まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『天のテラス』美しき短篇集

2008-10-04 23:49:07 | 日本の作家

1990-1995年 小椋 冬美

マンガですけど・・・ と言われても
私はこれを“ 短篇集 ”だと思っています。

最近はちょっとご無沙汰してますが、昔はよくマンガを読んだものでした。
特に小椋冬美さん、岩館真理子さんが大好きで
あとは『コボちゃん』とか『カリアゲ君』とかしりあがり寿さんのとか・・・

この『天のテラス』を読んでいると、小椋冬美さんも
たぶんマンスフィールドが好きなんじゃないかなぁ? と勝手に思う次第です。
それからサキとかね。

じいさま、ばあさまとかおデブさんの話しとかがでてきて
美しい若者ばかりが主人公じゃない世界観が好きでしたねぇ

3巻で終わってしまったのが悲しくて仕方ありません。
続きは出されないんでしょうか?

『Sandwich Bar』
小さな飲食店を営むおやじさんの一日と
彼の仕事に対する誇りが描かれています。

カフェブームですけど、おしゃれなだけがいいお店じゃないのです。
「食べ物は安くてうまい。おれの店だ」
「毎日作る。おれが毎日作る。いい仕事だ」ってところに
おやじさんのプライドがにじみ出ていて素敵です。

『レストランにて~食べる男』
食べる事が大好きなおデブさん、ダックの思い出と好物とは?

おいしいものがお腹一杯食べられる大食いチャンピオンに憧れてます。
でも口ほどにもないんですよね。 微妙に人より食べるってくらいで・・・

『噂の女』
街でも噂のいい女が経営する下町の食堂に集まる人たち。
彼女の人気の秘訣ってなんでしょう?

こんな定食屋のおかみさんになれたらいいなあ。
毎日常連さんがやってきて、ワイワイしてくれたら寂しくないよね。

なんだか食べ物屋の話しばかりをご紹介してしまった

今でも急に思い出して、読み返してしまう唯一のコミックスです

天のテラス (1) 講談社


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『ブヴァールとペキュシェ』有閑紳士の道楽とは

2008-10-04 18:43:20 | フランスの作家
BOUVART ET PECUCHET
1880年(未完) ギュスターヴ・フロベール

フロベールがこの作品のために読んだ本は1500冊以上
メモをとったノートを積んだ高さは20センチ以上という
気合いが入った一作ではありますが、読んでいてちょっとダレるかもしれません。

判で押したような生活を送るパリの筆耕事務員ブヴァールとペキュシェが
ある夕暮れに出会って意気投合します。
お互い独り者の二人はいつしか常に一緒にいるようになりますが
ブヴァールに遺産が入り、二人で田舎暮らしをしようと思い立ちます。

カルヴァドスのシャヴィニョール村に広大な(38ヘクタールだって!)土地がついた
田舎の館を手に入れた二人は、暇にまかせて道楽に没頭します。

農業、園芸、庭作り、酒造、化学、生理学、医学、地質学、考古学、骨董品
歴史、文学、戯曲、体育、心霊、信仰、教育、骨相学・・・
次から次へと興味の対象を移す二人は、その度に本を買い、道具を揃え
本から仕入れた知識を村人たちにひけらかします。

彼等は本に書いてある事を真に受けて、なんでもかんでも試みます。
農業の時には牛や鶏を傷つけたり、医学の時には人を殺しそうになったり
骨董品のときは盗人になったり・・・

その上女に惹かれて痛い目に遭ったり、金詰まりになって土地を売ったり、
問題児を引き取ったりするうちにさらに評判を落としていきます。
とうとう訴えられるに至って、二人はもとの書記生活に戻る事にします。

とにかく、各専門書の著者と著作と専門用語の洪水で、書いた方もすごいけど
訳者(鈴木健郎氏)の根性にも脱帽です。
訳注の多い事ったら・・・読む方もつらかったぜ

フロベールはこの作品に4年ほどかけるつもりで1874年にとりかかってますが
1880年に未完成のまま亡くなりました。
物語の最後の方は、彼が残した構想のメモ書きで書かれていますが
完成していたら、もっと二人の滑稽で哀れな様が
浮き彫りになっていたんじゃないでしょうか? 残念ですね

フロベールはかなり悩んだのか、ジョルジュ・サンド、ゾラ、モーパッサン、
ゴンクールなどにひんぱんに手紙を書いたり、相談したりしています。
相談相手もビッグネームだね
彼等がなんて答えてあげたのか知りたい気がします。

当時ラジオやテレビ、ましてやインターネットなんてなくて良かったかも・・・。
あったら情報がありすぎて、二人も村人も大変な目に遭っていたでしょう。

旦那いわく「お前はすぐ本とか雑誌に書いてある事を信じすぎるんだよ」と
言う事ですので、気をつけたいと思います。
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イングランド王ウィリアム1世妃 マティルダ

2008-10-04 13:12:37 | イングランド王妃・王女
初代イングランド王妃
ウィリアム1世妃 マティルダ・オブ・フランダース


1031~1083/在位 1066~1083

以前どっかで、趣味は家系図と書いたんですけど
作成した家系図がなんの役にもたってないので、(たたないか
家系図をもとに女性の歴史なんかを、ゆるゆるとひもといてみようかと思いました。
最初に家系図を作成したイングランドからスタートしようと思います。

英国王室史の中では、ウイリアム1世からが正式な王となっていますが
ウィリアム1世はフランスからやって来た王様で
それ以前はアルフレッド大王やエドワード王などサクソン系の王が
イングランドを(一部だけど)治めていました。
デーン人(デンマーク系)の王が治めたこともあります。

マティルダ・オブ・フランダースは5代さかのぼると
アルフレッド大王の娘エルフトリュードにたどり着きます。
ヘンリー1世は、マティルダのその血筋に目を留めます。
     

自分のイングランド王の地位を強化すると同時に
イングランド人のご機嫌もとっちゃおうという作戦です。
(ウィリアムは最後のサクソン王ハロルド2世を破って
 イングランド王になりました。エドワード王はハロルド2世の義兄)

ウィリアム1世はイングランド王でありながら、当然ノルマン公でもあるわけで
イングランド統治に忙しい夫に変わり、マティルダがノルマンディーを治めます。
あまり一緒にいる時間はなかったのかしら

彼女の功績として大きく取り上げられている『バイユーのタペストリー』

         

ウィリアム1世がイングランド王になるまでの活躍を綴った
70メートルにも及ぶタペストリーは、史実に忠実かどうかは別にして
時代考証には役に立ってるみたいです。

タペストリーって織物でしょ?
一人でぎっこんばったんやったわけじゃなくて、沢山の人がかり出されたとは思うけど
皆に混じって王妃が織ってたら素敵ですよね
ハンドクラフトの醍醐味は、自らの手で作り上げる事ですからね。

ウィリアム1世の不在に加えて彼女は悩ませたのは、たぶん長男ロベール。
戦国の世の習いとはいえ、王位を狙って父親に反抗して軍をおこしたり
父親に傷を負わせたり。
結局彼は弟であるヘンリー1世に反乱軍をおこしますが、王位には就けず
哀れな末路をたどります。
マティルダはそれを知らずに亡くなって幸せだったかも・・・

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

  
コメント (1)
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