![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/5c/97e910ce3a5f74b5376c7f3e558c56a1.jpg)
肖像画は2人目の王妃ベルタ
たった数日の王妃の座
ロベール2世妃 ロザーラ(シュザンヌ)・ディタリー
937~1003/在位 996
ロザーラはイタリア王ベレンガール2世の娘で、カール大帝の7代子孫にあたります。
最初の夫はフランドル伯アルヌルフ2世でしたが51歳の時死別します。
彼女は息子の摂政になりましたが、同年あるいは翌年
35歳年下
のロベールと再婚します。
これは、フランス王座の世襲を夢見る父王ユーグ・カペーが勢力拡大を狙ってまとめた縁談で
ロベールはまっっったく乗り気ではありませんでした。
だって十代の若者ですもの・・・女性に対していろいろ夢や希望もありましょうに
35歳年上の女性と結婚させられるんじゃ・・・
気持ちは分かります。
けれどもロザーラにはモントルイユとポンテュウが持参金としてついてきます。
ロベールはロザーラとの結婚を承諾します。
ロザーラはこの結婚にともなってシュザンヌに改名しました。
はたして二人が夫婦として生活したのか? ちょっと計り知れませんが
結婚から6年、ユーグ・カペーが亡くなりロベールが王として即位すると
彼はただちにベルタ・ド・バーガンディと結婚するためロザーラを絶縁します。
ロザーラは離婚後フランドルに戻りましたが、どんな気持ちだったかしら?
まわりから後ろ指とかさされなかったのかしら?
「あんな若い男と再婚するからよぉ」なんて意地悪を言うばあさまがいそう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp29.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ed/dbf7e4eeff1f976d8a76464b6702fd30.jpg)
1003年にロザーラは亡くなりましたが、ロベール2世は彼女が持参した領地を
息子のフランドル伯に返却することなく、フランス王国領として保持し続けました。
ちなみにですが、ロベール2世と3番目の王妃の間に生まれたアデルの結婚相手は
ロザーラと最初の夫との間に生まれた息子の息子でした。
わかりませんねぇ・・・ 当時の結婚って![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
神の怒りにふれたか?
ロベール2世妃 ベルタ・ド・ブルゴーニュ
964 or 967~1016/在位 966~1000
ロベール2世が即位するやいなや再婚したベルタは西フランク王ルイ4世の孫でした。
彼女との結婚は西フランク王位を争っていたカペー家とカロリング家が結びつくことを意味し
カペー家の王権を強化する上で重要なものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/cc/dd95c6b8ed1c28efc9b8d59ee7efb2b5.jpg)
ベルタも再婚で、最初の夫はブロワ伯ウードで983年頃に結婚しましたが996年に死別。
好都合なことにロベールも王となり、自由にロザーラと離婚することができます。
普通は父王だったり、夫だったりの死後1年ぐらい喪に服すものだと思うんですが
二人は即再婚します。
しかし、ロベール2世とベルタはいとこ関係にあり
この結婚によって教皇グレゴリー5世から破門を言い渡されてしまいます。
999年、子供が生まれてすぐ亡くなったことで
ロベール2世は破門の恐ろしさが身にしみたのか、教皇シルヴェスタ2世に許しを請い
1000年ベルタとの結婚を解消します。
『カノッサの屈辱』とかありましたけど、教皇の破門てそんなに恐ろしいのかしら?
奥様だって子供を亡くして悲しんでいるだろうに、神を怖れて離婚しちゃうって
人としてどうなんでしょう?
いとこ同士の結婚は他にもかなりあると思うのですが
(なにしろいくつかの家同士があっちで結婚、こっちで結婚している状態で
家系図グチャグチャ~、です)
教皇が与える特免状の基準も曖昧な気がします。 家の力かしら? 献金の金額かしら?
ベルタは再婚せず余生を過ごしたようです。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
たった数日の王妃の座
ロベール2世妃 ロザーラ(シュザンヌ)・ディタリー
937~1003/在位 996
ロザーラはイタリア王ベレンガール2世の娘で、カール大帝の7代子孫にあたります。
最初の夫はフランドル伯アルヌルフ2世でしたが51歳の時死別します。
彼女は息子の摂政になりましたが、同年あるいは翌年
35歳年下
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0160.gif)
これは、フランス王座の世襲を夢見る父王ユーグ・カペーが勢力拡大を狙ってまとめた縁談で
ロベールはまっっったく乗り気ではありませんでした。
だって十代の若者ですもの・・・女性に対していろいろ夢や希望もありましょうに
35歳年上の女性と結婚させられるんじゃ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
けれどもロザーラにはモントルイユとポンテュウが持参金としてついてきます。
ロベールはロザーラとの結婚を承諾します。
ロザーラはこの結婚にともなってシュザンヌに改名しました。
はたして二人が夫婦として生活したのか? ちょっと計り知れませんが
結婚から6年、ユーグ・カペーが亡くなりロベールが王として即位すると
彼はただちにベルタ・ド・バーガンディと結婚するためロザーラを絶縁します。
ロザーラは離婚後フランドルに戻りましたが、どんな気持ちだったかしら?
まわりから後ろ指とかさされなかったのかしら?
「あんな若い男と再婚するからよぉ」なんて意地悪を言うばあさまがいそう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp29.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ed/dbf7e4eeff1f976d8a76464b6702fd30.jpg)
1003年にロザーラは亡くなりましたが、ロベール2世は彼女が持参した領地を
息子のフランドル伯に返却することなく、フランス王国領として保持し続けました。
ちなみにですが、ロベール2世と3番目の王妃の間に生まれたアデルの結婚相手は
ロザーラと最初の夫との間に生まれた息子の息子でした。
わかりませんねぇ・・・ 当時の結婚って
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
神の怒りにふれたか?
ロベール2世妃 ベルタ・ド・ブルゴーニュ
964 or 967~1016/在位 966~1000
ロベール2世が即位するやいなや再婚したベルタは西フランク王ルイ4世の孫でした。
彼女との結婚は西フランク王位を争っていたカペー家とカロリング家が結びつくことを意味し
カペー家の王権を強化する上で重要なものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/cc/dd95c6b8ed1c28efc9b8d59ee7efb2b5.jpg)
ベルタも再婚で、最初の夫はブロワ伯ウードで983年頃に結婚しましたが996年に死別。
好都合なことにロベールも王となり、自由にロザーラと離婚することができます。
普通は父王だったり、夫だったりの死後1年ぐらい喪に服すものだと思うんですが
二人は即再婚します。
しかし、ロベール2世とベルタはいとこ関係にあり
この結婚によって教皇グレゴリー5世から破門を言い渡されてしまいます。
999年、子供が生まれてすぐ亡くなったことで
ロベール2世は破門の恐ろしさが身にしみたのか、教皇シルヴェスタ2世に許しを請い
1000年ベルタとの結婚を解消します。
『カノッサの屈辱』とかありましたけど、教皇の破門てそんなに恐ろしいのかしら?
奥様だって子供を亡くして悲しんでいるだろうに、神を怖れて離婚しちゃうって
人としてどうなんでしょう?
いとこ同士の結婚は他にもかなりあると思うのですが
(なにしろいくつかの家同士があっちで結婚、こっちで結婚している状態で
家系図グチャグチャ~、です)
教皇が与える特免状の基準も曖昧な気がします。 家の力かしら? 献金の金額かしら?
ベルタは再婚せず余生を過ごしたようです。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)