愛の伝道師・マルチンデター

TBSラジオ金曜パック(イン・ミュージック)卒業から45年「愛の伝道師こと札幌のー」から現在、U.Sなどで「不況」活動中

2008年1月2日 恭賀新年

2008-01-02 | Weblog

 Happy New Year

穏やかな新年を迎えることができました。
チャットにもすっかりご無沙汰して申し訳ございません
今日こそはお邪魔させていただきたく思います。よろしくお願い致します。
時差の無い環境になり「やっと・・・」と思いつつ寛ぎ過ぎて眠ってしまう今日この頃。

【CD下巻収録】
⑦「エマニュエル夫人を観た後で」(12分34秒)これは「九年目・・・」の上巻に収録
⑧「電話消毒器いりませんか」(13'21)
⑨「白いビーズのハンドバックが欲しいなァ」(11'09)
⑩TBSラジオにお邪魔しました(8'05)

TBSにお伺いしたのは、前日に劇団薔薇座の野沢那智さんに電話をかけお誘いを頂きました。
電話の受付嬢に名前を聞かれ、さすがに名前が言えず躊躇した記憶が今でも残っています。
本名を言っても野沢さんは知りませんから出ていただけないかと・・・かといって「愛の伝道師」だなんて言っても怪しまれますし・・・されとて「マルチン・デター」だなんて恥ずかしくて言えませんよね。
あの時ほど馬鹿なペンネームにしたことを悔いました。

でも、野沢さんは電話に出てくださりアラン・ドロンの声で「明日、11時頃に赤坂のスタジオにいらっしゃい」と言って頂きました。
・・・今から考えると怖いもの知らずでした
若いって凄いですよね

確か…1975年3月20日(木)の深夜11時
TBSの裏口(深夜なので正門が閉まっていました)から入ろうとすると守衛の方に止められ「オイ、君、どこに行くんだ!」って。
「えっ、第三スタジオですが・・・」と、当時は簡単にスタジオに入れると思ってました。
「なにしにいくの?」
「はぁ、あのー…野沢さんにオイデって言われたので・・・」
「えっ、何?アンタが?ちっと待って!」とまたまた怪訝そうに言われ、スタジオに電話で問い合わせされました。
守衛さんは「はっ、はぁーそうでしたか、承知いたしました」って電話でやり取りの後、手の裏を返して、
「どーも遅い時間にご苦労様ですぅ、第三スタジオは、あちらの正面のエレベータで上がって4階ですのでどーぞ」と急に丁寧な態度になったのを覚えています。

スタジオの緊張感を肌で感じ、レストランで食事をご一緒し、ギリギリでスタジオに駆け込む臨場感まで体験させていただきました。
「やぁー、やぁー、やあー、みなさんこんばんは!」  とマイクの声
全国に届く「オーラを感じさせる」 大きな声にびっくり

なんとも佳き思い出です