嵐の前の良妻
カルロス3世妃 マリア・アメリヤ・デ・サホニア
1724~1760/在位 1759~1760
マリア・アメリヤの父ザクセン選帝候フリードリヒ・アウグスト2世は
ポーランド継承戦争を勝ち抜いてポーランド王アウグスト3世として即位すると
今度はボヘミア王位も手に入れようとして継承戦争に参加した欲張りさんでした。
カルロス3世とマリア・アメリヤの縁談は
ポーランド継承戦争で敵国同士でありながら勝者だった両国
(ヴェッティン家はポーランドを継承、スペイン=ブルボン家はナポリ・シチリアを獲得)
の和平のためかもしれませんし、きたるべき戦いに供えて
ハプスブルク家に対抗するための措置かもしれません。
(アウグスト3世妃マリア・ヨーゼファはハプスブルク家出身ですけどね)
この時代のヨーロッパはまさに “ 虎視眈々 ” ていう言葉がぴったりですね。
マリア・アメリヤは1738年、14歳で22歳のナポリ・シチリア王カルロ5世に嫁ぎました。
政略結婚でしたがふたりはとても仲睦まじく、13人の子だくさん夫婦になります。
母后イサベルはスペインにいたので、他の妃よりのびのびできたかもしれないですね。
スペインの国そのものは斜陽の時代でしたけれども
カルロスはナポリとシチリアを取り戻していますし
気さくな善人で国民に人気があったみたいです。
あの母(イサベル・デ・ファルネシオ)からなぜこの子が?って感じですけどね。
一方ドイツ方面出身のマリア・アメリヤは芸術に造詣が深かったらしく
ナポリに陶磁器をもたらし、カゼルタ宮殿の建設では陣頭指揮をとるほどの勢いでした。
(もちろんデザイン的にね。現場監督をしたわけじゃないと思うが…)
1759年にフェルナンド6世が嫡子を遺さずに亡くなったため
カルロはカルロス3世として即位しました。
マリア・アメリヤは王とともに子供たちを残してマドリッドへ向かったのですが
その1年1ヶ月後、結核で亡くなりました。
カルロス3世は「結婚生活22年、王妃は初めて余の気に障ることをした」という
小粋なコメントを残しています。
結核との因果関係は(スモーカーの私としては)無いと思いたいのですが
彼女はかなりのヘヴィ・スモーカーだったらしいです。
中世では煙草は高貴な女性の嗜みだったんですもんね!(嘘かもしれない )
この後息子カルロス(後の4世)がとんでもない嫁を迎えることになり
舅のカルロス3世は怒り心頭に達します。
マリア・アメリヤがひときわ恋しくなったことでしょうね。
カルロス3世は再婚することなく、28年後の1788年に亡くなりました。
(参考文献 Wikipedia英語版)
カルロス3世妃 マリア・アメリヤ・デ・サホニア
1724~1760/在位 1759~1760
マリア・アメリヤの父ザクセン選帝候フリードリヒ・アウグスト2世は
ポーランド継承戦争を勝ち抜いてポーランド王アウグスト3世として即位すると
今度はボヘミア王位も手に入れようとして継承戦争に参加した欲張りさんでした。
カルロス3世とマリア・アメリヤの縁談は
ポーランド継承戦争で敵国同士でありながら勝者だった両国
(ヴェッティン家はポーランドを継承、スペイン=ブルボン家はナポリ・シチリアを獲得)
の和平のためかもしれませんし、きたるべき戦いに供えて
ハプスブルク家に対抗するための措置かもしれません。
(アウグスト3世妃マリア・ヨーゼファはハプスブルク家出身ですけどね)
この時代のヨーロッパはまさに “ 虎視眈々 ” ていう言葉がぴったりですね。
マリア・アメリヤは1738年、14歳で22歳のナポリ・シチリア王カルロ5世に嫁ぎました。
政略結婚でしたがふたりはとても仲睦まじく、13人の子だくさん夫婦になります。
母后イサベルはスペインにいたので、他の妃よりのびのびできたかもしれないですね。
スペインの国そのものは斜陽の時代でしたけれども
カルロスはナポリとシチリアを取り戻していますし
気さくな善人で国民に人気があったみたいです。
あの母(イサベル・デ・ファルネシオ)からなぜこの子が?って感じですけどね。
一方ドイツ方面出身のマリア・アメリヤは芸術に造詣が深かったらしく
ナポリに陶磁器をもたらし、カゼルタ宮殿の建設では陣頭指揮をとるほどの勢いでした。
(もちろんデザイン的にね。現場監督をしたわけじゃないと思うが…)
1759年にフェルナンド6世が嫡子を遺さずに亡くなったため
カルロはカルロス3世として即位しました。
マリア・アメリヤは王とともに子供たちを残してマドリッドへ向かったのですが
その1年1ヶ月後、結核で亡くなりました。
カルロス3世は「結婚生活22年、王妃は初めて余の気に障ることをした」という
小粋なコメントを残しています。
結核との因果関係は(スモーカーの私としては)無いと思いたいのですが
彼女はかなりのヘヴィ・スモーカーだったらしいです。
中世では煙草は高貴な女性の嗜みだったんですもんね!(嘘かもしれない )
この後息子カルロス(後の4世)がとんでもない嫁を迎えることになり
舅のカルロス3世は怒り心頭に達します。
マリア・アメリヤがひときわ恋しくなったことでしょうね。
カルロス3世は再婚することなく、28年後の1788年に亡くなりました。
(参考文献 Wikipedia英語版)