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スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

死、葬式、墓(その1)

2011年01月13日 | リタイアメントライフ

■ 本来は、もっと前にやっておくことかもしれない。

定年後の2、3ヶ月は、やりたいことのかたわら、(1)~(3)の身辺整理(老前整理)を行っている。

(1) 最低必要限のものを残し捨てる、心身を軽くする―断捨離だ!

<本、資料> <家具、食器、衣類> <保険類> <冠婚葬祭や活動関係>

(2) 医療や介護や家のこと

・ 私たち夫婦2人が、突然亡くなっても、不治の病になったとしても、残された子供が迷惑にならないよう、わかるようにしておく(エンディングノートに記載し、相互にわかるように伝えておく)

(3) 葬式の方法、墓、納骨の方法について

○ 自分の両親などの時は、そんなことを考えてもいなかったし、知識もなかった。

両親自身が望んでいるピリオドについて、話をやり取りする時間もなかったし、遺言もなかった。

30歳代の時だった。

離れて暮らしていたのと、家族をかかえ仕事が忙しかったのとで、

葬儀業者と寺のなすがまま、あたふたと、その時の状況と慣習に従って終了した。

それでよかったのだろうかと思うこともあったが、熟考する閑もなく時が過ぎ去った。

先日、「あのの心得」(永六輔、文春ネスコ、2003)など2、3の本を借りてきた。

人生の終わりの迎え方について整理し、遺言に残し、本人も子供たちも悔いを残さないようにしておきたいと思った。

○ 私の子供のころ、田舎の山村でよく見ていた葬送は、家族と村人が行っていた。

自宅で家族に見守られて死に、家族が体をぬぐい、着物を着替えさせた。

村の近隣の人たちが集まり、自宅で葬式をあげ、家族と近隣の人たちが木の棺をかついで、葬列をつくり寺の墓地まで運ぶ。

その家の墓地の土をシャベルで掘り返し、墓穴を掘り、棺を埋め遺体を埋葬した。

故人も棺も、長い年月で土になっていた。

いつも同じ場所に埋めていたようだ。

だから、墓地は増えていなかった。

子供心にも、死ねば自然に土に還るものと思っていた

○ 最近、非常にまれに田舎に帰ることがあるが、死者は市の火葬場で焼かれ、都会と同じく区画で区切られた墓地・墓石の下に埋骨されていた。

だから、やたらと墓石が多く、墓地も広がっていたのには驚いた。

永六輔の本や、他の本でも、

江戸時代までは、一般市民の遺体はみんな棺もなく、その辺に捨てられていた。死んだら、遺体はモノだから、不衛生でないところに捨てる、そうしておけば、そのうち土に還る、とても自然なことである。

とある。

寺の意味も誕生の歴史も、僧侶の意味も誕生の歴史も、墓石の意味も誕生の歴史もわからないまま慣習に従っていた。

ひとりの人間がこの世に生を受け、時代の社会情勢のなかで育ち、それなりに役割を果たし、年を経て、最後には病み、死を迎える。

どんな人も、必ず死ぬ。

死の迎え方は、自分の生き方の延長線上にある。

① どのように死を迎えたいか

② 希望する葬儀の方法

③ 自分たちの墓はどのようにしたいか

③ 埋葬の方法はどのようにしたいか

について、遺言に示しておきたい

身のまわりを簡素にし、心の据わりどころを確かめて、第4の人生(65歳~80数歳)を充実させ楽しく送りたいものです。

今日のラン&スイム        
      
    亥鼻橋 12k/1:27  
         当月 R=123k S=3.9  年間累計  R=123k  S=3.9km 

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柴田トヨさん-はじめるのに遅すぎるということはない

2010年12月30日 | リタイアメントライフ

■ 明日12月31日(金)、午前8:30~9:15、NHK・TV「ヒューマンドキュメンタリー」で、「99歳の詩人 心を救う言葉」というタイトルで、柴田トヨさんのことが放映されます。

その時間は走りの予定だったんですが、中止にします。

TVを見ることにしよう。

産経新聞の書評「くじけないで」(柴田トヨ著)に、

眼をさました詩の天使

 すばらしい詩集です。今まで詩に興味のなかったひともこの柴田トヨさんの「くじけないで」はぜひ読んでみてください。人生いつだってこれから、何をはじめるにもおそ過ぎるということはないと元気がでてきます。

 92歳から詩を書きはじめて、100歳近くなった現在までの詩を読んでいくと、詩の質が進歩していることにも感動します。

 生きてるということは本当にすばらしいとうれしくなる。

 「私が詩を書くきっかけは倅のすすめでした。腰を痛めて趣味の日本舞踊が踊れなくなり、気落ちしていた私をなぐさめるためでした」

と、あとがきにありますが、それが天の声で、トヨさんの心の中でねむっていた詩の天使が眼をさまして、人生の晩年に歌いだしたのだと思います。少しも枯れていない少女のような愛らしい声で。

 詩はおもいついた時にノートに鉛筆で書き朗読しながら何度も書きなおして完成するので、1作品に1週間以上の時間がかかるそうですが、これは正しい詩のつくりかただと思います。

 全部の詩がなめらかで読みやすい。耳にやさしくひびきます。

 読んでいてひとりでにメロディが生まれて思わず歌ってしまった詩もありました。

 ぼくは詩の楽しさはこういうところにもあると思っています。

 読んでもなんのことやらよく解らず、相当な知識がないと理解できない難解な詩も、それはそれでそんな詩を愛するひとたちにはいいのだと理解していますが、誰でもがわかる詩で、イージーリスニングであるほうが、むしろぼくは好きです。

 もし詩のボクシングで、柴田トヨさんとぼくがリングで対戦することになったら、たたかう前にぼくはギブアップして平伏してしまいます。

 詩集の最後に「秘密」という詩があります。

 九十八歳でも

 恋はするのよ

 夢だってみるの

 雲にだって乗りたいわ

 「ぼくもそうだ」と心の中でトヨさんにさけびました。(飛鳥新社・1000円) 評・やなせ たかし(漫画家)』

と載っていました。

この12月末、定年退職しますが、

65歳からの第4ステージを心豊かに過ごしたいと思っている矢先、

勇気が湧き、励まされる、タイムリーな番組をみることができます。 

  是非の初心忘るべからず、

時々の初心忘るべからず、

老後の初心忘るべからず、

命には限りあり、

能には果てあるべからず。 

(再掲:世阿弥)

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日野原重明さん

2010年04月23日 | リタイアメントライフ

■ 今日も終日寒さと雨、こんな時は、裸でもあったかい新習志野のプールに行く。

ゆっくりと、50m×20回=1kmを泳ぐ。

帰りに郵便局に寄り、インターネットで注文して届いた「首の痛み」の本代(NHK出版、今日の健康)を振り込む。

昼過ぎは、日野原重明さんの本、「健やかないのちのデザイン」と「老いと死の受容」を読んだ。

体と心の健康やセルフケアなど(① どうよく生きるか ② どうよく老いるか ③ どうよく病むか ④ どうよく死ぬか)について、人の生と死を、半世紀以上にわたり臨床の場で見つめてきた名医が語っています。

みずからのより良い終末に向けて、今の生き方を変えていくための、心に響くメッセージが載っています。

頚椎の障害に出逢わなければ、棚の奥に積んだままで読もうという気にならなかったかもしれない。

いつも走り回っていて、いつまでも健康で元気でいて、自分が病になるとか、死ぬとかはまったく考えなかったかもしれない。

しかしよく見てみれば、遅かれ速かれ、誰でもすべての人が、老い、病み、死を迎える。

ということで、このところ、リハビリのかたわらエンディングに際しての身の回りの整理・整頓をしている。

日野原重明さんといえば、いつか、やはりNHKの今日の健康で語っていた内容で、心に残った次の言葉があります。

<長寿を保ち、心豊か、さわやかに生きるための指針>

・ 老いは、「成熟」。

・ 心の状態と健康は深い関係があります。今日は楽しくさわやかに生きよう、と前向きに行きなさい!

・ 「治療より予防、予防より さわやか健康づくり」で~す!!(より良い生活習慣を実践、無理なく続けていくこと)

・ 年をとると、しなびていくのでなく、内なるものが豊かになるように、心に充実感をもつように、成長し続けているんだと、そのように行きなさい。

60歳~:人生の後半が始まる(折り返しではない!)
      腹八分の食。筋力の維持(脚力、腹筋とか背筋とか)。

70歳~:新しいこと、やったことのないことを始める
      腹七分の食。

80歳~:筋力が落ちないように、よく歩く。若い人と好んで接する、会話をす
            る。

90歳~:心のおもむくままに行動し、道理に違わず。

100歳~:良い友を持ち、あるがままに生きる。

新老人の会のスローガン

いくつになっても愛し、愛されなさい。
そこに生きがいを感じながら生きていきましょう。

いままでやったことのないことを勇気をもって創りなさい。
自分の可能性を広げるのに遅すぎることはない。

つらいこと、苦難には、心を持ち直して耐えなさい。
つらいこと、苦難を体験することで、不幸な人の気持ちが理解できるし、そばに行ってなぐさめてあげようという気持ちも生まれてきます。
自分の悲しさから、人の悲しさを感知することができるようになります。
そういう気持ちで耐える。
年をとると、いろいろつらいことにも遭いますが、それによって感性が磨かれ、人間として成熟してゆく。

■ 順境や逆境など、また元気であっても病にあっても、どんな状況にあっても、今日一日、より良い一日になるように努め、充実させていくことでしょうか。 

今日のラン&スイム        
      
       R= 6k (9分/km)千葉西高  S=1k  新習志野プール
           
当月累計 R=63k S=6k  年間累計  R=441k  S=9.1k

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定住漂泊

2010年01月09日 | リタイアメントライフ

■ タイトルは、金子兜太の「養生訓」(白水社)を読んだとき、その中にあった言葉です。

好きな言葉です。

同様に、下記の彼が心がけている健康長寿の生き方13か条が載っていました。(いつまで生きるかではなくって、いかに愉快に生きて行くか?といったことの心がけなんでしょうね

①長生きをしようと発心する

②元気でなにか創造的なことに打ち込む

③老醜をさらすまいと心がける

④自分の心と体を整える努力を重ねる

⑤かかりつけの医師、ゆきつけの店を大事に深い友情の絆で結び合う

⑥父母、兄弟姉妹、子供、孫、それぞれに信頼と敬愛を深めつつ年を重ねる

⑦妻(夫)は、最大の理解者、批評家としてともに連帯して歩む

⑧友人は宝、老若男女の友を大切に

⑨任侠精神(強きをくじき)とボランティア精神(世のため人のため)を忘れない

⑩日記を毎日つける

⑪ユーモアを忘れない

⑫生きてこの世に在る日々を愉しむ

⑬土の恵みを忘れない。土に足をつけてものを考えることを大切に

■ 関連して、以前テレビを見て伺った日野原重明の、「長寿を保ち、心豊か、さわやかに生きるための指針」から再掲:

・ 老いは、「成熟」

・ 心の状態と健康は深い関係があります。今日は楽しくさわやかに生きよう、と前向きに行きなさい!

・ 「治療より予防、予防より さわやか健康づくり」で~す!!(より良い生活習慣を実践、無理なく続けていくこと)

・ 年をとると、しなびていくのでなく、内なるものが豊かになるように、心に充実感をもつように、成長し続けているんだと、そのように行きなさい。

60歳~:人生の後半が始まる(折り返しではない!)
      腹八分の食。筋力の維持(脚力、腹筋とか背筋とか)。

70歳~:新しいこと、やったことのないことを始める
      腹七分の食。

80歳~:筋力が落ちないように、よく歩く。若い人と好んで接する、会話をす
            る。

90歳~:心のおもむくままに行動し、道理に違わず。

100歳~:良い友を持ち、あるがままに生きる。

新老人の会のスローガン

いくつになっても愛し、愛されなさい。
そこに生きがいを感じながら生きていきましょう。

いままでやったことのないことを勇気をもって創りなさい。
自分の可能性を広げるのに遅すぎることはない。

つらいこと、苦難には、心を持ち直して耐えなさい。
つらいこと、苦難を体験することで、不幸な人の気持ちが理解できるし、そばに行ってなぐさめてあげようという気持ちも生まれてきます。
自分の悲しさから、人の悲しさを感知することができるようになります。
そういう気持ちで耐える。
年をとると、いろいろつらいことにも遭いますが、それによって感性が磨かれ、人間として成熟してゆく。

生老病死ということは

① どうよく生きるか
② どうよく老いるか
③ どうよく病むか
④ どうよく死ぬか

ということであり、そうしていくことが大切です。

老いの生き方について、とりとめもなく、思い浮かぶままを記してみました。


■ 体が重かったですが、朝練に出かける。

今日の海浜公園は、出初式でした。

朝練の参加者は、10人くらい。

コストコ10k、茜浜入り口15k、茜浜突端19kで、それぞれ折り返す。

私は15kmで折り返し。

復路は、ゴールに近い海浜病院付近で、茜浜突端組みが追い越していく。

70歳の I さんが先端、次が67歳、…このクラブは年令が高いほうが速い。

もっとも、70歳のIさん(M大卒)は、もと箱根駅伝で第5区を4年連続で下った経験の持ち主。

ず~っと坐骨神経痛の故障があって、走りもイマイチさえませんでしたが、現在は状態も良く、70歳になって年代別を狙っているんでしょうか、練習も熱心で、いちばん速くなりました。

20kmを、平均5:00/kmくらいで走ってしまいました。

私の、今日の練習タイムです。

7:05~6:31~5:51~5:46~5:42~5:14~5:05~2:26(43:45)//3:29~6:21~6:11~6:19~6:19~6:23~5:55~5:42(1:30)/15km 

■ 練習から家に帰ると、勝田マラソンのNOカードが届いていました。

NOは、登録男子「1○○1」。

年の初めに、縁起が良いですね。

こんな番号をいただいたからには、調整を上手にして自己ベストを狙おう… …、いやいや平常心、平常心ですね~!!

記念になる番号をいただいたのは(成績は別ですが)、

1996.6.8(51歳)に参加した、九州の「阿蘇カルデラスーパーマラソン100km」(12:53、ゼッケンNOは 1 でした。招待選手ではありません。)以来です。

今日のJ&S        
          
 19k  花茜浜突端15k+4k
                                                 当月累計 101k   年間累計  101

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暇へ、閑へ

2009年12月20日 | リタイアメントライフ

■ 長時間の仕事から解放される。

大部分が仕事に吸い取られていた、自分の体力や気力のエネルギー。
20歳~50、60歳くらいまではやむをえませんが

他のことに向けられる。

60歳くらいから、そのような環境を望んでいたから、ちょっと遅かったくらいだ。

歳月、人を待たず。

来年だけ、まだ、ちょこっと、週に3日ほど仕事に関係しますが、それでも自由な時間が大きく増える。

その翌年は、見切りをつけたい。

暇へ、閑へ、一歩を踏み出す。

生まれた暇は、気のおもむくまま、自分や家族や地域などのために、趣味三昧や、他のやりたいことなどのために使える。

遊びと、こころのゆとり… …、

生活の速度もユックリにチェンジ。

遅ればせながら、第4の人生(60歳~80歳)を輝かすことができる。

※ ⇒

① あなたはいつか、社会という車を乗り捨て、自分の足で歩き出す。

そのときのくるのをねらいつつ、生きていくのがオモシロイ。(加島祥三)

② 老年は、解放のとき。

③ 自分の自由にならないことについてはあくせくせず、天命にまかせ、

自分の自由になることは、これは目一杯それを働かせ、享受せよ。(エピクテートス)

④ ぼくらはひとに

褒められたり貶されたりして、

びくびくしながら生きている。

自分がひとにどう見られるか

いつも気にしている。しかしね

そういう自分というのは

本当の自分じゃあなくて、

社会にかかわっている自分なんだ。

 

もうひとつ

天と地のむこうの道(タオ)に

つながる自分がある。

そういう自分にもどれば

人に嘲られたって褒められたって

ふふんという顔ができる。

社会から蹴落とされるのは

怖いかもしれないけれど、

タオから見れば

社会だって変わってゆく。だから

大きなタオの働きを少しでも感じれば

くよくよしなくなるんだ。たかのしれた自分だけれど

社会だって、

たかの知れた社会なんだ。

 

もっと大きなタオのライフに

つながっている自分こそ大切なんだ。

そのほうの自分を愛するようになれば

世間からちょっとパンチをくらったって

平気になるのさ。だって

タオに愛されてる自分は

世間を気にしてびくつく自分とは

別の自分なんだからね。

 

社会の駒のひとつである自分は

いつもあちこち突き飛ばされて

前のめりに走ってるけれど、

そんな自分とは

違う自分がいると知ってほしいんだ。(加島祥三)

今日のJ&S        
          
 10+5k  コストコ+α
                                                 当月累計 81k   年間累計  2746

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第4の人生

2009年11月11日 | リタイアメントライフ

■ 今日は、一日、なんだかんだ3日も走っていません。

明日の夕方は、晴れていそうだし、時間もとれそうなので、走力が衰えないようにをしよう。

■ 「人生をいい旅にする知恵やコツは、ライフサイクルの各段階で、価値観の見直しと再評価をすることである」、というような記事があった。

若い時は、子供を育てたり、家や車などを持つために財物が必要、仕事では業績も必要です。

いちばん大切な自分の時間が、そのために費やされている。

子供たちも独立し、定年退職したあとは、財物や地位、名誉などは必要でなくなる。

組織、社会、家庭などからの拘束、制約も薄れ、自分の、ほんとうにやりたいことのために時間を費やすことができる。

人の自然の心を損なう、社会的なしきたりや決め事から離れ、真に自分の内側から湧き出る価値観で生きることができる。

忙しさから離れ、ゆっくりした生活の速度、シンプルで心ゆたかな生活ができる。

本来の自分に戻れるし、人工的なものから離れ、自然に親しむことができる。

第4の人生、60歳~80歳までを一つの人生と思って、その人生を輝かせる。

新しい人生なのだから、昔の人生にこだわらなくていいし、次の人生に抑圧されることもない。 

以上は、ある新聞記事と、森毅の「人生20年説」(人は一生に4回生まれ変わる)からまとめてみたもの。

60歳過ぎの4年間は、従来どおり仕事を続けていたため、好きなこと、やりたいことなど、ほとんどできませんでしたね~。

遅まきながら、来春からスイッチを切りかえる。

決心すれば、方法は出てくる。

自由に、

やりたいことに専念しながら、

解放されている、

状態を創りだしたいものです。

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老いの楽しみ―命荒々しく自由に

2009年05月04日 | リタイアメントライフ

■  テレビを見て

今日は昼まで出勤です。

仕事を終え帰宅してまもなくのテレビですが、金子兜太がタイトルの言葉を語っているのを見聞きしました。

番組後半10分くらいだけでしたので、全体が見えませんでしたが、他へ迷惑をかけない範囲の本能を大切にすることや、我と自然を一体としたいのち、アニミズム的なものへの畏敬、それを大切にしたいというようなことが話されていたように思います。

高齢にもかかわらず、まだまだ何かを求め天地一枚に生きている姿・情熱に圧倒されましたね~。

番組紹介によりますと、

―季語などにとらわれない自由な句作で知られる俳人・金子兜太さん。花鳥風月よりも、人間と社会、人間存在の根底をつかみ取りたいと句作を続けてきた。89歳のいま、「いのち」そのものに限りなく肉薄したいと願う。原点となった山深い埼玉・秩父での記憶。戦地トラック島での鮮烈な体験。そして、戦後に受けた衝撃。「人間がどう生きるか。その答えは、いのちの本当の姿にある。」という金子さんがたどり、行き着いた世界を聞く。―

とありました。

■ 老いを楽しむ

ちょっと遅い気もするんですが、今年で、そろそろ仕事からは足を洗い、閑をもち、やりたいことをやっていきたいと思いますね~。

無常迅速。 

体力、気力に残るエネルギーがあるうちに、型にはまり束縛された会社勤めのスピードから、人間本来のほどよい自在な生活スピードにギヤをチェンジし、日々を過ごしていきたいと思いますね。

若い時は、人生の終わりなんて、一度も思ったことがない。

いつまでも死なないような気持で生きています。 

先日、お世話になった男性の訃報がメールされてきました。

65歳くらいで退職され、悠々自適の暮らしをされていると思っていたので、73歳でのあっけない死は意外でした。

タバコとお酒、映画をみるのが大好きで、穏やかな人柄の方でした。

気がついてみれば、私自身もその年齢に近いです。

他方では、

近隣には72歳でサロマ湖100kmのラン、74歳でトライアスロン、79歳でフルマラソン、80歳を過ぎてスイミングを楽しんでいる方もいます。

90歳で好きな絵を描いている方もいます。

図書館通いで読書を楽しんだり、ハイキングや山を楽しんでいる人もいます。

■ 箴言数例

(1) 1300年代ころに著された徒然草では、

① 年の若さにもよらず、体力の強さにもよらず、思いもかけないのは死の時期である。今日まで死をまぬがれてきたということは、不思議なことである(第137段)

② 人の世の義理や付き合は、どれもこれもしないでいいなどというものがあろうか。といって世俗の決まりごとを無視しがたいまま、どれも必ずしなければならないとしたら、願い事は多く、身は苦しく、心の安まるひまもなく、一生はつまらないことに義理立てすることで妨げられて、空しく暮れてしまおう。すでに日暮れて、途は遠い。自分の人生はもうケリがついた。いまは世間の義理をすべて捨て去るときだ。もう約束も守るまい。礼儀をも思うまい。… … 非難されても苦しむまい。ほめられても耳に入れまい(第112段)

③ だいたい、その年になったら、すべての仕事はやめて、ゆったりとひまのあるのこそ、傍目に見てもよく、願わしいことである。俗世間のことに関係して、一生を暮らすのは、最低に愚かな人である(第151段)

と言っています、

(2) 江戸時代の松尾芭蕉について書かれた、「芭蕉庵桃青の生涯(高橋庄次)」によると、

芭蕉の生涯には、さまざまな相貌があり複雑な変貌がある。

だが、その芭蕉についてこれまでほとんど一つの顔しか語られなかった。

芭蕉は漂白の旅の詩人と言われるが、その前に少年金作の時代があり、武家社会に夢を託した松尾忠右門宗房の青年時代があった。

壮年期の松尾甚七郎桃青の時代には、妻子をかかえて猛烈なまでに生業に専念し、プロの俳諧点者として江戸商店街のどまんなかの門戸をはり、また上水道工事にまで手をのばし稼いでいた。

旅の詩人として漂白に身をさらしたのは老年期の10年間である

… … なぜ突然、過酷なまでに貧しい 身を投じたのか さすらいの旅に身を投げ出したのか …

さらに、

(3) 加島祥造「老子と暮らす」によれば、

① 社会という車を乗り捨てて、自分の足で歩きだす。

② 人間には、心の声を押さえ、世間に迎えられるようなものをつくっていく時期が、壮年期には必ずくるものです。ちょうどその年齢が、社会的にも家庭的にもいちばん責任あるころだからです。

その時期に人間は、社会や家庭からいちばん拘束される、ということですね。

世間に入り、交わり、米と塩の糧をとる。その必要は、誰も認めるところです。

ただし壮年期を終えて、なおかつそのように生きるか。それとも、ある程度まで何かをやって、もう十分になったら、それから再び心の声を聞くか。

つまり自由になるかどうかは、その個人の問題になります。

ということもあります。

また

(4) 養老猛は、老いの「養老訓」として、

第一訓 「不機嫌な年寄りにならない」

評価とか競争とかに関係のなくなった年寄りは喜べばよい。何をやってもいいんんだから、やはり何かを残すように考えると楽しくなってくる。

第二訓 「感覚的に生きる」

若い時は、会社組織に束縛されて生きてきましたが、老年期は自由になったんです。感覚的に生きましょう。感受性が大切です。

第三訓 「夫婦は向かい合わないほうがいい」

夫婦二人きりで過すと直ぐに喧嘩になります。夫婦は適当に離れて過ごし、睨み合いを避けるべきです。

第四訓 「面白がって生きる」

本ばかりを読まないで、山野を感覚的に歩くことです。すると色々なことが新鮮に見えてきます。人との関係でも、風景でも新しい視点が蘇ってくるのです。すると俄然世の中が面白く見えてきます。考えるより体を動かしましょう。

第五訓 「何でもやる」

効率化や、経済一辺倒、大量消費、その結果の環境や自然破壊、競争の仕組みの中で働いたり、家庭や経済のためにと、忙しさを強いられたり、役割を果たしたり、他人にあわせたりしている間に、あっというまに老いに至る。老後は、自分のために働くことと社会のために働くことを二つ持てばバランスのいい人生になります。年寄りにもまだまだやれることはあります。地域、教育、ボランティアなんでもやればいい。

第六訓 「こんなことをしたらだめ」

人を責める口うるさい老人になったらだめです。自分の思い通りには世間は動きません。「仕方がない」で片付けましょう。頭が考えることと生身の人間は違います。年寄りは分ったような顔をしないで、一日に一度は感動して生きるのが楽しい生き方です。年寄りは団体行動は避けましょう。

第七訓 「年寄りが生きるのに金はいらない」

リスクに万全な社会はコストが高くつきます。飛行機が落ちたら運が悪かったで済ませましょう。年金よりは長生きすることがとくです。お金を稼ぐのには教養はいらないけれど、お金を使うには教養が要る。年寄りは持っている金を有意義に使えばいい。日常が無事に過せれば、実はお金は要らない。お金よりは健康です。年寄りは田舎で暮らそう、僻地ではなくそこそこの田舎で安らかに土をいじくって体を動かしましょう。

第八訓 「決まりごとに束縛されない」

国も会社も役所も法律もみんな「約束事」に過ぎません。何時かころっと変わるものです。法が変わらなくとも、実情に合わせて生きるすべはいくらでもあります。日本人は憲法と自衛隊のようにダブルスタンダードでやりくりが得意です。不信はコストが高いですが、信用は安心して生きられます。

第九訓 「人生は死ぬことです」

人は毎日睡眠と云う意識の不連続点を持っている。毎日死んでるようなもので、記憶が連続性を維持しているのです。呆けはこの記憶連続性をも失くしてしまう。死は記憶が戻らないことです。「人生50を過ぎたら禍福なし」と云うことで、余命を期待しないのが爽やかな生き方につながります。平家物語の「見るべきほどのことをば見つ」と思えば未練はありません。老人は笑って生きましょう。

と言っています。

■ 当面10年を目標に、

(還暦後は、60~64歳、65~69歳、70~74歳、…と、5年ごとに新しい目標を設定したい)

気持ち的には金子兜太さんの「命荒々しく自由に」といきたいんですが、

分をわきまえ、上記の箴言を参考に、

老いを快適にというか、あまりとらわれずにですが、本来に還り、こうしたいと思うことを実現しながら、楽しんでいきたいものです。 

 

関連 : 2005― 8/2  8/3  8/23

          2006― 11/15    11/30  

          2007―  8/24

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適量の酒

2009年04月25日 | リタイアメントライフ

■ 適量の酒といっても、うんと飲める人、体調とか、年齢とかで違ってきますよね~(飲めない人、飲まない人もいますし)。

今朝のニュースで、草なぎ剛さんの謝罪会見を見ました。

会見では、「僕はたくさんのお酒を飲んでしまい、わけがわからなくなって大人として恥ずかしい行動を起こしてしまいました。とても反省しております」と語った。

男の社会では、昔から似かよったことがよくあると思うんですが、今回は、社会もマスコミも大きく取りあつかいましたね~。

■ もう、ず~っと以前のことですが、一年が終わり、その年最後の会議の後の慰労懇親会でのことです。

会のはじめに一言、“お酒に触れたあいさつ”、がありました。

引用した一言が心に残っていたところ、後になって言葉の出典がコピーされてきました。

今も手元に保管されていますので、ご紹介します。

次の内容です。

『<酒>酒とは、言うまでもなくアルコール飲料の総称であり、仏典によれば酒は食物から作ったスラー、果物や食物の茎や根を原料にしたマイレーヤ、それらのまだよく発酵していないマディヤなどに分類される。……今日人間の飲む酒は何百種類あろうか。その量も莫大なものになっていようが、二千年以上の昔でも人間社会に酒はつきものだったようである。
仏教、特に初期のインド仏教では酒を飲むことは厳しく禁ぜられた。

ところがわが国では、一部の修行者を除き、不飲酒戒はさらりと捨てられた。仏教が伝来する以前から、酒は祭りや祝いごとなどでよく用いられ、一般社会における人間関係を円滑にするための大切な手段でもあった。出家僧にとってもおなじことである。……寺院の山門にはよく戒壇石というのが立っていて、「不許葷酒入山門」と書いてあるが、酒は堂々と山門から寺の中に入ってゆく。ある禅僧が笑って言った。許されざれども葷酒山門に入ると読めばよいと。葷は許さず、酒は山門に入れとも読める。おおらかなものである。

酒は百薬の長ともいう。天の美禄ともいう。李白や杜甫の詩には酒を讃美する名句があふれている。しかしながら酒はやはり魔物であり、時には災いのもとをなす。初期経典の戒めを忘れてはいけない。特に飲みすぎはいけない。法華経によれば、初めは人が酒を飲み、次に酒が酒を飲み、後には酒が人を呑むとある。論語には、「酒は量無し、乱に及ばず」の語があるが、それは孔子の話であって、我々はうっかりすると「酒は量無し、及ばざれば乱す」となる恐れがある。家庭の団欒のため、よき交友と職場の活力のため、適量の酒を楽しく飲みたいものである。』(関根瑛応 「日常生活と仏教用語」より)

アンダーラインを引用した後、「… …、… …、今日は、飲まれる前の、ほどよいかげん(ほろ酔いかげん?)に飲んでいって下さい」というあいさつでした。

■ 話は前に戻りますが、

草なぎさんは、好感のもてる芸能人だし、謝罪会見で話していることもちゃんとしていたし …、体調かなにかの影響があったんでしょうか?、量が過ぎて、飲みすぎて、酒が人を変えたんしょうね~、… 魔物ですか~、酒が草なぎさんを飲んでしまったんでしょうね~。

まずは本人が問われると思いますが、実害はなかったようですし、それにしても、一緒にいた飲み友達が、こういう事態にならないように、なんとかしてやれなかったのかと思いますね~。

コメント
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