![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d8/65ada66dba652c698a9c4deff2d87187.jpg)
“キングメイカー”の娘
リチャード3世妃 アン・オブ・ウォーリック
1456~1485/在位 1483~1485
ヨーク家最後の王リチャード3世が結婚したのは、エドワード4世に
半旗を翻して倒されたウォーリック伯リチャードの次女アンでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bf/3ce92c5a3e870a398f56c32322b31cff.jpg)
ウォーリック伯はエドワード4世擁立に尽力した人物でしたが、
エドワードが王になってから軽んじられたため、王弟クラーランス公を王にしようとしたり
潜伏中のヘンリー6世を復権させようと目論みます。
ウォーリック伯は、二人の娘のうち長女イザベルはクラーランス公に
妹アンをヘンリー6世の皇太子エドワードに嫁がせます。
(この時アンは正式に結婚式をあげていません)
結局、ウォーリック伯の画策は失敗し、アンは父も夫のエドワードも失いますが
広大なウォーリック伯領を手に入れたかったグロースター公リチャード(後の3世)と
結婚します。
当然ながらこの結婚には、アンの姉イザベルを妻にもつクラーランス公から
大反対がおこりますが、兄王エドワード4世の許可を得て結婚しました。
アンとリチャードは小さな頃、同じ城にいた時期があります。
もし、お互いが初恋相手だったんだとしたらロマンティックですよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heartss_pink.gif)
いずれにしてもリチャードはアンにぞっこんだったそうです。
少年王エドワード5世の殺害(の疑い)の件もあって残虐なイメージが強いリチャード3世。
アンが28歳の若さで亡くなった時にも、
リチャードが姪のエリザベス・オブ・ヨークと結婚するために毒殺した、という
噂がたったといいますが、どうやらアンの死因は結核だったようです。
でも、二人が結婚して暮らしたヨークシャーのミドゥラム(旧ウォーリック伯領)では
よくできた領主様と評判が良かったらしいですよ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
権力欲しさに人って変わってしまうものなのかしら?
しかもかなりのハンサムさんで『醜い』という説は間違いだって噂も・・・
アンの死後5ヶ月、リチャード3世はヘンリー・テューダーに敗れ戦場で殺害されます。
今はお墓も残っていません。
ヨーク家も、兄弟や親類同士で争ってばかりいないで家族一丸となっていたら
三代で終わることはなかったかもね・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/59/268ba3941d58c5ce0045c72d663d5e3f.jpg)
こちら、おちゃめなタッチのアン・オブ・ウォーリック
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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リチャード3世妃 アン・オブ・ウォーリック
1456~1485/在位 1483~1485
ヨーク家最後の王リチャード3世が結婚したのは、エドワード4世に
半旗を翻して倒されたウォーリック伯リチャードの次女アンでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bf/3ce92c5a3e870a398f56c32322b31cff.jpg)
ウォーリック伯はエドワード4世擁立に尽力した人物でしたが、
エドワードが王になってから軽んじられたため、王弟クラーランス公を王にしようとしたり
潜伏中のヘンリー6世を復権させようと目論みます。
ウォーリック伯は、二人の娘のうち長女イザベルはクラーランス公に
妹アンをヘンリー6世の皇太子エドワードに嫁がせます。
(この時アンは正式に結婚式をあげていません)
結局、ウォーリック伯の画策は失敗し、アンは父も夫のエドワードも失いますが
広大なウォーリック伯領を手に入れたかったグロースター公リチャード(後の3世)と
結婚します。
当然ながらこの結婚には、アンの姉イザベルを妻にもつクラーランス公から
大反対がおこりますが、兄王エドワード4世の許可を得て結婚しました。
アンとリチャードは小さな頃、同じ城にいた時期があります。
もし、お互いが初恋相手だったんだとしたらロマンティックですよね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heartss_pink.gif)
いずれにしてもリチャードはアンにぞっこんだったそうです。
少年王エドワード5世の殺害(の疑い)の件もあって残虐なイメージが強いリチャード3世。
アンが28歳の若さで亡くなった時にも、
リチャードが姪のエリザベス・オブ・ヨークと結婚するために毒殺した、という
噂がたったといいますが、どうやらアンの死因は結核だったようです。
でも、二人が結婚して暮らしたヨークシャーのミドゥラム(旧ウォーリック伯領)では
よくできた領主様と評判が良かったらしいですよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
権力欲しさに人って変わってしまうものなのかしら?
しかもかなりのハンサムさんで『醜い』という説は間違いだって噂も・・・
アンの死後5ヶ月、リチャード3世はヘンリー・テューダーに敗れ戦場で殺害されます。
今はお墓も残っていません。
ヨーク家も、兄弟や親類同士で争ってばかりいないで家族一丸となっていたら
三代で終わることはなかったかもね・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
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こちら、おちゃめなタッチのアン・オブ・ウォーリック
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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