努力(下)37巻:新潮文庫』より、彼の歴史音痴がよく判る文章を抜粋して、詳しく説明します。
古代ローマ皇帝・コンスタンティヌス帝は「ミラノの勅令」により正式に認められたキリスト教会に、皇帝資産の寄贈を行ったので、キリスト教徒から「大帝」と呼ばれ賢帝と評価されています。しかし、その寄附を示す古文書には、ある不正行為があったのです。以下に、その名著から寄贈・寄付に関して、それに該当する文章を抜粋します。
『コンスタンティヌス帝のこの寄附行為が、いかに長期にわたってキリスト教関係者の間で記憶されつづけてきたがを示す、格好の証拠が存在するのだ。それは、「コンスタンティヌスの寄進状」と呼ばれ、中世時代には長くヨーロッパの王や君侯を縛ることになる証文である。なぜなら、これには、皇帝コンスタンティヌスがヨーロッパ全土をローマ法王に寄贈したことが記されてあったからだ。これを錦の御旗にかかげたカトリック教会が、王や君侯に対し、お前たちが領土と称しているのも、実際はコンスタンティヌス大帝が寄進したことでキリスト教会の所有資産になった土地であって、お前たちは教会によって単に統治を委託された存在にすぎない、ゆえに真の所有者であるキリスト教会の意に反する行動に出ようものなら、ローマ法王は、委託権をただちに取りあげる権利を有す、というわけであった。
それが、西暦1440年になって、まったくの偽作、ということが実証されたのである。・・・イタリア人のロレンツォ・ヴァッラが、一字一句と構文全体を綿密に考証した結果、これはコンスタンティヌスが生きた四世紀に書かれた文章ではなく、十世紀か十一世紀に、キリスト教会内部の誰かによって書かれたものであると喝破したのだった。これで世俗の君主たちも、中世の一千年にわたって彼らを縛ってきた拘束から解き放たれたことになる。』
このように、イタリアで発生した近世ルネサンス精神は、中世欧米社会の宗教観を根底から覆してします。小沢一郎幹事長は、自己の歴史的な知性の無さを真摯に恥じるべきです。
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