まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

フランス王ロベール2世妃 ロザーラ

2009-01-29 22:26:53 | フランス王妃・王女
                肖像画は2人目の王妃ベルタ

たった数日の王妃の座
ロベール2世妃 ロザーラ(シュザンヌ)・ディタリー


937~1003/在位 996

ロザーラはイタリア王ベレンガール2世の娘で、カール大帝の7代子孫にあたります。
最初の夫はフランドル伯アルヌルフ2世でしたが51歳の時死別します。
彼女は息子の摂政になりましたが、同年あるいは翌年
35歳年下 のロベールと再婚します。

これは、フランス王座の世襲を夢見る父王ユーグ・カペーが勢力拡大を狙ってまとめた縁談で
ロベールはまっっったく乗り気ではありませんでした。
だって十代の若者ですもの・・・女性に対していろいろ夢や希望もありましょうに
35歳年上の女性と結婚させられるんじゃ・・・ 気持ちは分かります。

けれどもロザーラにはモントルイユとポンテュウが持参金としてついてきます。
ロベールはロザーラとの結婚を承諾します。
ロザーラはこの結婚にともなってシュザンヌに改名しました。

はたして二人が夫婦として生活したのか? ちょっと計り知れませんが
結婚から6年、ユーグ・カペーが亡くなりロベールが王として即位すると
彼はただちにベルタ・ド・バーガンディと結婚するためロザーラを絶縁します。

ロザーラは離婚後フランドルに戻りましたが、どんな気持ちだったかしら?
まわりから後ろ指とかさされなかったのかしら?
「あんな若い男と再婚するからよぉ」なんて意地悪を言うばあさまがいそう

      

1003年にロザーラは亡くなりましたが、ロベール2世は彼女が持参した領地を
息子のフランドル伯に返却することなく、フランス王国領として保持し続けました。

ちなみにですが、ロベール2世と3番目の王妃の間に生まれたアデルの結婚相手は
ロザーラと最初の夫との間に生まれた息子の息子でした。
わかりませんねぇ・・・ 当時の結婚って




神の怒りにふれたか?
ロベール2世妃 ベルタ・ド・ブルゴーニュ


964 or 967~1016/在位 966~1000

ロベール2世が即位するやいなや再婚したベルタは西フランク王ルイ4世の孫でした。
彼女との結婚は西フランク王位を争っていたカペー家とカロリング家が結びつくことを意味し
カペー家の王権を強化する上で重要なものでした。

       
ベルタも再婚で、最初の夫はブロワ伯ウードで983年頃に結婚しましたが996年に死別。

好都合なことにロベールも王となり、自由にロザーラと離婚することができます。
普通は父王だったり、夫だったりの死後1年ぐらい喪に服すものだと思うんですが
二人は即再婚します。

しかし、ロベール2世とベルタはいとこ関係にあり
この結婚によって教皇グレゴリー5世から破門を言い渡されてしまいます。
999年、子供が生まれてすぐ亡くなったことで
ロベール2世は破門の恐ろしさが身にしみたのか、教皇シルヴェスタ2世に許しを請い
1000年ベルタとの結婚を解消します。

『カノッサの屈辱』とかありましたけど、教皇の破門てそんなに恐ろしいのかしら?
奥様だって子供を亡くして悲しんでいるだろうに、神を怖れて離婚しちゃうって
人としてどうなんでしょう?

いとこ同士の結婚は他にもかなりあると思うのですが
(なにしろいくつかの家同士があっちで結婚、こっちで結婚している状態で
 家系図グチャグチャ~、です)
教皇が与える特免状の基準も曖昧な気がします。 家の力かしら? 献金の金額かしら?

ベルタは再婚せず余生を過ごしたようです。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フランス王ユーグ・カペー妃... | トップ | フランス王ロベール2世妃 コ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

フランス王妃・王女」カテゴリの最新記事