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イングランド王リチャード3世妃 アン

2008-10-23 22:43:01 | イングランド王妃・王女
“キングメイカー”の娘
リチャード3世妃 アン・オブ・ウォーリック


1456~1485/在位 1483~1485

ヨーク家最後の王リチャード3世が結婚したのは、エドワード4世に
半旗を翻して倒されたウォーリック伯リチャードの次女アンでした。

      

ウォーリック伯はエドワード4世擁立に尽力した人物でしたが、
エドワードが王になってから軽んじられたため、王弟クラーランス公を王にしようとしたり
潜伏中のヘンリー6世を復権させようと目論みます。

ウォーリック伯は、二人の娘のうち長女イザベルはクラーランス公に
妹アンをヘンリー6世の皇太子エドワードに嫁がせます。
(この時アンは正式に結婚式をあげていません)

結局、ウォーリック伯の画策は失敗し、アンは父も夫のエドワードも失いますが
広大なウォーリック伯領を手に入れたかったグロースター公リチャード(後の3世)と
結婚します。

当然ながらこの結婚には、アンの姉イザベルを妻にもつクラーランス公から
大反対がおこりますが、兄王エドワード4世の許可を得て結婚しました。

アンとリチャードは小さな頃、同じ城にいた時期があります。
もし、お互いが初恋相手だったんだとしたらロマンティックですよね
いずれにしてもリチャードはアンにぞっこんだったそうです。

少年王エドワード5世の殺害(の疑い)の件もあって残虐なイメージが強いリチャード3世。
アンが28歳の若さで亡くなった時にも、
リチャードが姪のエリザベス・オブ・ヨークと結婚するために毒殺した、という
噂がたったといいますが、どうやらアンの死因は結核だったようです。

でも、二人が結婚して暮らしたヨークシャーのミドゥラム(旧ウォーリック伯領)では
よくできた領主様と評判が良かったらしいですよ
権力欲しさに人って変わってしまうものなのかしら?
しかもかなりのハンサムさんで『醜い』という説は間違いだって噂も・・・

アンの死後5ヶ月、リチャード3世はヘンリー・テューダーに敗れ戦場で殺害されます。
今はお墓も残っていません。

ヨーク家も、兄弟や親類同士で争ってばかりいないで家族一丸となっていたら
三代で終わることはなかったかもね・・・

              
           こちら、おちゃめなタッチのアン・オブ・ウォーリック

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

    

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