まりっぺのお気楽読書

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フランス王シャルル7世妃 マリー

2009-02-28 21:44:55 | フランス王妃・王女
家族ぐるみで王に貢いだ
シャルル7世妃 マリー・ダンジュー


1404~1463/在位 1422~1461

シャルル7世と王妃マリーは共に
ジャン2世とポンヌ・ド・リュクサンブールの血を引いています。

      

1422年にマリーと結婚する2ヶ月前、シャルルは王の宣言をしましたが
0歳のイングランド王ヘンリー6世(の摂政)が正式な後継者として
王を宣言していました。
シャルルを王と認めたのはアルマニャック派だけでした。

2人が戴冠をするのは1429年、ジャンヌ・ダルクの活躍により
オルレアンを取り戻してからになります。

シャルル7世は、イングランドを撃退し完全に王権を取り戻すために
マリーの実家アンジュー家、中でも母ヨランダ・ダラゴンから莫大な援助を受け
1453年、やっと百年戦争を終結させました。

それなのに! そんなに世話になっておきながら!
シャルル7世は、1440年頃から愛妾アニェス・ソレルに入れあげるようになります。
彼女は王を尻にしき、派手好きで宮廷を華美にし、女王のように振る舞ったとかで
息子ルイ(後の11世)は公然と父王に反抗するようになります。

1450年にアニェスが毒殺された時にはルイも疑われたりしたようですが真相は不明です。
でもマリーは犯人にお礼が言いたいくらいだったでしょうね。

マリーは王の死後2年たった1463年に亡くなりました。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

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1 コメント

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トランプのクローバーのクィーンのモデル説のあるフランス王妃 (メリエンダ)
2018-11-15 11:53:58
マリー・ダンジューは、百年戦争の最終勝者とされたフランス王シャルル7世の王妃で、苦境にあるシャルルを実家と共に助けたとされた王妃。また、彼女は敬虔で、控え目な性格の女性だったらしく、義理の母、イザボーとは真逆の女性だったみたいですね。ただ残念なのは、彼女もまた、お世辞にも美しい、とは言えず、“怯えたイタチのような目”を持ち、その大人しい性格からか、存在感が薄かったみたいですね。それでも、王妃としての最も大切な勤めをきちんと果たし、多くの子供達を産んてくれて、時々浮気はされていましたが、夫婦仲は良かったみたいですね。だけども、ある日、シャルルが一人の目が眩むような“絶世の美女”を連れてきて、王妃の侍女にした。この絶世の美女が、アニェス・ソレル!これまでの一時の浮気とは違って、王のアニェスへの入れ込みようは大変なもので、ついには、“公式寵姫”なる地位を築くことに!さすがに、王妃はショックを…だけども、この事を実家に相談したところ、マリーは、数多くの王子、王女を産み、その地位は揺るがないものだから、心を広く持つように、と忠告されたとも…王妃は持って生まれた従順な性格ゆえか、はたまた、あのアニェスの美貌にはどう逆立ちしても、敵わない、と諦めたとも…王妃は、二人、王と寵姫の関係を認め、アニェスとも挨拶を交わしたり、会話をしたりして、最低限、仲良くするのを努めたとも…王妃は許したものの、王とアニェスを蛇蝎のように嫌い抜いたのが、嫡男ルイ。アニェスが若死にしたのは、ルイの仕業とも、王もルイからの毒殺を恐れて餓死したとも…
シャルル7世のアニェスへの入れ込みから、“公式寵姫”という地位ができ、その初代にアニェス・ソレルが就いたのですが、この時から、フランス宮廷の主人は“寵姫”であり、王妃は“日陰の存在”となってしまったのでしょうか?ならば、マリー・ダンジューは、初代“目立たないフランス王妃”ですね…大変失礼ですが。

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