天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『札幌』は浮かれている時は私を叱咤し、落ち込んでいる時は優しく包み込んでくれた人生の良き思い出の地

2009-11-20 22:51:40 | 日記
今日の日記も、私の関連ネット掲示板に書き込まれた『もう会社辞めればいいのに。どうせ窓際で出世の見込みもないんだろ。貯金だってそこそこあるんだろうし。これからの数年そこそこの給料があるより大好きなストリップに行けないマイナスの方が大きいだろ。 』との投稿に関して、真摯な私の所感です。
この投稿者がどのくらいの期間、会社勤めをしているのか?私は知らない。しかし、人生の後半生全ての期間を、同じ所属「塩の人」として仕事に生きてきた私は、他人から『もう会社辞めればいいのに』と忠告されても、安易に同意などとても出来ません。私の人生において、長くその所属でいることは、とても大きな重みがあります。
でも実は、新入社員になってからの2年間は、私は会社を辞めたくてしょうがなかったです。だから、せめて一級建築士の資格を取ってから、会社をスッパリと辞めようと決意しました。そして、実務経験2年間が終了したら一発で合格しようと、私は猛勉強を始めました。そんな思いを持っていた私は、たまたま1978年夏、夏期限定の転勤で、札幌に赴任しました。
8月初旬に迫った学科試験に備えて、私は昼休みも参考書や問題集をいつも読んでいました。そのとても天気が良いある日、同僚から公園内の仕事場に近い菖蒲池にある貸しボードを漕ぎに行かないか?と誘われました。その誘いに同意し、私は勉強していた問題集を一緒に持参し、菖蒲池に出かけました。私はボートを漕いでいない時は勉強するつもりでした。でも、波が立たない穏やかな水面で、とても気持ち良い日差しと緑深い樹木に囲まれた私は、不覚にもその場で居眠りを始めてしまいました。時間になって私が目覚めた時、私の乗ったボートはボート発着場からかなり流されていました。気付いた私は、オールを慌てて漕いで戻りました。この時の私は、片手間の気持ちで真剣に勉強をする気がまったくなく、ろくに勉強もせず昼下がりの居眠り誘惑に完全に負けてしまったのです。
そして、その日のホテル改修工事で、私は夜遅くまでフロントの床張替工事を監督していました。その午前12時過ぎ、夏巡業で札幌に来ていた大相撲のある横綱が若い衆三、四人を連れて帰り、自分の部屋に戻って行くのを、私はたまたま目撃しました。この光景を見て、私はその横綱にとても失望しました。私は相撲が大好きでしたので、巡業場所のけいこの重要性を良く知っていました。巡業先の朝けいこの量が、その力士の次の本場所の成績を左右するのです。この横綱は、巡業先では老舗ホテルに泊まり、夜遅くまで繁華街で飲み遊んでいたのです。こんな生活態度では、まともに朝稽古など出来ません。(私注:案の定、その横綱は9月開催の秋場所では途中休場してしまいました。)
この私に関するエピソード二つは、札幌の地がその身を持って、私の浮かれている気持ちを戒め、真剣にハングリー精神をもって猛勉強しないと、一級建築士に合格できないし、目的である会社辞職の達成など笑止千万と、私を叱咤したと私は今、思っています。
その年、札幌の地のその叱咤激励が功を奏したのか、私は一発で一級建築士に合格できました。私はもういつでも会社を辞めることができるようになったのです。そして、1979年秋、今度は札幌に本転勤になり、再び札幌の地に戻って来ました。でも、戻ってきた札幌の地は、私を今度はまったく叱咤などせず、私がとても落ち込んで辞めようと思い悩んでいた時、逆に、優しく包み込んでくれたのでした。その地縁の甲斐があり、それから私はずっと同じ所属の「塩の人」でいられたのです。私は、札幌の地に感謝の気持ちでいっぱいです。
今度の札幌旅行も、札幌の地は私を優しく包み込んでくれると思っています。
コメント
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