■ 早朝を利用した朝の運動を、効率的な順路をたどって以下のように習慣づけようと、スロージョギングで家を出た。
5:20だった。
ゆっくり走りのかたわら、稲毛海浜公園の遊具で筋力運動をし、しおさいラジオ体操会に合流して帰宅するというものである。
具体的なルートは、
往路:松風通り~稲毛海浜公園~アスレチック広場の遊具で鉄棒ぶらさがり・腹筋・背筋など~稲毛記念館横~草野水路~検見川浜~美浜大橋
復路:美浜大橋~しおさいラジオ体操会合流・体操~稲毛海浜公園入口~松風通り・帰宅
所用時間を予測すると、
往路:20:00/自宅-アスレチック広場~20:00/遊具利用の運動~23:00/アスレチック広場-美浜大橋//1:03
復路:9:00/美浜大橋-しおさいラジオ体操会~10:00/ラジオ体操~28:00/会場~自宅//小計47:00
ゆとりをもっての合計時間ですが、約2時間の朝の運動となるはずであった。
ところが、
折返しの美浜大橋で、向こうから走ってくる(歩いてくる)Sさんに出逢った。
(2009/6/4)
偶然だった!
今朝は、朝ラン朝ウォークの人が多い。
顔見知りの男女市民ランナー3人ほどにすれ違った。
Sさんとは、あいさつとちょっとした話を交わすつもりであった。
「奥さん元気?」、聞かれた。
これはお会いした時の、彼のいつもの挨拶だ!!
「毎日の料理は仕事なみ…」から始まって、
「通帳、保険証、…のあり場所がわからない」…、なにやら話の雰囲気がおかしい!?
ラジオ体操会への合流は、あきらめた。
私から、逆にSさんに問いかけた。
「奥さんは、お元気ですか?」
「死んだんだよ」
… …
3月に急死されたらしい。
話しの一部始終を記してみると、
『夕飯を食べ、先にSさんが休まれたのか、その時まで奥さんは普段どおりだった。
夜12時ごろトイレに起きると、トイレの電気が点灯している!
奥さんに声をかけるが返事が無い。
お風呂のドアを開けると、奥さんが湯船に沈んでいた!!
かかえあげようとしたが、できない。
すぐに消防署に電話。
心臓マッサ―ジをして下さいと指示されたが、そんな状態ではなかった。
消防車と消防署員3人ほどが到着。
確認後、警察に電話をした。
警察、他8人ほどが到着した。
各担当者がSさんに、奥さんの健康状態、持病、通院の有無、夫婦の仲、親戚、…色々尋問された。
その間、奥さんはしかるべき場所に連れていかれた。
部屋の中を調べた。
通帳や保険証なども含め…、遺体の状況や周囲の状況を検分する検死らしい。
(他殺、自殺、事故死、災害死、突然死、…いずれなのか)
奥さんは、健康状態を保ち通院もしていない、膝をちょっと痛めていただけだったらしい。
Sさんは、なぜ夜の9時ごろでも声をかけなかったのか?
せめて、無くなる前に奥さんに声をかけられなかったのか悔やまれる。
毎日、仏壇に向かうと、あれもごめんね、これもごめんね、あのときはありがとうばっかり!
毎食の料理や、通帳、保険証の管理など奥さんに任せっぱなしでいて、突然亡くなられたらしい。
せめて、亡くなる前に、あ~してやればよかったとか。
膨大な写真があり、…、ヨーロッパへ行った時、四国に行った時、北海道に行った時、子どもは見もしないだろうから、全部処分したいが、まだできていない。
しかし、そういうのを見ながら過去を振り返ることばかりしていたら生きていけない。
今と、その先に向かっていくことが大事。』
おおよそ上のような話をされ、美浜大橋で別れた。
死因は心不全とのことだった。
Sさんは、私より14歳ぐらい年上だ。
東京江東区の木場において、68歳ぐらいまで材木会社の社長として現役勤め、以後昨年までフルマラソンを走られたり、地域役員など奉仕活動に活躍されていた。
ふりかえって我が身を案ずるに、
70歳までに身の周りの断捨離を行い、
妻の日常業務をこなせるよう習慣づけ、
葬送や遺言などエンディングノートにまとめ、
身の周りも心も軽くして
「すきなこと、やりたいこと」にウェイトを置いたシンプル生活を
軌道にのせたいと、逐次作業を進めてきましたが未だ道半ば!!
8割ほどの仕上がり。
あと1年は、かかりそうだ。
古希を機に、したいこと、デジカメ片手に自然観察や野外観察に歩き回る、歩き旅を楽しむ、たまに水泳、などに絞り専念。
交遊も最小限に絞り、他はすべてお断りする。
体力は衰えるでしょうけれど、心身の健康と気力は保ち、70~80歳は、そのように過ごしていきたいですね。
※ 『老後の1日 千金にあたいすべし
老後1日も楽しまずして むなしく過ごすは惜しむべし
是非の初心忘るべからず
ときどきの初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず
命には果てあり
能には果てあるべからず』(世阿弥)
美浜大橋+(ラジオ体操)+公園の筋力運動 8km
月間累計 146m