愛の伝道師・マルチンデター

TBSラジオ金曜パック(イン・ミュージック)卒業から45年「愛の伝道師こと札幌のー」から現在、U.Sなどで「不況」活動中

2008年1月24日 『宴への誘い』 

2008-01-27 | Weblog
My Birthday・・・

サンノゼは雨季なのですが、今年は異常なくらい雨が降ってます。
外で食事も・・・ちょっと億劫。自宅でやりました。
まず用意したのは、自分で作ったAppetizer sampler

大好きな生ハムとモッツァレラチーズ。
口直しのためにオニオン、レモン、ドライトマト、アーティチョーク、胡瓜。
もちろんケッパーも。
お塩少々とブラックペッパーを振りかけて出来上がり!!

さてさて、お次は、ワイン。
MERRY VALE STARMONT

スーパーでよく見かけるこのNapaのワイン。
ラベル上のVカットが、いつも気になってました。
インターネットの検索では、ロバート・モンダビのお父さんが関わったワイナリーで結構評価が高く今回は、このカベルネ・ソービニヨンに。
味は・・・期待を裏切らない確かな味…でも、当たり前すぎて、サプライズな感じは…。
まぁー今日は、それも良しですね!

奥に見える光は、暖炉なんですけど全然、部屋が暖まりません。

そして、メインディッシュは、お肉を焼きました。
が、写真のことに気がついたのは、半分くらい食べた後…。
結構、楽しみました!

2008年1月21日マーティン・ルーサー・キング牧師(祝日)

2008-01-20 | Weblog

Martin Luther King,Jr.Birthday

1月15日、サンノゼに戻ってきました
「マンボウ」さんでの緊急オフ会に参加できなかったのが唯一、心残り
3週間ほど日本の生活をすると流石に里心が芽生えますね。
美味しいワインも魅力ですが、一人でこの地に戻るには多少の気合が要ります

さてさて・・・、
今年、最初の祝祭日
アメリカでは、歴史を変えた4人の偉大な人物の誕生日、またはその人にちなんだ日を祭日としています。
4人の名前はマーティン・ルーサー・キング牧師(1月)、ワシントン大統領(2月)、リンカーン大統領(2月)・・・現在は一緒になってプレジデンツ・デー、そしてコロンブス(10月)です。

キング牧師は、父親の黒人牧師と同じ道を歩むため大学卒業後、ペンシルバニア州のクロイツァー神学校に進み、ボストン大学、ハーバード大学で神学、哲学を学び博士号を取得。
1963年、25万人のワシントン大行進とその際の演説が功を奏し翌年、公共施設や就職関係での差別撤廃の「公民権法」が成立。
彼は、人種差別撤廃運動家としてインド・ガンジーの非暴力主義による闘争を人種差別是正の手段として捉え、魂の力によって戦った人なのです

そして1964年、若くして「ノーベル平和賞」を受賞 しかし3年後、ベトナム反戦運動に発展した彼の活動は・・・多くを刺激することとなり1968年4月4日、彼の影響力?に脅威を感じた?・・・心無き者の手により、39歳の若さで暗殺されてしまいます

キング牧師のワシントンでの演説・・・
「私には夢がある(I still have a dream)・・・」は、あまりにも有名で心を打たれます。・・・9.11の声明でブッシュ大統領がこのフレーズをパクッたくらい・・・。  
そして、その演説の後半・・・
『仕返しに暴力を使っても、問題の解決にはならない。汝の敵を愛せよ。汝を呪うものを祝福せよ。汝を虐げるもののために祈れ。それが私たちの生きる道だ。憎しみには愛をもって報いなければならない』 と。

なかなかその境地に至らない自分・・・彼より長生きし今月24日が誕生日・・・。

「金曜パック」懐かしの投稿原稿

2008-01-03 | Weblog

年末の大掃除

30年以上前のパック原稿綴りを引っ張り出しました。
すべての下書き原稿は残っていませんでしたが、未投稿のものも含めて見つかりました。
捨てずにしまっておいた大切な宝もの。

当時は宅急便という便利なものが無かったので、札幌からTBSに投稿するにはかなりハンディがありました。速達でも2日、夕方出すと3日かかりました。
お題を聞いてから日曜日までに書き上げ、月曜朝一に「速達」で出すという繰り返しでした。

当然と言ってはなんですが・・・、
原稿書きに忙しく勉強してる暇ありませんでした

恥ずかしながら作文が大の苦手の小学時代、「現国」全く点の取れない中学、高校時代の劣等感いっぱいの自分を金曜パックは励ましてくれました。
野沢那智さん、白石冬美さん、当時の斉藤ディレクター、渡さんに感謝いたします。


2008年1月2日 恭賀新年

2008-01-02 | Weblog

 Happy New Year

穏やかな新年を迎えることができました。
チャットにもすっかりご無沙汰して申し訳ございません
今日こそはお邪魔させていただきたく思います。よろしくお願い致します。
時差の無い環境になり「やっと・・・」と思いつつ寛ぎ過ぎて眠ってしまう今日この頃。

【CD下巻収録】
⑦「エマニュエル夫人を観た後で」(12分34秒)これは「九年目・・・」の上巻に収録
⑧「電話消毒器いりませんか」(13'21)
⑨「白いビーズのハンドバックが欲しいなァ」(11'09)
⑩TBSラジオにお邪魔しました(8'05)

TBSにお伺いしたのは、前日に劇団薔薇座の野沢那智さんに電話をかけお誘いを頂きました。
電話の受付嬢に名前を聞かれ、さすがに名前が言えず躊躇した記憶が今でも残っています。
本名を言っても野沢さんは知りませんから出ていただけないかと・・・かといって「愛の伝道師」だなんて言っても怪しまれますし・・・されとて「マルチン・デター」だなんて恥ずかしくて言えませんよね。
あの時ほど馬鹿なペンネームにしたことを悔いました。

でも、野沢さんは電話に出てくださりアラン・ドロンの声で「明日、11時頃に赤坂のスタジオにいらっしゃい」と言って頂きました。
・・・今から考えると怖いもの知らずでした
若いって凄いですよね

確か…1975年3月20日(木)の深夜11時
TBSの裏口(深夜なので正門が閉まっていました)から入ろうとすると守衛の方に止められ「オイ、君、どこに行くんだ!」って。
「えっ、第三スタジオですが・・・」と、当時は簡単にスタジオに入れると思ってました。
「なにしにいくの?」
「はぁ、あのー…野沢さんにオイデって言われたので・・・」
「えっ、何?アンタが?ちっと待って!」とまたまた怪訝そうに言われ、スタジオに電話で問い合わせされました。
守衛さんは「はっ、はぁーそうでしたか、承知いたしました」って電話でやり取りの後、手の裏を返して、
「どーも遅い時間にご苦労様ですぅ、第三スタジオは、あちらの正面のエレベータで上がって4階ですのでどーぞ」と急に丁寧な態度になったのを覚えています。

スタジオの緊張感を肌で感じ、レストランで食事をご一緒し、ギリギリでスタジオに駆け込む臨場感まで体験させていただきました。
「やぁー、やぁー、やあー、みなさんこんばんは!」  とマイクの声
全国に届く「オーラを感じさせる」 大きな声にびっくり

なんとも佳き思い出です


2008-1-1 謹賀新年

2008-01-01 | Weblog

新年明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします
日本に戻って懐かしの記録を引っ張り出しています。
まずは投稿作品を2枚のCDにまとめた一枚目(上)です。
私の作品が収録された「九年目のもう一つの別の広場」(上)(下)巻のカバーデザインは「川崎のちびママ」さんでした。
このCDは当然非売品で、CDデザインの際にそのまま頂き編集し「ももんが」さんに送った時のマスターです。

【CD上巻収録】
①(秘)男子寮夜の告白(9分47秒)・・・最初の作品で「九年目・・・」の上巻に収録
②姉との同棲「薬缶シャワー事件」(9'20)
③男女間の「愛の手ほどき48手」(13'21)
④盲腸入院体験記「広子さーん」(17'25)
⑤幼稚園の「お楽しみクリスマス会」(11'09)
⑥愛はすべてを耐える(16:06)・・・最後の頃の作品で「九年目・・・」の下巻に収録

タイトルは①と⑥が「九年目の・・・」の編集時に関係の皆さんが決めてタイトル付けして頂き、後は自分で勝手につけました。
⑥愛はすべてを耐える・・・は、この作品を書きたくて①(秘)男子寮夜の告白を書いてデビューし、その準備を当時しました。
この作品は放送最後のお便り・・・シバの女王♪が流れるタイミングの時に選んでいただき読まれたのですが、とても楽しく読んでいただきました