私は前の日記で「週刊誌は、一方でヌードや風俗情報を掲載しながら、他方では校長先生の行為を非難するようなエセ正義を振りかざしてストリップを非道徳的かつ軽蔑すべきものというように扱っている、気にくわないです!」と投稿したストリップの踊り子さんを紹介しました。
そして、某劇場逮捕事件に関して、2008年11月17日に『○○容疑者は「△△」の名で出演し、演出も考えていた。当時7人が出演していたが、○○容疑者は一番人気があったという。』と間違った報道をしていた某大手スポーツ紙が、2009年10月31日『「○○」のあの美しい照明と、音響が、所属の踊り子たちを、再び甦えらせる。踊り子たちは、水を得た魚になって、自由自在に泳ぎ回るにちがいない。』と節操もなく、まったく『自己矛盾』も感じない記事を臆面もなく堂々と掲載した事実を、私はここで糾弾し問題にしました。
でも、関連するネット掲示板にこの私の意見に共鳴し、その報道機関の無節操さを糾弾する客は、今のところ誰一人として出てきていません。このような報道機関に「気にくわない思い」をしているのは、前に紹介したストリップの踊り子さん達と私だけなのかも知れません。
この10月31日の大手スポーツ紙には、私が応援していた劇場演技者の女性が写真入りで紹介されていました。そして、驚いたことにその紹介文章も書いた某有名カメラマンは、新しい写真ではなく以前に公開された彼女の古い写真を、そのスポーツ紙に掲載していました。私はその古い写真を見た時、あえて彼女が某有名カメラマンのステージ撮影を拒否した?(注:私見です)としか考えられませんでした。
何故、彼女がその撮影を拒否したか?それは、去年間違った報道をし「気にくわない思い」をした某大手スポーツ紙にその撮影される写真が掲載されるのを知っていたのでしょう。だから、彼女は断固その撮影を拒否したのだと私は思っています。自分の宣伝になる新たな写真撮影を自らが拒否するには、当然彼女には相当の『覚悟』があったはずだと私は推測します。
彼女は前にも自分の親衛隊某リボン応援者に対して応援拒否の勇気ある行動を、私に劇場で見せてくれています。だから、彼女は私の微かな『希望』の灯火です。
そして、某劇場逮捕事件に関して、2008年11月17日に『○○容疑者は「△△」の名で出演し、演出も考えていた。当時7人が出演していたが、○○容疑者は一番人気があったという。』と間違った報道をしていた某大手スポーツ紙が、2009年10月31日『「○○」のあの美しい照明と、音響が、所属の踊り子たちを、再び甦えらせる。踊り子たちは、水を得た魚になって、自由自在に泳ぎ回るにちがいない。』と節操もなく、まったく『自己矛盾』も感じない記事を臆面もなく堂々と掲載した事実を、私はここで糾弾し問題にしました。
でも、関連するネット掲示板にこの私の意見に共鳴し、その報道機関の無節操さを糾弾する客は、今のところ誰一人として出てきていません。このような報道機関に「気にくわない思い」をしているのは、前に紹介したストリップの踊り子さん達と私だけなのかも知れません。
この10月31日の大手スポーツ紙には、私が応援していた劇場演技者の女性が写真入りで紹介されていました。そして、驚いたことにその紹介文章も書いた某有名カメラマンは、新しい写真ではなく以前に公開された彼女の古い写真を、そのスポーツ紙に掲載していました。私はその古い写真を見た時、あえて彼女が某有名カメラマンのステージ撮影を拒否した?(注:私見です)としか考えられませんでした。
何故、彼女がその撮影を拒否したか?それは、去年間違った報道をし「気にくわない思い」をした某大手スポーツ紙にその撮影される写真が掲載されるのを知っていたのでしょう。だから、彼女は断固その撮影を拒否したのだと私は思っています。自分の宣伝になる新たな写真撮影を自らが拒否するには、当然彼女には相当の『覚悟』があったはずだと私は推測します。
彼女は前にも自分の親衛隊某リボン応援者に対して応援拒否の勇気ある行動を、私に劇場で見せてくれています。だから、彼女は私の微かな『希望』の灯火です。