家族ぐるみで王に貢いだ
シャルル7世妃 マリー・ダンジュー
1404~1463/在位 1422~1461
シャルル7世と王妃マリーは共に
ジャン2世とポンヌ・ド・リュクサンブールの血を引いています。
1422年にマリーと結婚する2ヶ月前、シャルルは王の宣言をしましたが
0歳のイングランド王ヘンリー6世(の摂政)が正式な後継者として
王を宣言していました。
シャルルを王と認めたのはアルマニャック派だけでした。
2人が戴冠をするのは1429年、ジャンヌ・ダルクの活躍により
オルレアンを取り戻してからになります。
シャルル7世は、イングランドを撃退し完全に王権を取り戻すために
マリーの実家アンジュー家、中でも母ヨランダ・ダラゴンから莫大な援助を受け
1453年、やっと百年戦争を終結させました。
それなのに! そんなに世話になっておきながら!
シャルル7世は、1440年頃から愛妾アニェス・ソレルに入れあげるようになります。
彼女は王を尻にしき、派手好きで宮廷を華美にし、女王のように振る舞ったとかで
息子ルイ(後の11世)は公然と父王に反抗するようになります。
1450年にアニェスが毒殺された時にはルイも疑われたりしたようですが真相は不明です。
でもマリーは犯人にお礼が言いたいくらいだったでしょうね。
マリーは王の死後2年たった1463年に亡くなりました。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
シャルル7世妃 マリー・ダンジュー
1404~1463/在位 1422~1461
シャルル7世と王妃マリーは共に
ジャン2世とポンヌ・ド・リュクサンブールの血を引いています。
1422年にマリーと結婚する2ヶ月前、シャルルは王の宣言をしましたが
0歳のイングランド王ヘンリー6世(の摂政)が正式な後継者として
王を宣言していました。
シャルルを王と認めたのはアルマニャック派だけでした。
2人が戴冠をするのは1429年、ジャンヌ・ダルクの活躍により
オルレアンを取り戻してからになります。
シャルル7世は、イングランドを撃退し完全に王権を取り戻すために
マリーの実家アンジュー家、中でも母ヨランダ・ダラゴンから莫大な援助を受け
1453年、やっと百年戦争を終結させました。
それなのに! そんなに世話になっておきながら!
シャルル7世は、1440年頃から愛妾アニェス・ソレルに入れあげるようになります。
彼女は王を尻にしき、派手好きで宮廷を華美にし、女王のように振る舞ったとかで
息子ルイ(後の11世)は公然と父王に反抗するようになります。
1450年にアニェスが毒殺された時にはルイも疑われたりしたようですが真相は不明です。
でもマリーは犯人にお礼が言いたいくらいだったでしょうね。
マリーは王の死後2年たった1463年に亡くなりました。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
シャルル7世のアニェスへの入れ込みから、“公式寵姫”という地位ができ、その初代にアニェス・ソレルが就いたのですが、この時から、フランス宮廷の主人は“寵姫”であり、王妃は“日陰の存在”となってしまったのでしょうか?ならば、マリー・ダンジューは、初代“目立たないフランス王妃”ですね…大変失礼ですが。