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徳川綱吉を操った陰の女―桂昌院の墓(法受寺)

2009-02-07 00:42:36 | 歴史散歩
「桂昌院の墓」伊興歴史散歩
「生類憐れみの令」で悪名が高い五代将軍徳川綱吉の実母の墓が東伊興4丁目の法受寺にあります。
桂昌院は一六三四年、京都堀川通りの八百屋仁右衛門の娘として生まれました。
三代将軍家光の妾となって五代将軍綱吉を産み、家光死後出家して桂昌院として、大奥に勢力をふるいました。〃大公方〃将軍綱吉の「生類憐みの令」は彼女の差しがねと言われます。
「大類の儀これまでのように無慈悲なる取扱いすべからず、もしこれに背<者あらば厳罰に致す」との「生類憐みの令」は1687年1月公布、戦前の治安維持法と並ぶ日本の二大悪法と言われています。最初は犬だけが対象、その後、生き物全般
に拡大、刑罰は死罪(斬首、切腹)も含み、親の罪は子にも及びました(親が切腹なら子は遠島など)。
湯島聖堂建設、古社寺の保護などの善政を施した綱吉も、晩年は国中にわきおこる怨嵯の声に包まれ、1709年1月ついに永眠。即刻生類憐れみの令廃止。万人が諸手をあげて狂喜したそうです。
現代は平和の鐘、伊興七福神として庶民に親しまれています。

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